えーと、ご質問を読ませていただき、ボンヤリと思ったことを書きます。いつもは裏付けをとって確認するのですが、今夜はそろそろ寝ようかなという所でそうするだけの気力がありませんので、いい加減な話でお許し下さい。
海が音読みのみということについて。
訓読みが日本人の古来の読み方であり、身近なものにつけた名前であることはご存知ですよね。で、古代の日本人にとって「海」・・今の私たちが世界地図を見て例えばベーリング海とかバルト海とかいう名前で呼ぶような海は身近ではなかったのでしょう。彼らにとって身近であったものは「入り江」であり、「入り海(いりうみ)」であり、「潟」であり、「瀬戸」や「灘」といったものだったのでしょう。つまり、広く一般的な名称としての海ではなく、もっと身近な海のあらわれ方が日本人にはあったと思われます。熊野灘とか玄界灘とか音戸の瀬戸とかそういう形での固有名詞はたくさんあることがその証拠であると思えます。明治維新後、日本人にとっての世界が広がり、世界の海を知ったときにはじめてそれらを「○○かい」と呼ぶようになったのでしょう。(ついでながら、このような海関連の地名については、高速道路の標識に出てくることはありえませんね。)
「川」や「池」や「沼」などの水関係の地名についても同様でしょう。これらは生活していく上で身近であったからこそ「○○せん」と読んだり「××ち」と読んだり「△△しょう」と呼ぶことは無かったと思われます。
また、「山」については説明が難しいですが、基本的には山は見るものであったことが大きいと思います。日本人にとって「山(やま)」とは里山であるか、おじいさんが芝刈りにいく所のことであって、風景の遠くにあってそびえ立っているものはおそらく「山(やま)」ではなく「山(さん)」であったのでしょう。この場合は「岳」と呼ぶ方がふさわしいのかもしれません。一例を羽黒三山という、修験道でなじみの山を考えますと、実際に修験者たちが修行の場とし、慣れ親しんでいたのは「羽黒山(はぐろやま、今では、はぐろさんとも言います)ですが、遠くにあって見るものとして「鳥海山(ちょうかいさん)」「月山(がっさん)」があります。
もう一つ「山」に関しては名前の呼び変えもあるような気がします。いつのころからか「××やま」というよりは「××さん」と呼ぶ方がかっこいいというような感覚ができて名前を呼び変えて行ったということも考えられます。それでもあまりにも身近なものは天香具山(あまのかぐやま)とか畝傍山(うねびやま)のように「やま」のままで残るということでは無いかと思います。
以上、例にあげた地名の変遷などについて、チェックしたわけではありませんので自信なしにいたします。
お礼
>ついでながら、このような海関連の地名については、高速道路の標識に出てくることはありえませんね。 はい、最初疑問に思ったのは、○○ヤマの標識を見てからです。「あれ、そういや、なんで山はヤマとサンが混在しているんだろう。何を基準に区別しているのかな??」ってところから、川は海はとなったわけです。 身近なものには訓読み、とのお話は「あ~なるほど」と思いました。 ありがとう御座いました。