結論から言えば、「No」ですね。
日本としては、
・大陸に防衛線を設けることで脅威から本土を防衛しやすくするため
・後発国ながら大陸での利権を確保し、強国としての立場を確保するため
・ロシアを見据え、出来るだけ有利な状況で北方の大国を迎え撃ちたかった
が基本です。
清国としては、
・長年の属国を失うわけにはいかなかった
・失墜していた国威を上昇させ、国内での基盤強化を図りたかった
・海外向けにも清国の強さをアピールする機会としたかった
が基本です。
また、この戦争を期に旧来の朝貢体制支配から列強型の支配に切り替えたかった思惑も一部にはあったでしょう。
(もっとも清国はまとまらず、李鴻章一人が戦わされたのが現実ですが。)
つまり、あるのは両国の国益で、本質的に義戦でないのは明らかです。
ある戦争のことを「義戦」とか『聖戦』とか呼ぶのは、
その戦争の当事者だけというのが鉄則でしょう。
(「当事者』には交戦状態になくても利害の絡んでいる国も含みますが。)
どんな戦争でも、実行するためには何らかの大義が必要であり、
その意味ではあらゆる戦争が義戦かもしれません。
筋金入りのマキャベリストも、本心は違っていても、立場ゆえに平然と「義戦』と言います。
誰でも立場が立場なら「義戦」「聖戦」と言わざるを得ないでしょう。
後世になって戦争を論ずる立場なら、
戦った人間と国の名誉のためでない限り、
戦争に善悪をつけるのはナンセンスでしょうね。
何故戦争する羽目になったか、戦わずして勝つ方法はなかったか、
何故負けたか、何故勝ったか、結果どのような影響があったか、
などを検討するのが現実的な議論だと思います。
以上、内村鑑三の論点も把握していないのに、でしゃばらせてもらいました。
お礼
返事遅くなってスミマセン。 この場を借りて、解答してくださったみなさまにお礼を申し上げます。 本当にありがとうございました☆ 私的にも、戦争に正義も何も…って思います。殺し合いには変わらないんだし…。