「科学」と「自然科学」と「科学的」。あいまいさ。
元になっていると思われる外国語の背景については以下の質問で回答を戴いているところです。
「science という言葉の語弊」
http://okwave.jp/qa/q6919627.html
国語のカテゴリーでは主に対処法を相談させてください。
「科学」(Goo国語辞書)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/37739/m0u/%E7%A7%91%E5%AD%A6/
によると、
「…、広義には学・学問と同じ意味に、狭義では自然科学だけをさすことがある。サイエンス。」
なのですが、一般的にも、専門家の用語としても、狭義の意味の方で広く使われているのが現実だと思います。
使われ具合で決めると、もはや自然科学をさす言葉としての「科学」になっていると思います。
私としては文系の学問が科学とされる事実を尊重して、広義を”全く”無視した使い方に抵抗と無責任さを感じます。狭義の科学という言葉が使われるのは、文系と対比させた趣旨でつかわれるのですから、なおさらですよね。この狭義の問題は他の言葉の狭義問題よりも、断然ややこしいのです。
そう考える私としては、自然科学という意味の「科学」を活かしにくいことになります。狭義の使用が途絶えてしまいそうなのです。
(1)いちいち「自然科学」と表記しなければならないのでしょうか。重たいですよね。
(2)「科学」は明治期の造語だと思うのですが、当初から、文系の学問に対しても使われていたのでしょうか。つまり当時の日本においては、広義の意味だけだったのでしょうか。
★私が問題にしているのは「社会科学」という看板が存在するから使われているという建前論的な説明ではなく、学問の分類作業とは全く関係しない、文章や対話の中で、「科学」という言葉が文系学問の意味で使われるかということです。生きていたか、ということです。その意味で、今日、広義の方は死に体だと思います。
「その説明は科学的じゃないと思います。ヒトの先祖は猿と同じですよ」
「そうか、君はそんなに科学が好きなら将来、科学者になったらいいよ」
「うん、生物学者になりたいんだ。先生みたいに政治学や文学は好きになれないもん」
「私は科学は苦手だからね。だから逆に科学教育の必要さが身にしみて分かるんだよ。がんばって将来科学者になりなさい。図書館に行ったら、子供にも分かる科学の本があるよ。直接、科学の楽しさを教えてあげられなくて申し訳ないけどね」
(3)なぜ科学と言えば自然科学をさすようになってしまったのでしょうか。
(4)皆さんは日頃、「科学」の使い方に問題を感じませんか。日常会話と、説明や議論においても同じ使い方でしょうか。
こういう事を考えずに、上の対話のように使いまくってもいいのでしょうか。