こんにちは。
版籍奉還直後奈良には一旦「奈良府」が存在したことがありましたが、これはまだ「藩」が残っていた時期ですので、現在の奈良県とは範囲が大分違います(大和国の中の天領だった中に置かれたので随分小さいものです)。
その後明治四年に大和国の各藩を合併して「奈良県」となりましたが、明治九年には現在の大阪府の大部分と共に「堺県」になってしまいました。
更に明治十四年には堺県全体が「大阪府」とされましたが、治水事業を重視する河内・和泉地方と道路整備を行いたい大和地方の思惑が対立するなどして、二十年にようやく大和が晴れて「奈良県」として独立することが出来ました。
その時「奈良府」への昇格運動も一部では起こったようですが、運動自体もそう大きなものではなかったようで、「奈良府」が実現することはありませんでした。
結局はこういった紆余曲折を経たことや、近代においては時代の波にやや乗り遅れがちな地理的条件となってしまったことなどが原因といえるのかもしれませんが、「府」に昇格することによるメリットをさほど見出せなかったようなこともあるのではないでしょうか。