- 締切済み
ADHDの子供について
4歳半の息子について相談です。 うちの息子は、幼稚園に行っていますが、療育センターで検査したところ、知的障害はみられない ADHDではないかといわれています。知能検査では、一応正常の範囲内といわれました。 幼い頃は、服の感触にこだわる、遅延エラコリアがみられましたが、今は、普通に喋るようになり 会話もでき、感触過敏もなくなってきました。 学習障害は、今のところ月齢ごとのしまじろうの課題はなんとかこなしてはいるのですが、集中力を 要する工作や、なぞり書きなどは、不得意で、とても不器用です。 とにかく落ち着きがなくて、じっとしていられないので、保育園の行事や式にはまるで参加できず 違う教室へ行ってしまいます。先生の指示が通らず、自分勝手な行動をしてしまいます。 このまま集団行動ができないとまずいと思うのですが、会話や普段の様子は健常児にとても近いので自宅で育てている分には、特に支障を感じず、息子が障害があるかもしれないことを母親のわたしが忘れてしまうほどです。本やひらがなも理解し、数もかぞえられます。 外出時や、人に会うときも、落ち着きないよねと言われる程度です。 とても子供らしくて、可愛いところがあり、元気いっぱいなので、普段は、育児に関して悩みはない のですが、とにかく幼稚園の行事にあまり上手に参加できないので、そこを悩んでいます。 本などでは小学校3年生ぐらいになればADHDは落ち着いてきて、行事などに参加できるようになると書いてありましたが、このままでいいのだろうかと思い、療育へ行きましたが様子をみましょうと いわれる程度で具体的に療育などは受けていません。投薬も小学生になってからと言われました。 今のところ、ADHDらしき息子に、何をしたらいいのかわかりません。 普段は、息子は感情が激しいタイプなので、あまり厳しいしつけはしていません。 4歳の時点で、行事に参加できない、集団行動ができないのに、このさき集団行動ができるように 本当になるのでしょうか。その点も不安です。 また小学校は知的障害のない場合のADHDでも、特別支援級なのでしょうか。 ADHDの子供がいる方は、小学生になるまでどのように過ごされましたか。教えてください。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- suzuko
- ベストアンサー率38% (1112/2922)
支援学校教員です。 >普段は、息子は感情が激しいタイプなので、あまり厳しいしつけはしていません。 厳しいしつけとは、どう言ったことを指されているのでしょうか? お子さんが、ADHDであろうとなかろうと「言葉や暴力による人格否定的な叱り方」をすれば、「虐待」となり、「ADHD様の症状」を示すようになります。 いわゆる「愛着障がい」と言うものです。 「衝動性が高い」のならば「クールダウン」できる場所を作ってあげてください。 いつもは「自分だけが利用する場所」で「他の人は入らない、覗かない場所」に「落ち着くことができるもの」を少し置く。場所は1畳程度でも十分です。利用は自分が好きな時に、短時間だけ。 そして、そこが彼にとって「落ち着ける場所」になったら、興奮した時に「落ち着いておいで」とその場所に促す。ただし、強制はNGです。 そして、気分が落ち着いたら、その場所から出てきてもらい、静かな声のトーンで「何故、興奮することになったか?」「そうなると、何がまずいか」を話してあげてください。 https://www.adhd.co.jp/about/ >また小学校は知的障害のない場合のADHDでも、特別支援級なのでしょうか。 特に、手帳などの所得されないのならば、「望んでも特別支援は受けれない」でしょう。 制度として、そういうものですので。 ただ、どうしても「学習活動に参加ができない」のであれば、「手帳を所得する事」「支援学級に在籍される事」は勧められるでしょう。ただし、強制ではありません。 それで、どちらも拒否されれば、#1の方がかかれているように「保護者の付き添い」を依頼されることもあります。 ご参考までに。
- papabeatles
- ベストアンサー率15% (316/2083)
ADHDや学習障害児は今では普通の学級に2~3人はいると言われております。 一番良いのはお母様が毎日学校に着いていって学習の補助をすることだと思います。 実は私の叔父も同じような子供で祖母は1年生の時1年間毎日学校についていったそうです。 戦前の事です。 その叔父さんは教師になって教頭で退職しています。
お礼
回答ありがとうございます。 ADHDは、大人になると、治まるという話が多いのですが、今の時点では先がみえず困っています。 昔は特別支援などなかったので、母親のつきそいが対策としてあったのでしょうね。 >普通の学級に2~3人はいる 珍しいことではないのかもしれません。 とにかく私が観ていて、社会に適当できるように努力していくしかないですね。