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五文型、群動詞の考え方について "He lives in Kobe."
五文型、群動詞の考え方について質問があります。 動詞+前置詞(副詞)の形を群動詞と見る判断の仕方がよくわかりません。 "He lives in Kobe."を S+V+前置詞句 と見るべきか、 "lives in"を群動詞として一つの動詞と考えて S+V+O を見るべきか、どちらが正しいのでしょうか? お手数ですが、お願いします。
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Gです。 今すがすがしい気持ちで皆さんの回答を読ませていただきました。 文法は使わなくては正しくない、ではなく、単なる理解の道具に過ぎない、だからいろいろな解釈も出来るし、日本の英語教育が必要以上に時間を費やしている、と気がついている人が多くなったと言う事でしょうね。 「正しい英語」「正解」にこだわり続けてきた人もこのカテでいましたね。 <g> He lives in Kobe. ですが、はっきり言って、どう文法的に解釈しても良いという事になるのです。 これって本当に学生さんには無責任な言い方だと思いますが、誰かが言わなくては(もう多くの人が言うようになりましたが)教育方法は変わらないと思います。 だからこそこのカテは多くの人に英語と言うものの面白さや勉強のし甲斐をガイドしてくれるいいサイトだと私は思のです。 (荒らしも非常に少ないカテだと思いますしみんな無視していますし、管理者の方々の努力も見られます) なぜ私は自動詞プラス前置詞の組み合わせが「群動詞」としてみると「便利か」というとネイティブがどのように頭の中で文章を理解しているかと言う事が理解できるからだと思います。 He lives in Kobe. を群動詞にするとどうかと言うと、聞きながら理解をしていく「順序」を見ると、live inとして理解しているとは私には感じないのです。 He 彼 lives すんでいる in に Kobe 神戸 あるいは He lives in Kobe と言う具合に理解していき、 He lives in Kobe と理解していくと言う事はしていないような気がします。 (していない人はいない、ということではなく) つまり、自動詞としてのliveの感覚が非常に高く感じるのです。 inhabitではどうかと言うと、この単語の後に何か来るな、と感じるのですね。 だから、日本語で言うと「に住んでいる」と感じるのですね。 これはhave been toとhave visitedと言うのと同じ事だと思います。 これを文法学者は「感じた」ので文法を作るときに「自動詞」「他動詞」と言う用語を作り出したのだと思います。 私自身「自動詞」「他動詞」と言う用語自体がおかしい名前であると思いますが「今から変えるには遅すぎる」と思います。 他動詞とされるinhabitは別に「ほかのものを動かす」わけじゃないですね。 しかし、単なる名前だと理解してしまうしかないと思います。 (田中さんが別に田んぼの中に住んでいるわけじゃないし<g>) ただ、目的語と呼ばれるものが来ると感じる動詞だということになります。 このカテで文法の事になると、質問者が締め切らないと、どんどん回答が増えていってしまうという現象はそれだけいろいろな解釈の方法があり、また、それだけ、英語を理解している人が多くなったという事でもあるからだと思います。 英語を理解すればするほど、文法と言うもの自体が決定的なものではないことに気がつくわけですね。 >「意味やニュアンスを考えることなく、形だけから文法を考えるのはナンセンス」だといっているのだと思います。 そう言うことになるわけです。 He ate a car.は文法的にリッパな英語(みたい)ですね。 でも言葉としての英語としては全く意味を成さない文章であるわけで、drive a nailと言うと???となるかもしれませんね でも分からない事もないな、となりますね。 He drives a nail into his coffin.ではどうでしょう。文法的ににSVOとしても良いかもしれませんね。 しかし、これをどう言う意味で使われているかを理解するか、の方がもっと大切であるかと言う事が分かると思います。 一番簡単な事は「慣用句」として扱ってしまう事です。 つまり、これを使う人のフィーリングを日本語で表すことです。 (私がフィーリング、フィーリングと言う必要のない「理解」です) この文章は「自分の命を縮める」「悪い方向へ持っていっている」と言うフィーリングですが、これを「わざわざ説明する必要はないのです」。 棺おけに釘を打つ、と言う事だから、自分の寿命を縮める、と言う意味なる、と言う事で説明している人もいるのではないかと思いますが、もう少し良く見ると、自分が入る棺おけに釘を打つ事は出来ないはずですね。 打ったら入れなくなります。 <g> と言う事は、もしこの文章が、(仮にです) 「自分は絶対に死なないぞ! ふたを閉めたら俺は入れないだろう!」と言う意味であったとしたら(仮定法です)もっと理解しやすいですね。 でも、そうではないのですね。 つまり、自分で自分の棺おけのふたをするようなものだ、と言う私は「こじつけらしき」理解はする必要はない、と言うわけです。 私は「雑学的記憶倍増理解方法」でもよんでも良いでしょうね。<g> あくまでも「寿命を短くしている」と言うフィーリングがあるときに使う表現である、と言う事に過ぎないのです。 文章を分解して「形から」意味をくみとろうする事は「時間の無駄」になる事が多すぎる、と言う事になるわけです。 慣用句と言うとちゃんとフィーリングを覚えるのです。 なぜ、同じ事をほかの表現でもしないのか、と言うのが私の言いたいことなんです。 「習うより慣れろ」も結局同じ事ですね。 「子供が習うように」も全く同じ事です。 だからこそ、He/lives/in Kobe.と言う区切れが自然に感じるのではないかと思います。 しかし、He/live in/Kobe. He/lives in/an appartment.と言うように区切っても誰も間違いだと言う人はいないでしょう。 さらにHe lives/in Kobe.と言うような区切りをして、主文句・副文句なっている用語を作る人も出てくるかもしれませんね。(I left my heart/in San Francisco.みたいに) Gの独り言でした。
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- TonyB
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しょーもない訂正ですが、 余談の部分で Er fahre die Katze um. Er umfahre die Katze. 人称と時制がめちゃくちゃでした。 fahrt:fahrenの三人称単数現在=runs(drives)です。 Er fahrt die Katze um. 「彼は、猫を跳ね飛ばして、車で行く」 Er umfahrt die Katze. 「彼は車で、猫を迂回する」 だから長いこと勉強していないドイツ語を使うなんて・・・反省。
- TonyB
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"He lives in Kobe."を S+V+前置詞句 と見るべきか、 "lives in"を群動詞として一つの動詞と考えて S+V+O を見るべきか、どちらが正しいのでしょうか? 答えはありません。 私は原則的にS+V+前置詞句としてみておけばよいと思います。 意味やニュアンスをよく考えて、「動詞+前置詞がひとかたまりと考えるしかない」くらいの強いつながりがあるものは、どちらかといえば例外的で、原則としては動詞/前置詞+名詞(前置詞の目的語)、または(動詞+副詞)+名詞(動詞の目的語)と考えておけばよいと思います。 狭い意味での(分離できない)群動詞の例としては、 look for put up with look after などを特別な意味(まとめて他動詞として意味を持つとき)で使ったときです。 Ganbatteruyoさんは、「どのように動詞を・群動詞を解釈するかによってどの文型として理解するかと言う事であり、だからこそ、文型自体にいろいろな理解が出てくる」と説明なさいました。しかし、それは、Ganbatteruyoさんが「文法的事項を考えることが無意味だ」といっているのではなく、「意味やニュアンスを考えることなく、形だけから文法を考えるのはナンセンス」だといっているのだと思います。 wind-sky-windさんも「目的語があれば他動詞と割り切って考えられるのが英語ですが,それでも,「自らが行為を行う」という自動詞と,「他者に行為を及ぼす」という他動詞の区別はすべきだと思います。」と同じく意味抜きで形だけから割り切るのはよくないとお考えのようです。 文法は、文章を誤解なく受け取り、伝えるために大切なことですが、文法のために文章があるのではないのです。意味について考えることなしに文法規則だけでパズルを解くようにはいかないのが言語というものだと思います。 ではご質問に戻って、"live in"に他動詞として特別な意味を考えるほど強いつながりがありますか?Kobeの存在が変わってしまうほどのウルトラ大豪邸を建てて「お住まいになる」という意味を考えるならいいかもしれませんが、「He livesでまあ言わんとすることが掴めて、それがin Kobeである」と一区切りを考える方が自然だと思います。 いみじくもそれがPoerさんのおっしゃった、inhabitとの違いだと思います。「ある(街の様子が変わるほどの)集団がそこを居住地とする。」ということですから、なぜ他動詞として機能しているかは理解しやすいことと思います。 He ran over the/a cat.という文で"run over"は群動詞でしょうか?では何文型の文を作るのでしょうか?(この質問の無意味さがお分かりになりますでしょうか) He ran over the cat. 「the catが轢かれた」ことにウエイトがある=run overという分離できない他動詞(アクセントはover)として機能させたい。 このときには、The cat was run over.という受身の文が可能。 He ran over a cat. 「Heが轢いた(車で走り抜けた)」ということにウエイトがある=He ranで一区切り、場所がover a catとして自動詞(アクセントはrun)として機能させたい。 このときには、A cat was run over.という文に意味がない。 the catだから他動詞、a catだから自動詞というのではなくどこに重点があるかどうかです。続く文章でthe cat・・とcatに引き続きウエイトがあるのなら、heよりもa catの方に視点がいっているので、他動詞として考えられる訳です。 他にもいろんな使い方が可能です。意味を考えることなしに「群動詞だから・・・」という考え方は成り立たないのです。 He ran water over the burnt skin. He ran over the important point. He ran over to the shop. 余談: 英語の文法の骨格は直接的にはドイツ語やフランス語の影響があるのですが、ドイツ語には分離動詞というものがあり、ちょうどこの群動詞にも似たところがあります。 (注・・・Er:He、fahre:runs(drives)、die Katze:the cat、um:round) Er fahre die Katze um. 分離した場合、umの部分は後ろに行ってしまい、英語で言うと、他動詞+副詞的になる。 「彼は、猫を跳ね飛ばして、車で行った。」 Er umfahre die Katze. 分離しない場合は、それでひとつの意味を持つ単語になって、「迂回する」という意味になる。 「彼は、猫を迂回していった。」 ドイツ語は形で判断ができますが、英語は文法のルールが甘くなったぶん、曖昧さがあるのでそのつど意味を考えないといけないですね。どちらが面倒なのでしょう? 日本の英語教育は文法偏重などと言われます。学習してゆく上で文法的理解は不可欠なのですが、文法文法という割には、この質問のような疑問にすんなり答えられる文法知識って教えられていないですよね。 学習初期にしつこく文法を追求する必要はないですが、学習が進んで疑問がでるようになってきても「そういうものだからおぼえること」で片付けられてしまうことが多かったです。本当のところ教師が文法を理解していないために非効率的な教え方しかできていないのではないでしょうか?私はそれですっかり英語嫌いに・・・ 取り留めのない説明と感想でしたが、こういう疑問をヒントに楽しく英語を勉強してください。
- mryokko
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参考までに・・・ ○This is the house in which he lives. ?or× This is the house for which we've been looking. liveとinは分離可能(live単独で「生きる、生活する」が成立) lookとforは分離すると不自然(look単独では「見える、様子をしている」) という語感があるようですが、私だけかな?
- Poer
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(文法的というよりも、少し感覚的な説明になってしまいますが、追加情報として付け加えさせてください) Some Native Americans inhabit reservations.「特別保留地に住んでいるアメリカ先住民もいる。」 inhabit((集団的に)…に住む)という動詞が使われたこの文が、SVOであることを否定する人はいないと思います。しかしそもそもこのような他動詞というのは、日本語に訳したときに少し違和感を感じるのではないでしょうか。よく見慣れたlive inであれば、 live→住んでいる in→に というように、日本語にすると動詞+前置詞(→日本語の助詞)という分割したイメージを持つことができますが、inhabitという単語ではそれができません。そこに違和感を感じるのだと思います。 I almost ran over a cat. を、「もう少しで猫を越えて走る(自動詞的)ところだった。」と訳すよりも、「もう少しで猫をひいて(他動詞的)しまうところだった。」と訳す方が日本語らしいのは明白です。 こう考えると、自動詞+前置詞、群動詞、どちらの考えを採用するかは結局のところ個人の考え方によると言えますが、日本語で考えたときにどちらが便利かということを規準に考えるというのも一つの方法ではないかと思います。
- wind-sky-wind
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自動詞+前置詞を一つの他動詞として考える傾向が強まってきているようです。 辞書でも,「準他」と表記しているものが多く,最近では,「他」としているものもあるようです。 この傾向はあまりよくないような気がします。 確かに,「開く」「開ける」と使い分ける日本語に比べて,目的語があれば他動詞と割り切って考えられるのが英語ですが,それでも,「自らが行為を行う」という自動詞と,「他者に行為を及ぼす」という他動詞の区別はすべきだと思います。 特に live in のような場合,in は場所を表す前置詞であり,live とのつながりよりも,後の名詞とのつながりが強く,live in というかたまりにすることに抵抗を感じます。 put on a dress → put it on という他動詞+副詞との語順の違いを考えても,区別すべきだと思います。 同じ自動詞+前置詞でも,look for のようにひとかたまりで,無理なく受動態にできる場合(It was looked for.)は若干抵抗は感じなくなりますが。このような動詞句ひとかたまりで受動態にする場合には,便利な考えだと思います。 時間がないので,続きは締め切りになっていなければ後ほど。
- Ganbatteruyo
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Gです。 こんにちは。 私も#1さんに100%同意します。 私の言葉では、自動詞に前置詞を持ってきて他動詞的に使う、と言う表現をしますけど、 群動詞という単語を作り上げて同じ事を言っているに過ぎません。 その方が「学術的」に聞こえるからでしょう。 よって、どのように動詞を・群動詞を解釈するかによってどの文型として理解するかと言う事であり、だからこそ、文型自体にいろいろな理解が出てくるのでしょう。 (いらないという人もいるわけです) これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
どちらでもいいんですよ(^^) どちらとも取ることができます。 群動詞そのものが、そういう風に取ることもできる、という一つの考え方で、そう考えたほうが便利な事があるという程度のものですから、群動詞だと考えなければいけない時、ということはないはずです。 専門的には色々あるのかも知れませんが、少なくとも僕はそう考えて文法問題で困ったことは一度もありませんよ♪