<固有名詞にはなぜ冠詞がつかないのか>
固有名詞にはなぜ冠詞がつかないのかと生徒に質問されることがあります。(話を簡単にするために、デフォルト用法(固有名詞用法)でかつ人名の場合に限定して話を進めます)
不定冠詞の使用に関しては簡単に答えられます。固有名詞は一つしかないものなので数えることに意味がない。だから、数えられるものであることを示す不定冠詞はつかないと言えば十分です。
ところが、定冠詞の場合はそう簡単ではありません。ここで、例えばJohn Smithという固有名詞について考えてみます。John Smithは叙述の際には内包として働きますが、I saw John Smith
a minute ago. においては、外延すなわち実物を表します。実物が一つしかないのであれば定冠詞がついてもよさそうですが、実際はtheはつきません。
では、なぜデフォルト用法の固有名詞にtheがつかないのかについてご意見を頂きたいのですが、この質問は現場での実際の指導と関わるものなので、難しすぎる議論は避けたいと思います。
まず、私のやり方を示しますから、それでよいかどうか、またもっと有益かつ簡便な方法があればそれをご教示頂けるとありがたいです。
以前私が採用していたのは、定冠詞が使用されるパターンをすべて示して、固有名詞の場合どのパターンにも当てはまらないことを示すというやり方でした。この消去法的なやり方だとたしかに、固有名詞にtheはつかないと示すことができますが、なぜそうなのかは示されていません。背理法が正しい指導方法として認められるのは数学(高校では論理学は習得対象ではありません)くらいなものです。
ではどうすればいいのかということですが、おそらく、定冠詞の使用パターンをうんぬんする以前の段階を考察すること、すなわち、定冠詞使用の際の根本原則と固有名詞の有り様との関係に焦点を当てることが必要なのではないかと思います。
この問題はおそらく次の問題とも関係があると思います。
A: "I saw John Smith at the station before noon."
B: "Really, I saw him / John Smith at the crossroad a few minutes ago."
AにおいてJohn Smithが初出のものだったとしても、一つしかないものであるにもかかわらずtheはつきません。なぜなのでしょうか。
おそらく、John Smithは言語共同体の中で、この場合は特にAとBの対話空間において、一人しか存在しないものだと互いに了解ずみなのだと思います。John Smithという名を聞いたBにはその名の人物を思い浮かべることが可能なので、そのため、Aの側があえて定冠詞をつける必要がないということだろうと思います。
また、Bにおいて、John SmithはAにおけるJohn Smithと同一人物なのにhimは使えても、the John Smithとは言いません。なぜなのでしょうか。
一般に、固有名詞を作る時(誰かに名づけを行う時)、名づけ人を含む言語共同体によってその名とその名を授かる人との結びつきを承認します。その時点で、固有名詞は言語共同体内ですでに了解ずみのものとして扱われます。その後、固有名詞が大文字で表記されるようになり、どの共同体においても固有名が実際の使用前にすでに了解ずみのものと見なされることになったものと推測されます。
一方、定冠詞は、(私の見解では)対話空間内で未知のものを既知のものとして、および、言語共同体の言語知識集合内で未了解のものを了解ずみのものとして扱うためのに存在するものだと思います。実際の使用前にすでに了解ずみのものである固有名詞に定冠詞がつくことはないと考えられます。よって、the John Smithとは言えないということになります。
この考えでよいでしょうか。
もう一つの考え方を提示します。
C: A John Smith came to see you. ---普通名詞用法
D: John Smith came to see you.
Cにおけるa John Smith は限定詞(ここでは不定冠詞)がついているので客体的なもの(時間と空間を持ち、言語使用者からは隔たりを持つものです)としてとらえられています。DのJohn Smith には冠詞がついていないので、客体的なものではありません。
ということは、John Smith が言語使用者からは隔たりを持たないものであることを示せばよいはずです。
そもそも固有名は誰かによって名づけられるものです。名づけは対象物に対して特別の関心を抱くことによります。名づけは関心ある対象物を記憶にとどめるためでもあります。関心を深く持つとき、対象物に期待や希望を込めることもあります。
(このことは特に人名について言えることですが、地名はどうなのでしょうか。地名はその土地の地形や性質や歴史を解釈し、それを抽象化したものだと思いますが、ただの山やただの木に対して名前をつけることはありません。名をつけることでそのものに対する関わりの深さを表すのではないかと思います。五郎谷、イノシシ山、二本松峠とか---)
あるものに名づけをなそうと思うくらいに関心を持つ時、そのものに対して客体的な(傍観者的な)あり方を取ることはありえません。よって、名づけられた固有名には、それがデフォルトの用法である限り、限定詞(冠詞)はつかないということになります。この考えでいいのでしょうか。
ついでにこの問題と関連して、取り上げておきたいことがあります。
E: "Father has just come home, Mother."
において、Motherは呼びかけ語なので話者におって特別の関心を持たれています。よって、無冠詞です。同様に、Waiter. Bring me wine please. おいても無冠詞のwaiterが使われています。
呼びかけの際には、呼びかけ者は相手に特別の関心を払うので、呼びかけ語は固有名詞と同じ働きのものだと思います。
EのFatherもおそらく元は呼びかけ語として使われたものが、こうした形で転用されるに至ったものだと思われますが、この場合もFatherは話者にとって特別な存在です。固有名詞と同じ働きのものだと思います。
F: Santa Caus is coming to town.
G: Santa Caus is in flight on his sleigh.
Fにおいてtownは話者にとってなじみ深いあるいは親密な場だと思います。Gにおいて flightは主語が現在携わっている行為のまっさいちゅうであることを表しています。これらは固有名詞ではありませんが。固有名詞にtheがつかないのと同じ理由(これらの名詞が客体的な対象物ではない)で定冠詞がついていないと思われます。いかかがでしょうか。
お礼
教えていただいて、ありがとうございます。助かりました。