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ADHDの判断
3歳の息子が、ADHDの項目に当てはまる部分があり(落ち着きがない、発音がはっきりしない)心配になって『大丈夫』と言われ安心したくて、今日市の発達支援センターに息子を連れて相談に行きました。そこでは、同じくらいのお子さんと保育園のように、絵本を読んでくれたり、体操の様な事をしたりするのですが、息子は絵本などは座ってきちんと聞いていたのですが、体育の様な、一人でやる事は緊張していたのか私にくっついてやりたがりませんでした。初めての場所で知らない人に見られていたので当然と言えば当然だと思います。教室に入るなり、色々な事に興味を持ったり、広い場所だったのではしゃいで走り回ったりしていました。でも、それって小さな男の子なら皆そうじゃないのかと思います。それなのに、『心配いらないとは言えません。様子を見ましょう。』と言われ、私はとてもショックでその場で号泣してしまいました。息子は保育園に通っているのですが、『保育園では、目を見てお話できるし、きちんと座っていられるし、全く心配いりませんよ』と言われて少しは安心していたのですが・・・。たった1時間位見ただけでADHDの疑いがある様な事を言われ、正直納得がいかない気持ちもあります。こんな事を言われるなら、行かなきゃよかったとも後悔しました。専門の医師に診てもらおうかとも思いましたが、また疑いがあると言われれば、私自身立ち直れそうにありません。もし、自分の子供が障害児だったらどうしようと、考えただけで涙が止まりません。ちなみに、発音に関しては、言語の専門の方に診てもらったのですが、この年齢であれば全く心配無いとの事でした。私なりにADHDについて色々と調べたのですが、判断基準の項目って、3歳児にはよくある事だとも感じました。3歳くらいでその疑いなんて判断できるものなのでしょうか?どんな小さな事でもいいのでアドバイスお願い致します。
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私も「ADHDという名の死の宣告」見てみました。見ての私の感想としては「全てではない、一論でしかない」に尽きます。 障害と後ろにつくので、差別的感覚がどうしてもまとわりつくのかもしれませんが、例えばコンタクトやメガネをかけなければならない方を視力障害と名をつけられたとすれば、どうでしょうか。眼球の形がひずんでいたりして(他にも原因はあるでしょうが)視力が落ちるわけですから、意味的には外れてはいないと思います。ADHDやADD、ADなどはその感覚に似ていると感じます。数学でも超苦手な人がいます。だけど例えば、算数のAD(学習障害)の疑いのある知り合いのお子さんは、小学校中学年にして、遠足の300円のおやつを計算して買うことがどうしても、どう教えてもなかなか理解できません。他はすべてできるんです。学習障害と名がついているために、この子は一般の小学校ではなく別の機関に行ってしまえとなるのでしょうか。いや、教師がこのことも勉強して、いろいろなサポートを考えた上で、進めていけばいいだけの話です。やっとその方向が各市町村で(まだ形だけだけど)動き始めています。それに対して、保護者はあらゆる事を教師を上回るほどに勉強し、教師に教えるつもりで具体的正当な要望を学校にしていくべきです。でないと、学校は逃げます。 ウチの子は、物心ついた頃から、同じ失敗を何度もするし、そのために怒っても人の話を聞いていないようにこちらの目を見ないところがありました(実際は聞いているし、理解してたんだけど)。そして何より苦労したのは、普通は子供というのは、親の位置を確認してから、おもちゃ売り場などに突っ走ります。ですが、ウチの子は何度言い聞かしても、見えた興味のあるモノにまず行ってしまう。で、迷子でパニックです。どやしたりしてましたなぁ。動きは「アイアムサム」という映画がありましたよね。あれ、よく研究されてます。あのままの子供バージョンです。見たとき、違う意味で泣けました。「このままどうなるんだろう」って。医師には、学習面で記憶部分が突出してよいので、普段の学校の学習には問題ない。が、話すことに関しては、自分の意志を上手く伝えることと運動系が極端にヘタである。そのプラスとマイナスの差である数値から考えれば、「問題がある=障害」と言えるが、実生活では、困ることは少ないでしょう、で、グレーゾーンです。実年齢×0.7歳で当たってくださいとも言われましたね。これも納得です。今ウチの子は、12歳の情報量と、9歳くらいの人格を同居させているような感じです。でもふしぎに周りとはうち解けています。ひとつは、自分がリタリンを必要として飲むことがわかっていること。これは医師に言わすと、170cm以上ある体格からは絶対に足りない量で、効いていないハズらしいです。でも本人は年に何度かの診察では「やっぱり落ち着く気がするし、周りとのトラブルも減る気がするので飲みたい」と言います。 「ADHDという名の死の宣告」に書かれていることで、死の宣告になるのは、親が勝手に死の宣告ととらえているだけだと私は思います。その意識の奥には「欠陥品が生まれてしまった」という意識があるのではないでしょうか。その意識で育てられれば誰だって、子供は2次障害として鬱になったりします。これがADHDは統合失調症になりやすいたる所以です。 いろいろ見てきて、私や嫁さんは何となく気づくんですが「この子もそれっぽいな」という子を驚くほど多い確率で見かけます。補助される学級に入ってゆっくりと「できたよ」という感覚を感じながら育てばいいモノを、親が「そう信じたくない」「祖父母に申し訳が立たない」「祖父母にウチの孫がそんなはずはないと止められた」と一般の学級だけにしがみついて、「何でできないの!!」と我が親にも責められてかわいそうな子供が、そうですね、ひとクラスに一人くらいはいて当たり前の確率でいるように思いますよ。だからでしようか、ウチの子は0.7ガケの人格でもやっていけます。補助される学級に入って、リタリンも飲んで、ウチの子は親に怒られるという機会が格段に減りました。その結果、ウチは4年生で補助される学級を辞退して、普通学級オンリーにしました。学校には脅しとも取れるような「システム上、もうその補助学級には戻れませんが、いいですか?」と念を押されました。ウチの子は幸せなことにリタリンが合う体質であったのと、それさえあれば「もういける」という自信と、今後の人生考えたらキツイ風の中に入れなければいけないとも思ったからです。はたして、最初の頃は、友達の諍いもたびたびありましたし、「○○学級とはもう違うんだから、ちゃんとしてよ!!」ともクラス中の友達に言われてましたなぁ。 何かのテレビで、右脳が無くなった人が、左脳だけで不自由ながらもほぼ普通に生きているという話を見ました。アメリカでは脳の障害の研究が日本より10年以上先を進んでいて、欠落された回路は、別の海路を通して再構築されて機能を取り戻すことも確認されています。ですが、それを取り戻すためには、未来があるという前向きな意識で我が子を信じる気持ちと、不安にさせない幸せな環境が必要と切に思います。 この子を育てて、私は我が子から「人にはガンバってもどうしてもできない事柄が、一つや二つはある」と学びました。それを自分でわかってりゃ、何とかやっていけることも我が子の育ちで実感してます。大丈夫、子供は育ちます。親も。
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- toshipee
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肝心の質問の回答言い忘れました、ウチの子がグレー診断受けたのは、確か3歳です。何か他の子と違うと思い始めたのは「しつけされていない自分勝手な子」と思われはじめた1歳を過ぎた頃でしたっけねぇ。いろんな所を調べあさって、知人のつてで、診断を受けましたね。
お礼
1歳くらいではどんな子供もしつけなどできていないように感じますが、やはり3歳くらいになるとおよその診断はつくのですね。
- Programer
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うわあ、ひでーなあー。 ここまで、精神医療業界が、ほんとに入り込んできたんだね。 いま、この瞬間が子供の命の為です、本当に勉強して、この危機を乗り越えてください。 ADHDのレッテルを貼られて(科学的根拠は皆無です)、その障害を悩んで自殺する。という子供も少なくありません。 助かることを願います。この時点です。手遅れにならない時に。
お礼
ご返答ありがとうございました。私は自分の子供に簡単に障害児だとは認めたくないという気持ちもありますが、もっと勉強して我が子を信じてみようと思います。
- toshipee
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医療的な判断基準は難しくかかれていて現実的じゃありません。ADHD児子育て日記的なブログを見てみてください。驚くほど育ち方が同じだと思えば、疑いが濃厚です。また、号泣してあげないでください。私たち夫婦は、我が子にグレーの診断を下されましたが、「大丈夫、この子はあなた方親を、よりすばらしい親として育ててくれる子供なんです。普通の子供より位置から説明しなきゃならないし、なかなか理解できないので手はかかりますが、確実にゆっくりと成長します。手をかけてあげてください。」と言われました。なんだか納得したことを覚えています。今では中1。診断では必要ないはずのリタリンを「その方が落ち着く」と小学校低学年から自分の意志で飲みながら、がんばってます。
お礼
ご返答ありがとうございました。AHDHのブログを読んでみました。色々大変な事が書かれていて、どれも息子の方がはるかに育て易いと感じられました。toshipeeさんのお子様は今は中1との事ですが、何歳の頃にグレーだと診断されたのでしょうか?今はADHDの疑いは晴れたのでしょうか?
お礼
再度ご返答ありがとうございます。私自身も『障害』という文字に拘っているのだと思います。まさに、「欠陥品が生まれてしまった」という思いです。まずは、たとえADHDであるにしろ、そうでなかったにしろ、そういった考えを私自身が変えなくてはならないと感じました。その子の個性として受け止めなくてはなりませんね。それに親がどう手助けできるか。あまり『障害』という事に惑わされないように冷静になってみようと思います。