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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人の死とどう向き合っていますか?)

人の死と向き合う方法と感じ方

このQ&Aのポイント
  • 人の死とどう向き合っていますか?家族や友人を病気で亡くした経験を持つ人は、その死に対してどのように感じているのでしょうか。身近な人を失うことによる心の変化や、死と向き合う上での悩みなどについて話し合いましょう。
  • 人が亡くなることは避けられない現実ですが、その死に対してどのような思いがあるのか、また死の感じ方は人それぞれであり、それによって人間関係にも影響が出ることもあります。自分自身が変わった気がすると感じたり、将来の自分の死について考えることもあるかもしれません。身近な人を亡くされた方々の経験や感じていることを共有し、お互いを理解しあうことが大切です。
  • 人の死と向き合うことは、誰にとっても難しいことです。特に家族や友人を病気で亡くした場合、心に大きな影響が残ります。自分の一部がなくなったような感じや、変わったと感じることもあるでしょう。また、周りの人が次々と亡くなっていくことに対して不安や恐怖を感じることもあるかもしれません。しかし、人々は死と向き合いながら成長し、新たな人生を築いていくことができます。悲しみや悔しさを共有し、お互いを支え合うことが大切です。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#33169
noname#33169
回答No.3

3ヶ月前に大切な方々を亡くされたとのことですが、 3ヶ月前というと、ほんのつい最近のことという感じがしますよね。 私も、1年前くらいに家族が、亡くなるような年齢でもないのに 何の前触れもなく急逝し、 質問者様と同じく、自分の一部がなくなってしまったような 感覚に陥りましたし、自分の周りの世界が大きく歪んでいる ような感じがしました。今でもあります。なので、質問者さまが お辛い気持ちはよくわかります。 本当に本当に信頼のおける友人に気持ちを打ち明けることは 間違いでないと思います。 自分の場合は、一緒に泣いてくれた友人もいましたし、 ほんとうに心が救われるような言葉をかけてくれる友人も いました。もちろん、それだけで気持ちが前向きになる、 ということは、まずないと思います。だって、本当に本当に 大切で、かけがえがなくて、回復不可能な宝物を失くしたの ですから。 無理に前向きになろうとせず、日々淡々と過されていく ことをおすすめします。そんなときに落ち込むのは、 まったく当然のことで、しかも、故人に愛されていたからこそ 落ち込むのです。悲しみの大きさは、その人に愛されていた 大きさに比例する、とものの本で読みました。そのとおりだと 思います。 無理して忘れようとする必要もなく、 無理して前向きになる必要もなく、 その日できるだけの気持ちで、日々の仕事など、自分の本業に 携わっていく、それしかできないと思います。 ですから、質問者様が、誰ともそのことは話したくない 気持ちなのであれば、自分の中だけにそっとしまっておいても いいし、誰かに話したくなったのであれば、本当に 信頼のおける人にそっと打ち明ければいいと思います。 ご参考になれば。

pie3
質問者

お礼

>悲しみの大きさは、その人に愛されていた大きさに比例する 初めて聞いた言葉ですが、かなり救われました。 故人はいい人だったし、自分との関係も良好だったので。 私は割と極端に、周囲に話したくない方です。 動揺している自分を、見られたくないというか・・・。 そんなこともあってこちらに相談しましたが、 経験者の皆さんの言葉に助けられています。 ありがとうございます。

その他の回答 (6)

回答No.7

pie3さんこんにちは。 私も身近な人を何度か亡くしています。 一番古いもので、小学校3年生の時に3才だった従兄弟が交通事故で。 近くに住んでいて毎日一緒に遊んで、とてもなついてくれていただけに (また、「死」なんてもの触れたこと、考えたこともなかった年齢だっただけに) 突然の死の衝撃は大きく、受け入れ難いものでした。 彼の死が理解できないし、自分やそのほかの人も全ていつか死んでしまうということに気づいてそれがたまらなく恐ろしかった。 親にも聞けないし、友達はそんなことを考えていないし。 すごくもがいた気がします。 で、当時結局たどりついたのは、「天国に友達がいる」というシンプルなものなのですが…。 いつ死んでしまうかわからない、だから私もせいいっぱい生きようと思えるようになりました。 (小学生なのに作文とかで熱く語れるようになってしまいました) 今は、わたし自身のことは、この世に無数に存在するちっぽけな生命の一部なのかなと思っています。 (ちっぽけだからこそ、日々悩みは尽きないのですが) たくさんのいのちが日々生まれ、そしてなくなる。そのひとつにすぎない。 でもやっぱり誰かの死は辛くて、悲しくて簡単には割り切れない。 でもそれを悼み悲しんで思い出して、惜しむ心はきっと届いているんじゃないかと思います。 いつか会えるんだな、きっと見られてるぞって勝手に思って、自分を引き締めます。 落ち着いた頃「対象喪失」という本を読んでみたらどうでしょう。 死ってやっぱり生きているもの全てに訪れるもので、その恐怖や喪失の悲しみを克服するためにいろんな文化や宗教などが生まれているみたいです。 なんかまとまりのない文章ですみません。 きっと一生わからないことなので、いろいろ考えちゃうんですよね。 でも考えることはきっと無駄じゃない気がするのですよね。

pie3
質問者

お礼

私は子供の時だったら、とても理解できなかったと思います。 この年でも、あの世のことを考えたり、 いやいやそんなものないから、と否定したり、 ぜんぜん子供と反応は変わりませんが。 本の紹介ありがとうございます。 もう、回答はないかもしれませんが、 もうすこし締めるのは後にさせて下さい。

  • sora2160
  • ベストアンサー率35% (33/92)
回答No.6

お悔やみ申し上げます。 私自身も、経験があるので、もしよければ目を通してください。 私は、高校生の頃友人を失いました。 それも、自殺でした。 また、知り合ったばかりではあったけどとても良い関係を築けると思った彼を事故で亡くしました。 それはそれは、辛いという気持ちなのか何なのか分からなくなるほど生きてる心地がありませんでした。 それから私は色んな本を読みました。本を読んでいくうちに、いつの間にか冷静に死を。。。多分受け止められたのかなと思います。 向き合うことは今でも出来ない。ただ彼らが安らかに死を迎えられた事を願っています。 「きっと死ぬこともその人の人生の一部なんだ」というか・・・ 死ぬことは決していけないことじゃない、悲しいけど不幸な事じゃない、って思えるようになりました。 きっといつかあなたなりの答えが出ます。

pie3
質問者

お礼

辛いことを思い出させてしまってすみません。 お読みになったのは、哲学や宗教の本でしょうか? もともと本や映画が好きなのですが、現在、 人の死に関する映画、本、ドラマには 拒否反応というか、無性に腹が立ってしまう状況で、 信頼する作家のものだけを細々と読んでいます。

  • miina02
  • ベストアンサー率25% (218/849)
回答No.5

 同年代の方が亡くなったという経験がないので難しいのですが。  私の祖父母は癌や痴呆で、亡くなる前はそれなりに辛かったようです。ですから「お疲れ様でした。楽になったね」と自然に思えました。  だから「どうして死んでしまったの~」って泣いている人を見て、これ以上苦しめなんて言えないよと感じていました。まぁ、長寿の家系ってこともありますけど。  事故とかで突然亡くなったら…受け入れられるか不明です。  ただ、同居していた祖父母については、亡くなったというより、どこか遠いところにいる(遠い病院に入院していて会えない)ような感覚です。  その点では、私自身も死を受けているかどうか分かりません。

pie3
質問者

お礼

確かに、遺族同士でも温度差みたいなのはありますよね。 私自身は、動けなくても、意識がなくても、 もう少し生きていてほしかったなあと思っています。 亡くなる前に、「延命措置はしなくて良いですね」と お医者さんに念押しされたのですが、 家族で私だけ即答できませんでした。

  • chikoland
  • ベストアンサー率15% (3/19)
回答No.4

そうですね。確かに身近な人亡くすと しばらくの間は『死』っていうものを深く考えさせられます。 私も19歳のときに6歳離れた兄をなくしました。だから気持ちよく分かります。 今年が17回忌です。一緒に仕事して、ちょうど兄と約束を交わした後,突然の事故死。朝、笑顔で、おはよう!じゃ、お前も早く帰れよ。店頼むな!って出かけた次の朝には無言の帰宅でした。皮肉にも葬式の前日に交わした約束の書類が届いたのです。 だから、他の姉妹よりも、ひどく落ち込み私も死んでもいいやなんて思ったりもしました。その頃の記憶って両親がどうしてた、兄嫁はどうしてたとか、他の姉妹はどうしてたかなんて全然ないです。それぐらい、わけわからなくなるのですから。。。 無理に受け入れなくていいですよ。何も下手にジタバタしなくていいですよ。時間が解決してくれるみたいです。私の場合は兄が居なくなったことがどっかで単身赴任で居るような錯覚になってきて、自然と死んだと認識できるようになっていました。あれから17年。とっくに兄の年齢を抜いてしまい、すっかりおばさんになってしまいましたが、私の中の兄は時々私の様子を見に来てるような気がします。ってか来て欲しいんですけど。そんな兄にやはり私も話しかけますけどね。。。 また、二歳の娘と生まれて2ヶ月の子を残して死んだ兄のお嫁さんはわたしとは また違う悲しみをもってたことでしょうね。あの義姉も再婚せず兄が単身赴任でもしてるかのように私の実家で両親と暮らしてくれてます。実の娘以上に娘になってるみたいです。 人の死は 死んだ人の身をもって何かしらを残った者に教えてくれてるのかもしれません。ですから、いまあなたが考えてることは学びなのかもしれません。時間はかかると思いますが、また本来のあなたに戻れるときが来ます。時の流れに任せてください。

pie3
質問者

お礼

悲しい経験を話していただいてありがとうございます。 働き盛りの事故、 周りの方もショックが大きかったことでしょうね。 私は幸運にも(?)この年ではじめての経験で、 何かを学ぶどころではなく、ただおろおろしているような 情けない状況です。

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.2

こんにちは。 うちは死ぬと「おめでとう」と挨拶するので(笑)。。。 お判りだとは思いますが神道です。 まあ、神様になっておめでたい事なわけです。 とはいっても現実には人が死んでるわけですから、喪失感や空虚感などがあるのは当然です。 私は死んだ人には「ご苦労様でした」って思いますね。 楽に死ぬ人ってまずいないですから。

pie3
質問者

お礼

うちは仏教です。 お寺さんの話に慰められる一方、 ちがうんだよな~という気持ちもあります。

  • rfvujm
  • ベストアンサー率22% (6/27)
回答No.1

私は、故人に話しかけています。 心の中で今日あった事、つらかった事、 生きてたときと同じように話してます。 返事は返ってきませんが、なんとなくこう言うんじゃないかな。 なんて想像しながら、身近に居ることを感じます。

pie3
質問者

お礼

そうですね、私も○○はこう言うかな、 あ、死んでるんだった、って思うことが多いです。

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