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イラク人質事件から考えること・・・・
5人の日本人が対象となったイラク人質事件ですが、みなさんがイラク人質事件から考えることってどんなことですか??是非知りたいので教えてください! よろしくお願いします。
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自由と責任ですね。移動の自由があるということは当然、その移動の結果起きたことに対して責任があるということです。そしてそれを自分で負うべきだということでしょう。 人質になるということは、テロリストの片棒を担ぐことなのです。テロリストは脅しによって政府などに、必要とする圧力をかけるわけですから、囚われてはいけないのです。抵抗できる手段を持って行くなどは当然ですし、万策尽きたら自決すべきなのです。その覚悟がなければ行ってはいけないのです。 かつて「戦陣訓」というのがありました。「生きて虜囚の辱めを受けるな」というあれです。今では結構批判されることが多いのですが、そもそも「戦陣訓」が作られた背景を知ると納得できるところもあるのです。当時は支那事変の最中でした。大東亜戦争の英米正面と異なり、捕らえられても適正に捕虜として扱いを受ける可能性が低かったのです。それによって人質とされ解放を要求されたり、晒し者にされるのがおちだったわけです。今のイラクもそういう状況でしょう。 イラクは戦闘地域ではありません。その本当の意味がわかりますか。戦闘地域というのは正規軍どうしが戦うのです。ハーグ陸戦規則や1949年ジュネーブ4条約が適用される地域です。非戦闘地域というのは便衣隊が跳梁跋扈し、戦争犯罪を行う地域のことであり、戦時国際法が遵守される可能性は極めて低いのです。
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- taroimo_hasami
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日本が民主後進国であるという現実をまざまざと見せつけられた事実でした。 一部報道によりますと、政府は、最初の人質3名について、某政党との繋がりを指摘した上で(後に事実無根と判明)「どうせ○○党員でしょ」と言ったそうです。また、以後、人質の生命を軽んずるような態度を取り続けたともされています。国は、国民の生命、及び、財産を守る義務があります。譲歩して仮に被害者達が政治活動の為に入国したのだとしても、政治思想の違いにより救出しない事は民主社会では許されざる行為です。仮に政府に都合の悪い活動をしたが、犯罪者ではない人達を救出しないとすれば、これは実質的な思想・言論弾圧に繋がります。 次に。家族が自衛隊撤退を主張した事を不愉快に感じたり、政治的に事件を利用している等の言動がしばしば見られました。それら言動を見ていると、明らかに勘違いしたものが多々見られました。民主社会においては、言論の自由が認められています。自分達と正反対の意見、及び、少数派の意見が尊重される根拠は、まさにそこにあります。ところが、今回の一件では、少数派や反対派の意見は、多数派を形成する人々の寛容な精神によって許容されているかのようなピンボケ発言が続発しました。これも先ほどと同様、仮に被害者やその家族が政治目的で発現を行った場合であったとしても、根拠は言論の自由に求められます。しかも今回は、少なくとも家族達は事件を政治利用しようとしていた痕跡は見られず、寧ろ、撤退論台頭を恐れた勢力が積極的に世論形成の為に奔走していたというのが事実のようです。 三つ目は二つ目の話に関連していますが、家族達に誹謗中傷が浴びせられた現実です。人質に対する心無い発言も多々ありました。また、これら発言が家族達から言論の自由を奪いました。家族が撤退論を叫んだから悪い、態度が傲慢であったなどの被害者の心情を理解しない冷血な、そして、イデオロギーに毒された(たちの悪い事に発言者達はその事にまるで気付いていない――仮に自分の家族が同様の目に合わされた場合、十中八九の確率でそのような発言をしていた人達も同じ発言をした事でしょう――つまり、被害者の立場や気持ちを推察する能力が欠けているということ)発言が相次ぎました。結局、被害者の家族達が政治論争と絡めようとしていると勝手に決め付けたのは、実は、そう主張していた人達そのものではなかったか、ということです。事件から少し時間が経ち、冷静に考える人達が増えてきましたが、結局、自衛隊派遣をめぐり、国内世論が二分していたため、派遣賛成派が家族の言葉に過剰反応したのではないかと思います。結果的には、家族の言動を気に食わない人達が、自分と異なる意見を入れないが故に、誹謗中傷などの言葉の暴力を用いて意見を圧殺してしまったわけです。つまり、この国で起きた事は、まさに言葉の暴力を用いた言論圧殺です。この事件は、歴史の汚点として確実に残る事でしょう。 そして四つ目は日本人の大半は未だ平和ボケしていると言う事でしょうか。ボランティアというのは、性質上、必要度が増せば増すほど危険度も比例して高まります。どこかの国で大地震が起きれば、世界各国からボランティアが押し寄せますが、その理由はインフラなどが破壊されて人々が生活できないような状態に陥るためです。阪神大震災などが良い例だと思います。また、戦争をしていた国でも、緊急にボランティアを必要としているでしょう。そうした点を考慮すれば、イラクにボランティアが必要であったということはまぎれもない事実だと思います。ところが、一部で「危険ではない地域にボランティアに行けばよい」「なぜイラクなのか」というような言動が相次ぎ、いかに国際情勢やボランティアに対する理解度や知識が欠けているかが露見しました。どこに行っても安全ではありませんし、ボランティアの必要との高い地域で安全な場所などあるはずがないわけで。 五つ目。結局、多くの日本人は一国平和主義的発想を抜け出しきれていない、自分達さえ快適であれば構わないとする考え方が蔓延しているという現実です。現実に、世界中に困っている人達がいます。そして今、イラクでは本当に助けを求めている人達が沢山います。困っている人達がいれば助けに行くのは当たり前で、イラクのような危険な地域に出向いてボランティア活動に従事する事は大変勇気のいる立派な行動です。ところが、この国では自己責任論がもてはやされ、まるで観光旅行に危険な地域に出向いた人達と同じような、とても冷たい扱いを受けました。何故、この様な事態になったかと冷静に考察してみると、これはつまり、自分を国際社会の一員であり国ではなく国際レベルで物を考えて行動する人達と、日本という国の中だけでしか物事を考えられない人との差がそのまま出てしまったのだな、という結論に達しました。本当にイラクの人達の事を考えているのであれば、彼ら人質になった人々に対して自己責任を問う声を上がらなかったでしょう。自衛隊の活動では足りていない事など報道をきちんと聞いていれば誰にだって分かる事です。それを承知で、彼らを自己責任の名の下に責め立てるということは、イラクの復興についてさほど重要と思っていないということになります。危険な地域へは行くなという人に聞きたいのは、仮に自分の家族が困っている時に、助けに行かずにじっとしていますか? ということです。 とんでもない長文になってしまいましたが、今回の一件は非常に深刻であったと思っています。上記したように、日本には民主主義が存在していなかった、あるのは民主主義制度だけで精神を全く伴っていなかったという現実なのですから。 今のまま、一部の人達にとって都合の悪い言動が、言論による暴力によって封じられる事態が続けば、将来的には必ず惨禍を国にもたらすことになると思います。気づいた時には後戻りできない歪な社会になっていたということにはしたくないものです。