- ベストアンサー
差別を根絶するには!?
部落差別やハンセン病患者に対する差別など これまで多くの差別が行われてきました。 このような差別が次世代でも 行われることの無いように、根絶させるためには 次のうち どちらが良いと思いますか!? ・差別が行われていた事実やその根拠を 全て伝えて根絶を訴える。 ・差別が行われていた事実を全く伝えないことで 差別を根絶させる。 皆さんはどう考えますか!? 両方の立場の考えを詳しく聞きたいです。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは カテはアンケートカテのほうが良かったと思いますが・・・ 心理士をしていますので、心理学的側面から。 差別の根絶は不可能です。 そこには人間が持つ「優越感」などの感情がからんでいるからです。 人は人を「悪気なく」差別します。 悪気があれば気づけば差別感情はなくなりますが、悪気がない場合は 気づきがありませんので差別感情はなくなりません。 部落差別やインドのカースト制度などは「差別している側」に 「悪い」という感情はありません。これは事実を伝えたことでは なくならない感情です。 ハンセン病などは「誤解(伝染する等)」からくる差別ですので 事実を伝えることで「差別する人は少なくなる」と思います。 部落差別のような「過去の制度」からくるものは「事実をまったく 伝えない」ことで「知ってる人がいなくなれば(みんな亡くなれば)」 差別感情を持つ人はいつかいなくなる理屈ですが、ネットや書籍で 過去のことはいくらでも調べられますし、調べて知った上で差別感 を持つ人はいると思います。 どちらにしても「人の感情からくる」ものですので根絶は不可能 だと私は思います。 「社会的な差別がないように」法律や制度を整備するのが最善だと 思います。人の心(感情)はコントロールできません。
その他の回答 (3)
- Ama430
- ベストアンサー率38% (586/1527)
差別は無知から発生します。 「差異」は誰にもあり、例えば、伝染病患者が隔離されるのは合理的な医療措置でしょう。 隔離されながらも、治療に向けて全力で努力がなされていれば、患者が隔離を「差別」と感じることはないと思います。 逆に、病気になった子どもが、「ベッドで安静に」と言われて「差別」と感じるのは、それが合理的な医療措置であることを知らないからでしょう。 人種差別なども、全人類が数百万年前の1組の類人猿の夫婦の子孫であることを知らない時代(今も?)の出来事ですし、「見た目」以外で人間を判断するという方法を知らない人が陥りやすいと思います。 情報を全て共有して、差別を乗り越える。 これが今までの人類の歴史の基本であり、今後もそうであってほしいと思っています。
お礼
差別は、する側の無知だけではなく されていると感じている側の無知によって 発生する場合もあるんですね。 なるほど!! とても参考になりました!! ありがとうございます。
- mojitto
- ベストアンサー率21% (945/4353)
差別というもの自体、とても難しいものです。 例えば『累進課税』が挙げられますね。 これは所得の再分配のシステムで、『平等』を達成するために行われています。ご存知の通り、所得に応じて税率が変わります。 しかしこれも平等を達成するために行われる『所得差別』と取ることはできませんか? アファーマティブ・アクションと言いますが、平等を達成するために平等を捨て、差別を積極的に行うことがあります。 もちろんハンセン病や部落での差別はなくなるべきだと、私も思います。しかし差別と区別の線引きが難しいので、根絶は無理だと思います。 その上で… 伝えて根絶を取ります。例えば江戸時代の『士農工商』の身分制度ですが、今では職業で差別されることはありませんよね? しかし、そんなことは実は関係ありません。 差別を根絶するためには、伝えようが伝えまいが、差別をしない期間が長ければ、消えてしまうものです。 要は今、私たちが差別をせず、次世代にバトンを渡せれば消えてしまうものだと思います。
- kawakawakawa13
- ベストアンサー率25% (514/2010)
あなたの考える「差別」とはどのようなものですか? 差別は、なぜあるのでしょう。 その、理由は、ナチスドイツや江戸時代等に回答を求められます。 つまり、自分達より下位の者が居て、それらを差別することによって自らを肯定し、自らを慰めているのです。 為政者にとっては、実に都合の良いことです。 ですからナチスドイツは、欧州各地で蔑まれる立場のジプシーやユダヤ人を利用し、彼らを排斥することによって、自分達に向かう非難を転嫁したのです。 同じく江戸幕府も、エタ・非人という階層を創設しました。 現代でも、より悲惨な人達が居るということで自分を慰めています。 私も、同和地区出身者です。 親に聞かされて知りました。 自らを卑下することなく、かつ、他人に指弾されないような、技能を持つことが第一義と思います。
お礼
差別にも人間の心理から種類分けができるんですね。 読んでいて、なるほどと思いました。 そしてその種類によって対策可能なものと不可能なものが あるんですね。 新しい見地を与えていただきました。 ありがとうございます!!