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人間と動物はどちらが幸せですか
猫を飼っているのですが、それを見てふと考えてしまいました。 人間と動物はどちらが幸せなのでしょうか。 どなたか教えてください。よろしくお願いします。
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もちろん『猫』です!!! 腹が減っても、寝る場所がなくても、友達がいなくても、死を迎えても、それらを素直に受け入れて悩む事はありません。 幸せとは悩みのない状態の事ですから、人間が幸せなのは物心が付くまでのわずかな期間だけなのに対して、猫は生まれてから死ぬまで一生幸せな心理状態で暮らすことができるのです。 悩んで不平ばかりを言う人たちに対して、仏教もキリスト教も、『現実を素直に受け入れなさい!そうすれば、悩みも無くなり、幸せになれる!』と説いているじゃないですか! 煩悩(悩み)のない世界、それが悟りの世界であり、幸せな状態なのです。 何の悩みもなく、陽だまりで寝ている姿、あれが幸せな姿でなくて何だというのでしょうか。 まさに悟りきった姿でしょう。 あーあ、私も猫になりたい!!!
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これは、簡単で、人間です。 動物の状態、環境を正確によく観察してみましょう。 例えば、ペットとして飼われても、人間のエゴにより、勝手に扱われるし、食事も人間が、与えるものだけ。 性欲は子供を生めないように去勢はされる。 猫は自由奔放に見えるが、やはり同様、犬はロープにつながれて自由に動けない。で、大きなものは、人生最後の"死"を人間のエゴにより勝手に殺されてしまう。つまり天命??というものが、あるとしても、極わずか。 又、ペットとして飼われれば、まだましな方で、野生の動物の場合は、弱肉強食の掟に縛られ、常に恐怖をもって生きているといわれていますし。 哲学的に考えた場合、特に仏教ですが、人間は仏陀釈迦無二等のように、来世というものが、存在し、喜び多き天界へと至る可能性はなくもないですが、動物、いわゆる"三悪趣(あくしゅ)"に転生した場合、その三悪趣(地獄、餓鬼、動物)を流転し、最後には地獄へ至る道筋が、あります。 この可能性だけでも、ふたつを比べた場合、人間の方が、ベストですよね・・いかが、でしょうか?? 一応、哲学のカテゴリーなので、哲学的に回答してみました。それは、あしからず。 以上
補足
人間の立場から動物の思考を考えると、やはり人間よりの考えになってしまうのではないかと、考えてしまいました。 仏教お話は非常に興味深いものがありました。 三悪趣…恐ろしいです。 ご回答ありがとうございます。
- tomy41
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#2です。 幸せとは自分が幸せだと思ってる場合に幸せなんだと思います。 お金がなくて食べ物に困ってても環境に恵まれていなくても、 本人が幸せだと思えたらそれが幸せなんだと思います。 そう考えた場合、人間同士でもとても比べられませんよね? 見えるものでもなければ単位があるわけでもない。 他人が判断できるわけでもないわけです。 猫の場合はおそらく幸せという感情を持ったことがあるかすら怪しいですよね。「幸せ」という感情は非常に人間的な感情だと思うので、人間的な「幸せ」というものを猫に当てはめるのはどうかと思います。 近い状況としては「食べ物に困らず」「配偶者に困らず」「自分を死に追い込むものが居ず」「快適な環境に生きている」ことが幸せなんだと思います。
補足
猫の場合、幸せという感情を持っていないと仮定すると 不幸という感覚もやはり持ち合わせていないように感じる為、 「やはり彼らは幸せかも」と感じてしまいました。 回答者様の言う通り、猫には人間的な幸福は当てはまらないのでしょうね…。 「幸福ということを想定していないことが逆に幸福なのだろうか」 等と考えてしまいました。 ご回答ありがとうございます。
- nisekant
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回答ではありません。 長期変化──スウェーデンの神経学者ライランダーは、彼の患者の術後の長期変化を不器用、情緒的不安定、癇癪、陽気、楽観性と特徴付けている。フリーマンとワッツは、彼等の患者がよく訴える健忘性は実は注意散漫であると述べている。 フリーマンとワッツは、不器用さや物臭さは数ヶ月後にはあまり目立たなくなると報告している。しかし、未来に結び付く関心や野心を回復することにはいたらなかった。患者は就職の必要に気付いていたが仕事を探す計画はもたなかった。彼の心は漂流しているのである。 ライランダーは、内省的な患者は「以前のようには感じられない」 ことに気付き、「何かが失われ、真の幸福も深い悲しみも感じられなくなった」ことを意識していることを発見している。手術に付き添った看護婦は「この患者の気持ちについていけなくなった」とコメントした。フリーマンとワッツによると、ロボトミーの手術を受けた患者はよく笑うが泣くことは稀だった。 術後の患者に対する家族の反応について、ライランダーは「彼女は私の娘ですが別人です。肉体は私の傍にあっても心は失われままです。昔の豊かな感情や優しさはなく、今の彼女は取り付く暇もありません。という母親の感想を記録している。ライランダーは「彼の魂は破壊されました」という他の患者の言葉を引用しながら、彼自身の観測を野心、読書、人間関係、社会問題への関心の喪失、と特徴付け彼の患者を幾人かは「夢見る能力」を失ったのだという。 ロボトミーの反省と総括──ロボトミーが「人格」に与える影響への反省から、ロボトミーを続けることに意味がないと結論されたのは1948年である。 フルトンは、ロボトミーの臨床的観察や動物実験の結果から前頭葉の背側部は知的活動を、腹中部は情動活動と内臓機能を支配していることを明らかにした。マッキンタイヤ達は、 前頭葉の腹中部だけを凝固させる方法を患者に適用した結果を報告している。被験者は不安と緊張の悩みを訴える患者に限られたが、そのうち重症の患者の一人は第二象限の凝固措置後に「これは不思議だ。もう心配はない」と医師に話し、他の患者も術後に不安を訴えなかった。 多くの症例を手掛けるうちにフリーマン達は、ロボトミーが多くの患者を苦痛から解放することに気付いた。ホワイトとスウィートは、ロボトミーの効果は患者から「不安、落ち込み、動揺」を除くことと結論した。ホワイト等は、特に胸部右上腫瘍と気管が圧迫されて窒息死するのではないか、という不安に駆られていた患者が前脳左側のロボトミーによって「死の幻影」から解放された事例をあげている。 チャップマン達が報告した患者は、前頭葉切除手術ののちに苦痛を感じているように見えなかったが質問されると以前より悪くなったと返答したという。このことから、苦痛には生理学的なものと心理学的なもがあることがわかる。 フルトンは、生理学的な苦痛の解放は「深い痛み」を感じる内臓感覚受容系から前頭葉に向かう伝達路の切断によるものだと考えた。一方、心理学的な苦痛(苦悩)は、顆粒状前脳皮質が現在および過去の経験 から未然の痛みを予期する特別の機能をもっているという前提に立っている。悩みとは未来に起こりうる有害な出来事に対する予告であり警報であり、恐れとほぼ同じである。ロボトミーを受けた患者は未然の痛みに備える鎮静剤に関心を示さないという報告もある。ロボトミーを受けた患者は自分を未来に投射することができない。 自意識は、外部体験(環境との相互作用)と内部体験(内省)の前脳皮質内での統合から生まれるものと考えられる。従って、この部分のロボトミーによって自己同一感覚が失われ、患者は内部または外部環境だけに支配されるようになる。前頭葉の発達レベルの違う動物の呼吸や脈拍の外部ショックによる乱れと回復から、例えばネコは痛み、サルは悩むことがわかる。第一のショックを受けて第二の再来を悩む能力はネコでは五分間以上持続せず、サルは一日くらい悩むという。
お礼
動物も悩む、ということでしょうか。 そうなると、草花は悩まないので幸福なのかもしれないと考えてしまいました。 ご回答ありがとうございます。
- mijinco
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あなたに飼われている猫は、きっと幸せです。 でも、幸せはなかなか比べられないんです。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- tomy41
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幸せとは何ですか?
補足
質問者様が思う「幸せ」で結構です。
- c-style
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幸せなのは人間です。 しかし不幸なのも人間です。 動物にはそういう思考はありません。 恋愛もないですし欲もありません。 生きるために食べる。子孫を残すために子供を産む。 それ以外余計な事は考えません。 行動に理屈がないのです。 人間は全ての行動に意味を求めます。 そして自分の見栄と欲のために必要以上の無駄と破壊を繰り返します。
補足
幸せと不幸という概念が、もはや動物には無く、人間にしかないような気がしてしまいます。 とは言え、同時に私が人間的な感覚を持っていたいと思うのは 回答者様の言う通り見栄と欲のために必要以上の無駄と破壊を繰り返したいからなのかもしれません。 …と、考えてしまいました。 ご回答ありがとうございます。
補足
なるほど…幸せと不幸という感覚を持った人間は 猫に比べてなかなか悟ることは出来ないのかもしれませんね。 ご回答ありがとうございます。