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服ろわぬ民
現天皇家の出自とされる、大和朝廷の生成と展開については、まだ判らない事やいろんな説もありましょうが、いわゆる≪服ろわぬ民≫ということばでいわれている、集団の人たちがいたとのことです。 (1)そういう集団の方とは、大方では、『蝦夷・土蜘蛛・隼人・熊襲』と呼称されている方々とされていますが、こういう方々以外にはおられないのでしょうか? (2)こういう方々はどういうところでのべられてきているのでしょうか? (3)こういう方々の出自のようなものは判り得るものなのでしょうか? (4)こういう方々はこの列島のどこかの末裔となっている方もおられるのでしょうか。あてずっぽうでもいいのでお教えいただくと幸甚です。仕事でも研究でもなく、調査もすることなく、ここ7年ほど知っておきたいとかかえてきている事柄ですので、説話やお伽のことでも、能のことでもお詳しい方、かってご興味を持たれた方のお話が伺えると嬉しいです。大昔でしょうから、もう天皇家について何か判断や、評価の材料にするつもりはもちろんありません。なにとぞどうかお願いします。根拠がわかると余計嬉しいけど、教え戴いて自分でも根拠を探してみますので。
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ANo.3 です。補足にお答えする知識を持ち合わせてはいないので、単なる感想です。 <和の人種とや違う人種か民族を想定しているようですね? 紹介のURLのメインページを見ると、ご指摘の写真は岩手県水沢市埋蔵文化財センターに 飾られている悪路王像とのことで、江戸時代に鹿島神社(神宮?)に奉納された像をレプリカ したものとのことです。 私も最初は違和感を感じましたが、鹿島神社(神宮?)に奉納されたものということなので、 雅楽の舞楽面をモデルにして作った結果として胡人?系に似てしまったんだろうなぁと、 勝手に考えています。 なお、紹介のURLの該当ページにも (鹿島神宮の)宝物館の説明には、平安時代、坂上田村麻呂将軍が奥州において征伐した悪路王 (阿弖流為・アテルイ)の首を寛文年間・口伝により木製で復元奉納したもの。 と、上記と呼応する説明があり、続けて 悪路王は、大陸系の漂着民族とみられるオロチョン族の首領で、悪路(オロ)の主(チョン) とみる人もいる。 とあることから、鹿島神宮でも同様な疑問をいだいて、わざわざ解説に加えたのかもしれませんね。 もっとも、ネットで検索してみると、オロチョン族というのはロシアから内蒙古、つまり北方 系ということらしく、舞楽面などの胡人?系とは違うようですが‥ 私は個人的には、蝦夷の出身とも見なされる安倍氏やその末裔との伝承をもつ安東家(秋田家) の周辺に、安倍氏の出自を推測させる蝦夷の記憶のような儀式や民俗伝承のようなものは何か 残ってないのか、歴史学の対象ではないとして見過ごされてはいないか、興味しんしんです。 また、清原氏や奥州藤原氏の系統なども、歴史からは姿が消えてはいますが、実は子孫と称す る旧家がどこかにあって、何か伝えていないか、気になるところです。 それ以前の日本人のルーツについては、縄文・弥生であれ、蝦夷であれ熊襲・隼人であれ、 アイヌであれ、沖縄であれ、日本人の中の一集団?をまるごと特定の民族などと結びつけるの には無理があると思います。仮に特定のルーツがあったとしても、古代の時点で既に混血が 進んでいて、もう確かめられないでしょうね。
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- suicyo
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蝦夷については歴史学の方面で、手軽に読める新書などでも色々出ていますが、「説話やお伽 のことでも、能のことでも」とのことですので、文化史的・民俗学的方面での著作ということで 定村忠士「悪路王伝説」をオススメします。以下、この本の内容等の紹介ですので、既にご存知 でしたら、あとは無視して下さい。 --------------------------------------- 悪路王伝説の概略 http://www001.upp.so-net.ne.jp/densetutanbo/tamuramaro/akuro.htm 悪路王伝説―オンデマンド版― http://www.editor.co.jp/press/ISBN/ISBN4-88888-807-8.htm 但し、オススメはしたものの、一般向けの本ではなく、大きな図書館でないと置いていないかも‥ 無駄骨にならぬよう、一応目次を書いておきます。 定村忠士「悪路王伝説」 第一章 悪路王の末裔 宮沢賢治の詩「原体剣舞連」/怨霊を鎮め供養する踊り/「むかし達谷の悪路王」/ 蝦夷の民と日高見の国/童話「種山ヶ原」の核心/蛇紋山地の火花の系譜 第二章 常陸の悪路王像 鹿島神宮の悪路王像/桂村・鹿島神社の悪路王頭形/徳川光圀の「大日本史」/悪路王とアテルイの記述 第三章 柳田国男の悪路王観 悪路王にふれた十二篇の論文/「歴史的人物」への微妙な変化/「立烏帽子考」の悪路王/ 「美女と妖魔と英雄と」/ついにまつろわなかった者/喜田貞吉の説と柳田の沈黙 第四章 悪路王の影と光 奥浄瑠璃「田村三代記」/各地に残る悪路王-田村麻呂の伝承/「小迫大悲閣」の物語、 大嶽丸(大武丸)の舞台/「諏訪大明神」、高丸の舞台/悪路王の現れ方、討たれ方 第五章 悪路王伝説の復権 悪路王伝説の時間と空間/鈴鹿の神女、立烏帽子の意味/内なる異族
お礼
≪悪路王≫をサーチすると、懐かしい地名のものもたくさんありました。いろいろ勉強してみます。ありがとう御座いました。
補足
≪悪路王は、蝦夷の首長であると伝承にいう。≫で始まる、ご紹介のURLの写真は、写真の故か、古い像だからか、とても温和ではありませんで、上而(しかも)シルク・ロードなどの胡人の風貌と髪型のようでした。だからといって、蝦夷が胡人と関連するという創造は無謀でしょうが、和の人種とや違う人種か民族を想定しているようですね?
- kenkey
- ベストアンサー率19% (8/42)
蝦夷についても大和朝廷に柵封されていた熟蝦夷(にきえみし)と最後まで抵抗した荒蝦夷(あらえみし)に分けられます。蝦夷の初見は「日本書紀」神武天皇紀ですが、「日本書紀」斉明天皇紀にも見えます(かなり蛮族扱いではあるが) 9世紀はじめに坂上田村麻呂が征服(蝦夷征伐)して一応の区切りをみました。
お礼
ありがとう御座います。允に嬉しく存じます。
補足
≪柵封≫、≪熟蝦夷(にきえみし)≫、そして≪荒蝦夷(あらえみし)≫ということばと共に詳細なことを知ることができとても嬉しいです。本で読めば、たいへんな時間と、労力が必要でありましょうに。白人が、アメリカ大陸に入っていった、時のアメリカ・インディアンのことが、思わず連想させられました。でも蝦夷という方々はもう集団ではおられないのでしょうね、当然みたいですが?≪荒蝦夷≫という字をみて、アラハバキという単語が連想されてきました。直接には連関はしないでしょうが。連関していても、もう確認のしようがありませんね。 田村麻呂は下村湖人の次郎物語でも出てきました。宝鏡先生です。体格のいい先生で、田村麻呂を畏敬するような文章でした。そうすると、やはり蝦夷というのは戦前は成敗しなければならない、かなりの蛮族として、教育されていたのでしょうね。天皇家の先祖が成敗したのですから。 土蜘蛛のことはいかがでしょうか?何か吉見の百穴は土蜘蛛の生活の場ではないかと、思えないでしょうか?
- onbase koubou(@onbase)
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(1)古代においては、そのとおりかと思います。「隼人」は「服従した人々」も含まれるので「まつろわぬ民」とはちょっと異なるかもしれません。 (2)主に日本書紀や古事記といった「正史」の中に記録されています。ちなみに「正史」とは「正しい歴史書」ではなく「時の政府が認めた正式(正当)な歴史書」の意です。 (3)元々日本列島に居住する人々の中から台頭してきた人物が天皇家の先祖になったと考えられます。天皇家の先祖が「大陸からやってきた人」なのか「日本列島の中からのし上がってきた人」なのか諸説あってさだかではありません。 「自分達に従わない人々の呼称」ですから「出自」という考え方がそのものがあまりしっくりこないでしょう。どちらかというと「元々そこに住んでいた人」かと思われます。 (4)人類学的には現在でも「縄文系」「弥生系」と日本人を分類できますから「末裔」は多数....というより多くの日本人がこの末裔かもしれません。 「文化・民族的末裔」とすると残っていないでしょう。極一部の風俗がそれらに由来する可能性はありますが。 krya1998さんの質問は、「歴史学(文献史学・考古学他)」の大きなテーマです。こういう質問の答を多くの研究者が探っているのです。 従って「答え」はまだでていません。特に天皇家についてはその墓が陵墓として学術調査がほととんど出来ないため古代天皇家の実態は不明確なことが多く定かではありません。 逆に言えば7世紀以前のことを「断定」するような言説はちょっとあやしい可能性があります(^^;)
お礼
早速ありがとう御座いました。私達素人というか、やはり断定するようなお話は、抜きん出た卓説に思い、あぁであって、そうでもないというのは、七面倒で、あまりありがたがらないものですが、そういうものに引きずられない方が、いいわけですね。
補足
≪「隼人」は「服従した人々」も含まれるので「まつろわぬ民」とはちょっと異なるかもしれません≫ということは隼人舞とか鳴弦とかの。「隼人」するような、服従した人たち以外にも残った。「隼人」の方もおられるのですね。こういうのを命名したのはやはり「大和朝廷」とか侵攻側なのでしょうかね。 「出自」ということばを使うのはためらったのですけれども、いうなれば「どういう人たち」なのかな、という意味で、島津藩や西郷さんの先祖なのかな、というような気持ちでした。 ≪多くの日本人が末裔≫だと、侵攻された側の末裔達が天皇を支配の用具にしている制度側に服従してしまっているのでしょうね。ここらの問題は素人も興味の尽きない事柄がいっぱいですね。、
お礼
ありがとう御座いました。どうか今後もHPなどをおこすなど、ご教示をお願い申しあげます。
補足
非常に関心と興味を掻きたてるお話です。≪蝦夷の出身とも見なされる安倍氏やその末裔との伝承をもつ安東家(秋田家)の周辺に、安倍氏の出自を推測させる蝦夷の記憶のような儀式や民俗伝承のようなものは何か 残ってないのか、歴史学の対象ではないとして見過ごされてはいないか、興味しんしんです。≫正に興味津々です。日本は木造ですし、物品も植物材料が多いでしょうから、早めの手が欲しいですね。歴史学の関心よりも、気持ちの底からの関心です。私は歴史も日本文化も定年後の勉強ですが。≪清原氏や奥州藤原氏の系統なども、歴史からは姿が消えてはいますが、実は子孫と称する旧家がどこかにあって、何か伝えていないか、気になるところです。≫そうであるかもしれませんね。我が家は茨城で本陣、藩では銭倉係り。三百数十石。だそうですが、火災などで殆どのものが焼失しました。長男父も昭和の初期にでてきて、田舎には従兄弟の家系しかおりません。時の経過はそうなるのですね。≪それ以前の日本人のルーツについては、縄文・弥生であれ、蝦夷であれ熊襲・隼人であれ、アイヌであれ、沖縄であれ、日本人の中の一集団?をまるごと特定の民族などと結びつけるのには無理があると思います。仮に特定のルーツがあったとしても、古代の時点で既に混血が進んでいて、もう確かめられないでしょうね。≫そうなんでしょうね。そういう痕跡に類するものが消失していくのは残念ですが。