小生が旧仮名を使い始めて6年ほど経ちます。
旧仮名遣ひはかなり規則が複雑であり、こればかりは国語辞典と格闘しないとどうにもならぬと諦念を抱いた記憶があります。
規則はあっても、それが複雑過ぎるが故に、かへって判りづらいのです。
とある漫画で、「どう」を「だう」と書いて笑わせるということを、幼少の時期、見た記憶があります。小生もそれを信じきってしまひ、「だういふこと」などと書いて後から赤面したものです。
「さうですね」「かういふこと」とは書いても、「どういった」は「だういった」にはならないのです。
小生はその都度、疑問があれば調べることにしてをります。
その結果、使い分けられるやうになります。
やはり、音便などの規則はあれど、ある程度は辞書や旧仮名文(場合によっては江戸以前の古文)の本を使ひながら覚へなければなりますまい。小生の経験談です。
例へば、「様」は「やう」と書きますが、助動詞の「よう」はこのままです。
なほ、旧仮名も少しく変遷をたどってゐますので、明治の文法と、昭和の旧制中学の文法が違ふことがあるらしい、といふ未確認情報もあります。
詩人の長田弘氏(1939~)は旧仮名で文を書けないさうです。
精精、旧制中学を卒業した者が、旧仮名を使へる最後の世代ともいへませう。
中村粲氏(1934~)の『大東亜戦争への道』(展転社)を紐解き、全頁を読みこなせば、かなりの知識は得られませう。
中村氏や、小堀桂一郎氏(1933~)ら、旧仮名を維持しても、漢字は新字体、といふ方も結構居られます。
勿論、福田恆存著作集などを読めば、理解は一層深まりませう。
倉橋由美子氏(1925~)の『大人のための残酷童話』は、もともとは旧仮名遣ひの文体だったのに、文庫版では、文庫編集部の方針により、新かなに変更されています。これにより、かなり興が殺がれたと思ふのは、何も小生のみにありますまい。
なお、戦後生まれで旧仮名遣ひを用ひる有名人に、長谷川三千子、呉智英(ともに1946~)らがいます。
呉氏は、パソコン時代に旧仮名の復権を主張する、数少ない論者の一人と見てをります。
アドヴァイスは以上です。
以下は楽屋話。
ローマ字入力なので、ここまで打つのに苦労した。五十音入力を覚へたい。
先輩のシステムエンジニアは、研修で五十音入力まで指導されたとのこと。
ちなみに、井上ひさし氏(1934~)は五十音入力を使用してゐるとのこと。
できれば、旧仮名に対応したワープロとソフトが欲しいと思ふけふこの頃。
ここのユーザーにも、旧仮名・旧字体を維持される方がいらっしゃいますね。
#早く小生と言へる年齢に達したい(現在20代)。
#誤字があれば、申し訳ありません。