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toが消える理由
We will be made to work for machines. を能動態にして They will make us work for machines then. にすると、受動態のときにあったtoが消えるのは何故ですか??
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- taked4700
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http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3047012.html のNo.5でで自分が回答したもののコピーです。 まず、使役動詞の時に、toがなくて受動態の時にtoが出てくる説明をしましょうね。その次に、歴史的な背景です。 1.そのために、まず、使役動詞でtoがあるもの、無いものの理由です。この部分は、以前投稿したもののコピーです。 使役動詞についても、以前、投稿したものがあったので、ここにコピーしておきます。 お役に立てば幸いです。 使役動詞は、「誰々に、何々をさせる」のような意味合いで使います。 例えば、He made me clean the room.「彼は僕に部屋の掃除をさせた。」です。 使役動詞で問題になるのは、主語+使役動詞+目的語+補語の形のときの、補語の部分に来る動詞の形です。to clean のように、to が付く形が来るのか、ただの clean だけでいいのか、をよく間違えます。 以下、その説明です。 makeは、完成状態を目的語に取ります。例えば、 I made a chair. なら、「完成した椅子」を作ったことになるわけです。この完成と言う感覚が、即時と言う感覚を生み出し、 make+目的語+原形不定詞 と言う語順を選ばせているわけです。 他にも、I helped him to clean the room.とtoがないI helped him clean the room. は、多少違い、toがある場合は、直接的に助けるのではなく、彼以外の誰かに私が掃除を手伝えと言ったと言うような間接性を暗示させます。それに対し、 to なしの場合は、直接的に手伝う、つまり、自分も雑巾を持って、と言うことです。これと同じで、to がない形は、それだけ、直接的なニュアンスを持ちます。そう言えば、感覚動詞の場合も、補語に原形をとりますよね。I saw him kick the ball. これも、感覚は、心の中での、それだけ生き生きした再現を暗示するからです。 それに対し、force の方は、単に強制するだけですから、目的語は、強制される方向へ動くわけで、その動きをtoが表していると思えばいいと思います。つまり、to は、目的語が、何か、迷うと言うか、どうしようかなと、逡巡する間の時間差を表すと、見ればいいと思います。 He made me clean the room. 有無を言わせず、または、非常な権力と言うか権威を持って、または、自分の方で、相手に抵抗すると言う試みもなく、「私は部屋の掃除をした。」結果に重点があり、過程については述べていない。 He forced me to clean the room. 彼は、私が嫌がっているのに、脅したり、何かの権力のようなものを使って、私が抵抗しているのにもかかわらず、「私に部屋の掃除をさせた。」結果と言うよりも、過程に重点がある。 この他にも、to が必要かどうかを迷うものにhave,get があります。 The teacher had the students clean the room.「先生は生徒に部屋の掃除をさせた。」haveが使われているのは、もうすでにそこにあるものを持つという感覚があるからです。つまり、教員にとって、生徒が掃除をするのは当然のことであって、特に生徒の気持ちを変化させる必要性がないからです。つまり、主語+have+目的語+動詞の原型 という形で、toをとりません。 The man got his wife to take care of the children.「男は妻に子供たちの世話をさせた。」 この文では、getが使われていますが、getは、変化を意味します。つまり、It got dark. 「暗くなった。」のような文のgetの使い方と同じです。明るい状態から暗くなったという意味ですね。「男は、妻に、いろいろ言葉を尽くして、(たとえば、今度の休みには皿洗いをやるからとか、次の出張でお土産を必ず買ってくるとか)妻の心を動かし、子供の面倒を見てもらった。」という意味です。目的語の心の変化を表すのがtoです。 もっと心が変化すると、intoが使われます。 He deceived her into thinking he was rich. 「彼は彼女をだまして彼が金持ちだと思い込ませた。」 などですね。 2.受動態になると、toが出てくる理由です。 He made me wash the dishes. は受動態で、I was made to wash the dishes. となります。もし、これを、I was made wash the dishes. とすると、どんな感覚になるでしょうか。made wash と続くと、あたかも、made in (Japan)と同じような一種の熟語・連語と感じられてしまいませんか。つまり、一種のまとまった動作、一塊の動作のような感覚になるはずなのです。でも、そうではありません。ここでの意味は、まず、受身ということが、was made で示されて、次に、madeされたその内容として、wash the dishes があるわけですから、1段階目は、受身、そして、2段階目でその動作となっているわけです。別の言い方で言うと、I was made までは、自分の意思ではないということを表現する部分で、to wash...の部分は、自分に働いた他者の意思という意味で付け加わっているわけです。 このことをまとめると、使役動詞の文の受身とは、まず、受身であると言う宣言が来て、次に、自分の意思でない誰かの意思の方向へ自分が動くと言う意味でtoが使われているとなります。 使役動詞の能動文でtoが無いものは、一種の即時と言う感覚があると申し上げましたが、受身においては、文の構造が、I was made までとto wash...では、機能が分かれているので、機能が変わると言うことを明示するため、例外なく、toを使うことになります。 3.では、歴史的な流れですが、to は、以上のように、受身形で特徴的に使われるわけです。もちろん、to不定詞は、そのほかの用法が数多くありますが、歴史的に、原形不定詞との比較と言う意味です。そして、受身形は、能動形よりも後から発達したのは、論理的にほぼ確実です。能動形では多くの場合、toなしが使われえるとこととあわせて考えると、まず、原形不定詞が発達し、その後、いわゆる移動を示すgo to the park などの用例からの類推で、to不定詞が、使役動詞の受身などで使われだしたと考えることが出来ると思います。
- yoohoo_7
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#6です。 訂正します。 誤 のみは例外だということになり、そのことを覚えておかなければならないのでたいへん不便だからです。 正 わずかの動詞のみは例外だということになり、そのことを覚えておかなければならないのでたいへん紛らわしいからです。
- yoohoo_7
- ベストアンサー率55% (255/460)
>受動態のときにあったtoが消えるのは何故ですか?? 他の回答者様が既に御回答ですので、蛇足を申し述べます。 御承知のように、能動態においてtoがあるなしに関わらず、受動態では必ずtoを用います。例えば、次のようです。 (1)They will make us work for machines. (2)We will be made to work for machines. (3)I'll get her to help you. (4)She'll be gotten to help you. これはルールとして覚えておくのが最も簡単です。ただ、御質問の主旨は、「それは分かっているけれども、理由は何か。」ということだと思いますので、そこに焦点を当てて申し述べます。 [A] (2)、(4)でtoを用いる理由 toを用いないと動詞が2つ続くことになりますが、この形がとても意味が分かりにくいからです。分かりにくい理由は、主に次の(a)、(b)です。 (a)make us workあるいはbe made to workのようなSVOCの文はかなり複雑な構造であるためもともと意味を取りにくい構文なので、できるだけ意味に紛らわしさのない形にしなければならないからです。もしtoを用いないと動詞が2つ続くことになりますが、普通は動詞は1つの文に1つと決まっているので、「なぜ2つあるんだろう」と不思議に思い、意味が取りにくいからです。つまり、紛らわしいからです。 (b)「have+過去分詞(完了形)」「be+現在分詞(進行形)」など(ごく僅かの例外を除いて)どんな動詞でも常にこの形で用いることができる言い方なら動詞が2つ続いても分かりやすいのですが、eat、sleep、walkなどほかの殆どの動詞は動詞が2つ続く形を取らないのにmake、get、have、letなどごく僅かの特殊な意味の動詞のみ動詞が2つ続く形を取ってもよいということにすると、make、get、have、letなどごくのみは例外だということになり、そのことを覚えておかなければならないのでたいへん不便だからです。 [B] (1)でtoを用いない理由 本動詞(make)と不定詞の動詞(work)との間に名詞または代名詞があるので、上記の(a)、(b)のようなことが全くないので、toを用いなくてもmake us workの部分に紛らわしさが少しもないからです。 紛らわしさがない以上、少しでも簡単にして速く言えるようにしておいた方が普段の日常生活で便利なので、余分なtoを省いたものと推測されます。
- Ganbatteruyo
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Gです。 こんにちは!! また、私なりに書いてみますね。 受動態のときにtoは入り込むのはなぜかとという事を考えると間接的にもお分かりになると思います。 まず能動態のときにtoが入らないと言うのは、学校文法がそう決めたからでは決してなく、社会文法と言う「そういうのが普通だから」「そういわないと頭がおかしいんじゃないのと思われるからいあわない」「これだけ定着された表現をいまさら変えてもメリットはない」と言う「暗黙の了解」みたいのがあるからなのです。 あなたが好きです。と言うときになぜ「が」なんですか?と聞かれたときにどうお答えしますか? この答えに困った文法学者さんは「形容詞だから」と言う「学校文法」を作ったのです。 よって、このような人は、なぜ「が」なんですか?と聞かれたら、答え自身がおかしいと感じないままに「それは形容詞だからなんだよ。 動詞じゃないんだよ。 文法をもっと大事にしなきゃ」と答えになっていない事に気がつかないで言うわけです。 日本語を習う外人さんにどう答えますか? 形容詞だから、と言いますか? それとも、「日本語ではそう言うんですよ。 ブロークンジャパニーズではあなたを好きですといっても分かってくれるでしょうけど。」で良いと思いませんか? 非常に論理的で実践的で文化的でそして簡単で無理がなく時間の無駄にもならない習得方法だとオオもいませんか? makeが作ると言うフィーリングではなく、させると言うフィーリングで使われるときはあとにくる動詞(させられる作業)にはtoをつけないのです。 それだけの事なのです。 ほかに論理的な理由はありません。 ないのです。 台風の朝でもGood morningなのです。 朝11時に会っても、夜勤に人たちが夜会っても「おはようございます」なのです。 でも、この「そういうものなんだ」「慣習だからね」「そのまま覚えちゃった方がいいよ」と言うと何か勉強しなかったと思う人たちが日本には多いですね。 そして、「学校文法」に基づいて説明を聞くと実際には非論理的なのにもかかわらず何か分かったような雰囲気になるみたいですね。 でも、実際に割り切って覚えた人たちの英語表現の方が実際に使われている英語と同じレベルと言う事実はここに何か関連があるとあると知っている人は多いと思いますよ。 そして、受動態にしたときには、このmakeはすでに「させる」と言うフィーリングはなくなってしまうわけです。 I was madeさせられた、に変わってしまったのです。 そうですよね。 させる、ではないんだからtoをほかの動詞(の受動態)と同じように入れる、入れたいと言うフィーリングが生まれるわけです。 そして、makesさせる、が来たらtoを入れない、と言う「正しい」理解の理由と同じように、toを入れるのは、英語を使う人はみんな入れるから自分も入れるのです。 この法則を社会文法と言うわけです。 ほかに理由はないのです。 なお、英語を使いこなす、と言う視点からもう少し書かせてもらいますね。 (英語を使えるようになる為です) My dad made me study yesterday. 昨日親父は俺に勉強をさせた。(昨日は、親父のお陰で勉強しなくてはならなかった、ですね) これを受動態に変えるとなると I was made to study by my dad yesterday.とすれば「丸」をもらえますね。 しかし、これではまずアメリカでは分かってもらえないでしょう。 この文章を言わざるを得ない状況で言う事になるので、その状況からの判断で通じる事は通じるでしょうが。 I was told to study yesterday and I had no choice but to listen to him.と言うフィーリングを出した表現にする必要があるのです。 こんなに長く表現するより、My dad made me study yesterdayとしたほうが簡単ですね。 能動態と受動態とは、まず主語が変わると言う点からも、意味合いはまったく変わってしまうのです。 でも、日本では「同じ意味を持つように態を変えなさい」と教える。 フィーリングが変わるからこそ違う態があるのです。 何か能動態と受動態はただ語順を変え動詞の形を変えればそれでいい、と教える日本の英語教育に問題があるからこそ自分が言いたい事が言えなくなってしまうわけですね。 この点をちょっと頭の隅において置いてください。 いつか、知っておいてよかった、と言う日が来るはずです。 私の自己主張も含めて書かせてもらいありがとうございました。 これでいかがでしょうか? 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
- trgovec
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不定詞の to があるかないかは合理的な説明を求めるよりも慣用的な使い分けと割り切った方がいいように思えます。 使役動詞(と感覚動詞)が能動態で原形不定詞を要求するのがむしろ例外のようにとらえてください。 *We will be made work for machines. *He was seen enter the room. これらが間違いとされることに合理的な説明はできません。work, enter は原形不定詞であり動詞として(SVのVとして)機能していませんので、文法的破綻はありません。 ただ違和感を感じる原因としては「原形『不定詞』」であることを示す目印がないため「一文に動詞が二つあるように『見える(感じる)』」からというのはあると思います。
- ANASTASIAK
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使役動詞のmakeはtoなしの不定詞をとるからです。
- Parismadam
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こんにちは。 このmakeは使役動詞で「~させる」という意味を持ち、SVOCの第5文型になる動詞です。 能動態の文では、 They will make us work for machines then. 「彼らは私たちを働かせる」 となり、makeが動詞V、usが目的語O、workが補語Cになります。この時、補語Cには動詞の原形がきて、これを原形不定詞と呼びます。 使役動詞の文が、受身になると、目的語が主語になるため、動詞の補語が並んでしまいます。例: We will be made work for machines. 動詞の連続は文法上の規則にはありませんから、この原形動詞は補語であることを明示するために、便宜上to不定詞を置くことにしているのです。 これは同じく第5文型となる知覚動詞も同様のケースになります。例: I heard her cry.「私は彼女が叫ぶのを聞いた」 She was heard to cry by me.「彼女は叫ぶのを私に聞かれた」 となります。 以上ご参考までに。
- Quattro99
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むしろ、受動態だとtoが入ると考えるのが普通な気がします。 そういうものだと思うしかないのでは?