今晩は。
これは地理院の1万分1地形図でも持っていないと答えられませんね。地理院のサイトで見られるのは2万5千分1ですから、使えませんし。
ということで止むを得ず手持ちの民間版の非常に古いけれど大縮尺で、等高線や標高がきちんと入っている地形図を参照しました。ところがこの標高がなんと「尺」で示してあるという代物で、自分自身この数字は一体何だろうと首をひねる始末。
とにかく答はこんな感じです。坂を登ると大体平坦になっていて、それが114から115(数値としては小数点以下2桁まであります)。一方下の方は、当時まだ明治通りが宮益坂の通り以北は存在していないのですが、現在の東急ビル東北角のところに標高点があります。ここが55になっています。
概算になりますが、
115-55=60
60×30.3(cm)≒18.2
ということで18メートルというところでしょう。
古い地形図だから変化しているのではないかという意見もあるかもしれませんが、このように道路になってしまってずっとそのまま使われ続けているところは、それほど変化していません。
それにしてもこの地図で見ると、御嶽神社の北側は農園、更にその北は広大な梨本(戦前の梨本宮)邸、渋谷郵便局は市場だったとあります。とにかくすごい変貌振りです。
最新のデータは大きな書店の地図売り場にでも行って、1万分1地形図を見てください。
お礼
ご回答ありがとうございました。 調べ方もよく分かりました。