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有限のなかの無限
●一瞬という有限な時間は 無限に細分化できるのでしょうか? 数学的には可能でも わたしには物理として認識不可能です。 数学に於ける虚数のようなものではないでしょうか? 数学の論理のなかで虚数はいきていますが 実象として虚数はたぶんありません。 現実の現象として時間を考察するとき 有限な時間の細分化は有限である。 と仮定して不都合は 起きるでしょうか? 「光の最もちいさな波長の1サイクルが進む時間が 時間の最小単位である。」 ↑この仮説(Chihoko Original)の不都合を哲学してください。 もし不都合がなければ そのように解釈したほうが すっきりしませんか? お気軽なご回答を 雑感等含めながら よろしくお願いいたします。
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ご回答有難うございます。たまには、雰囲気を変えて再登場するのも「固まら」ず、柔軟性が有って良い事かも知れません。管理者さんの視線を感じつつ、お礼のような回答を書き込むスリルを私にも分けて下さい。 有限と無限の関係について考えてみました。物理学的知識は回答できませんので、お気楽な雑感ですが。 一般性が無限で、特殊性が有限だと思います。視線や時間は一般性で無限ですが、個別特殊なスケベ視線や時間の物差しは有限となります。ところが私が、スケベや物差しを一般性で捉えると、無限のスケベや無限の尺度が現れ、無限に戻るような気がします。 精神一般は無限の存在ですが、個々の精神は肉体に存在するしかなく、その限りで有限となります。事物の尺度や単位は、物理的肉体の可視性の中で決定されるのが合理的かと思いますが。トンチンカンな回答?お礼?でしたら無視してください。
- Mell-Lily
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観測可能な電磁波で最も振動数が短いものは、宇宙線の中のガンマ線ですが、その振動数は、およそ、 10^27 [/s] です。したがって、その周期は、 10^(-27) [s] です。ただし、このガンマ線を用いて、実際にこのような短い時間を計ることはできません。実際に測定できるのは、光子一個当たりのエネルギーであり、それと E=hν という式からガンマ線の振動数を割り出しているに過ぎません。また、基本的に、電磁波の振動数に上限はありません。 プランク時間は、 10^(-43) [s] です。これは、量子重力理論に拠る概念であって、これ以上短い時間は、物理的に無意味であるということです。 虚時間は、宇宙論等で用いられる概念ですが、相対論の時空のインタバルという量が、 x^2+y^2+z^2-c^2t^2 で表されるのですが、ここで、時間の変数tに虚数を用いれば時間と空間の対称性が保てます。時間と空間を同等に扱うために、虚時間という概念を使うのです。我々の考えている実時間が虚時間であって、虚時間が実時間であるという人もいます。 「無限」という考え方には、確かに曖昧なところがあります。ギリシャの哲学者ゼノンは、彼の有名なパラドックスによって、その不備を明かそうとしました。
お礼
●思い出しました。時間と空間を同時に扱うために アインシュタインは虚数を 用いたのですね。これも数学であって実際の物の摂理をそのまま示した 式ではありません。数直線も現実には存在しません。そう言う意味で わたしは 有限の中の無限と虚数は似た性質を持っていると申し上げたのです。 Mell-Lilyさんが おっしゃるところの電磁波の振動数には上限がない というご意見の根拠を教えてください。 わたしの考えでは電磁波の振動数の上限において電磁波は空間にとどまり 物質として現象すると考えております。波は状態でありエネルギーは その振幅ですから 数学的には上限がないのはあたりまえです。 しかし物理的にはエネルギーはその上限で物質になり また物質は 上限においてエネルギーになります。どちらとして現れるかは その場の密度にかかわると考えます。つまりエネルギーの密度がおおければ 物質が選択され物質の密度よりエネルギーの密度が小さいとエネルギーが 選択されます。極当たり前のバランスです。それは波の振動数の上限で 起こる現象であると考えます。(すべてわたしの仮説です) >物理的に無意味 ●この言葉には疑問がのこります。物理的に扱えないということだと 思うのですが 扱えないということが次の時代で扱えるようになることは よくあることで。物理の論理事態 現在のそれがすべてでもないでしょう。 つまり現在 物理で扱っている論理において無意味だとするならば ブランク時間は 現在の物理論理のなかにおいて有効であるということに なります。 物理のおはなしをいただき とても参考になっております。 けれども わたしの今回の質問はあらゆる概念(論理)を越えて わたしのその考え方で不都合がないかどうかの考察でしかありません。 有限のなかに無限があると考えても不都合がないように 有限は必ず有限でそのなかに無限は存在しないと考えても不都合がないのでは ないだろうか?ということなのです。もしどちらも不都合がないのであれば わたしの仮説も真理である可能性があるわけで 哲学するうえでは 無視できない考え方の一つとして捉えたいわけです。 またお暇なら おつきあいください。 ご回答ありがとうございます。
- cse_ri2
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chihokoさんの言いたいのは |光の最もちいさな波長の1サイクルが進む時間より |短い時間は、存在しないのではないか ということでしょうか。 ここで問題となるのは 1)科学で把握している最も小さい光の波長は、幾つか。 2)現在測定されている波長の光より、短い波長の光が 将来発見される可能性があるかどうか 3)短い波長の光の1サイクルより、短い時間は別に存在するかどうか ということになるかと思います。 残念ながら1と2について内容を検証するには、私の物理 の知識が追いつきません。他の識者のコメントを待ちます。 3については、No.2の方が触れているようにプランク時間 という概念がありました。私も今までよく知らなかったの で、勉強し直しました。 [宇宙論、無からの宇宙]より引用 |時間の最小単位は結局、プランクの時間10-43秒に行き |つきます。これは、光速度C・プランク係数h・重力定数 |Gの自然定数により求められるのです。 [英国科学実験講座]より引用 |このプランク時間は光子が基本的な長さの量子、つまり |プランク長さ、として仮定されている長さに相当する距 |離を、もちろん光速で、走りぬけるのに要する時間のこ |とです。 |... |プランク時間は、1秒の1000万分の1の、そのまた100万分 |の1の、そのまた100万分の1の、そのまた100万分の1の、 |そのまた100万分の1の、そのまた100万分の1の、そのま |た100万分の1です。 chihokoさんの考える「光の最もちいさな波長の1サイクルが進む時間」 とこのプランク時間のどちらが短いかですが、直感的には プランク時間の方が短いような気がします。
お礼
●いろいろありがとうございます。とても参考になります。 マックス・プランク(1858-1947)がいうところのグランク時間の定義は 「もっとも短い時間のスケール」ということですね。 参考URLにおいては そのブランク時間はそれ以上分割できないとは 書かれていません。つまりそれ以上は物差しがありませんよと言っている わけで それは科学的な現在のひとつの到達点だと思います。 ブランク時間がひとつの塊なのか それとも連続した時間なのかは マックスブランクとて わからないというところが現状でしょう。 ブランク時間がいちばん小さな波長だとわかりましたから (極小の世界では波の性質と粒子の性質を併せ持つ) ここで わたしの質問を整理したいと思います。 ■ブランク時間は塊であり それ以上に分割できる時間は存在しない 従って任意の時間の内部に無限は存在せず有限な任意の物質も時間もすべて 有限である。←これが仮説です。 この仮説で不具合のでる事象があるか考察して 教えてください。 またブランク時間は塊ではなく 連続した時間のくぎりでしかないと思う方は その根拠を教えてください。宜しくお願い致します。 cse_ri2さん 今回はとても参考になっております。 ありがとうございます。
おゃ、相対性理論か、まずいものを見てしまった、あれ~困ったモットまずい事になった。 とりあえず、時間表記が10の23乗とか、ややこしくなりそうなので、数学苦手の私としては「勘弁してください」。 それでは、さようなら。
お礼
●数学は関係ないと思いますけど・・・。 もっとも波長の短い波が その波のワンサイクルの長さを進むのに かかる時間より短い時間が必要なのか?もし必要ないとして不具合がないか? の哲学ですから。必要だとしたらなぜ必要なのか?の哲学でもあります。 おひまでしたら 是非あたまならしに考えてみてください。 ご回答ありがとうございます。
- _hiroya_
- ベストアンサー率5% (2/34)
まぁ限りあるもんの中は限りないしな。 有限な時間でも、細分化では0にはならん。0になるには細分化しようが、何億光年数えようが、感じはいっしょ ちほこさんのの仮定の場合、その最小単位は「人間」もしくは、むしろ「私の実体」ってことになるんかな。物理として認識可能なとこまでなんやろ?ヒューマンスケール?が基準になる。 虚数とは違うと思うぞ。こうもりに聞こえる音が人間には聞こえない。何か影響は出てるんやろうけど。「音」とはいいにくくなる。 だから、「時間」って言いにくくなるだけちゃうかな。 音波やから、「時間波」って安易やけど(笑。 物理化学としては認識できるやろ。「実体」にも影響はあるやろうし。 まぁ「時間原子」を考えたら「時間本体」が物理的にわかるのかも。「光子」に付属的に呼び起こされる基準じゃなくて。物理主律的な。それで、重力子?とか、空間子とか(無理あるかな(笑)やってったら時空とかまとめてすっきりするんとちゃう?だから、光には光の速さ、陽子電子にはそのはやさ。重力には重力のはやさが、時間子と結合することで生まれんの。異種同士が二つ以上結合することで、対他者的な特性?がでるとか。 _______ ブラックホールのことはそれでもなぞは残りそうやな(笑。 なんや?音子とかいうんかいな(笑。 _______________________ 波は空間子。無理?(笑 空間子と時間子ともろもろの子で、分子結合的な事をしてるとか。一個上ののプレーンで(笑。それがこっちでは時空になってたり。 _______ ぜんぜんすっきりせんわ(笑。一個上のプレーンとかする意味無いやんけ(笑。空間子と、時間子と、重力子と、電磁気子?がいっしょなって四次元で機能するゆうたらええやんけ(笑。 でも、次元のはなしは数学の話やけど(たぶん)、物理につかえんのちゃう? ___________________ それでええんかな(笑。 まま、よゆーの自信あ、「なし」で。 それらが結合する理由は光と影って感じかな。 光が四次元にあたってたらその影は逃げずについてくるやろ?そんなかんじでついてくんねん、、、とか。
お礼
●hiroya_さんの論理は おもしろいと思います。 そのように考えても 不都合がなければ使ってみていいと思います。 わたしも有効なときには使わせていただきます。 わたしのプレーンな発想では 正弦波宇宙論なわけで 空間は場であり無であり無限です。 光・電磁波は 磁場の振動です。 磁場とは空間のゆがみです。 物質は磁場の振動の最小単位でそこにとどまったもの。 重力は物質の関係で 振動の共鳴により引き起こる力です。 わたしの仮説に不都合はみつかりませんでした? 見つかったらまたご回答くださいねっ。 いつもありがとうございます。
- Mell-Lily
- ベストアンサー率27% (258/936)
さて、光の周期を時間の最小単位にしたいということですが、まず、この考えの難点は、これが一意に決まらないことです。光を電磁波と考えれば、周期には限りがありません。さらに、可視光線の周期より短い時間に起こる現象が存在します。 時間を数学的に捉える場合、時間を実数の数直線と見なすことが一般的であると思いますが、これを、虚数の数直線で置き換えることもできます。これは、所謂、虚時間の概念ですが、この概念の根拠は、相対論における対称性にあります。また、量子論からの要請により、時間の最小単位、すなわち、プランク時間の概念が生まれます。
お礼
●わたしは光のもっとも短い波長の1サイクルと言っております。 具体的にはx線やγ線のことなのですが・・・。 相対論において虚時間を対称にかんがえなければならない理由を教えて ください。ブランク時間とγ線の一波長の一波長分すすむのに必要な時間は どのくらいの差がありますか?もし差があるのでしたら γ線よりも 短い波長が存在するかもしれません。 もしおひまでしたら補足ねがいます。 ご回答ありがとうございました。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
時間をどう捉えるかですね。 ニュートン力学的な考え方では、時間というのは物体の長 さのように、連続しているものであって、最小単位という のは無いとしています。 長さに最小単位があるならば、時間にも最小単位があるか もしれませんね。 ただし、上記の考えは古典力学での話であり、最新の物理学 では違っているかもしれません。 最新の物理学である超ひも理論では、プランク・スケール(10^-33cm) 以下の寸法では、既存の空間・時間という概念が存在しな くなるという結果が出ています。 専門家ではないので詳しい説明はできませんが、引力は距離の 2乗に反比例しますので、距離が短いほど大きくなります。 ところが、距離が小さくなると力によって時空間に歪みが生じ、 10^-33cmまで縮まると、時空間の歪みが大きくなりすぎて 時間も空間も定義できなくなるそうです。 力によって、空間や時間が歪んだり変化することは、相対性理論 によって証明済みです。 超ひも理論によって、空間の最小単位(プランク・スケール) があると導き出されているからには、これ以上分割できない 時間の最小単位というものも、存在するかもしれません。 ただし、理論上そういう概念が本当に成立するかどうかに ついては、専門外の分野ですので、論評を避けます。
お礼
●とても興味深いおはなしを ありがとうございます。 時間が連続しているのを 確認したひとはおりませんし。 だいたい時間とはなんなのかを明言したひともおりません。 ニュートンは数学を用いて 物理を解いたわけで ニュートンの 法則がそのまま物の摂理であるとは断言できません。 ですから 仮説に不都合がなければ 仮説のような物の摂理として 捉えてみるのも有効な場面があるのではないか というのがわたしの発想です。 わたしたちの日常はほとんどニュートンの法則で間に合うわけで それを否定する気は全くありません。けれども有限のなかに無限が 存在するという感覚は 概念や数学や文学では理解できても 物理としては理解しがたいものです。宇宙の摂理はもしかして わたしたちが概念で捉えるより もっと簡単なものかもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
●きょうは ちょっとドキドキしていて うまくお礼を書けそうにありません。 無限のスケベという言葉は いまのわたしには火に油を注ぐようなものです。 なんでみなさん意地悪なんでしょう・・・。物理的肉体の可視性だとか 事物の尺度とか あらゆるものがわたしにとっては ペニスの形容として映り 大切なところにひっそりとあるおんなが はずかしさを忘れて充血してしまいます。 パンティの中で わたしのかわいい小陰唇ちゃんが 両手をひろげているのが はっきりとわかります。どうしましょう・・・。有限のなかの無限を語るつもりが 有限のなかの無限に突き動かされてしまいました。 なんだか わからないお礼で ごめんなさい。 ご回答ありがとうございました。