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思考
丸い四角形を座標上に描き出すことは出来ないと思いますが、「丸い四角形」と言語で表現したときそれは思考といえるのでしょうか?
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no.6さんの補足を読ませていただきました。個人的には「丸い四角形はイメージでき得るか?」という問いと捉えさせていただきました。 まず「丸い四角形」という言葉を聴いて思いつく形は”本来は四角だが角やヘリが丸っぽい四角形”このイメージがしか思いつきませんでした。 つまり「丸い四角形」と聞かれたときに”大体”という一番近いイメージをするので「丸っぽい四角形」これが僕にとって一番違和感の無い捉えかたになりました。 ここで考えられるのは不可能図形をイメージしろと言われたときにそれに近いイメージを作ると思われます。 例えば立方体の積み木があったとしてその積み木の中心を円柱でくりぬいてあるとか不可能だが言葉的に違和感のないイメージまでなら可能だとだと思われます。 もう少し例を挙げますと立方体の積み木の6面に円の端を均等に突き出してある積み木とか もともとコンピューターで書かれている円が周期的に四角形に変わるとかなら違和感はないと思われます。 つまり 「丸い四角形」と聞かれて「丸っぽい四角形」「丸と四角が組み合わさった図形」など○と□が統一化された形をイメージすれば不適格とは言いがたいです。 ですがそれもだめだとなれば「丸い四角形」は想像することは無理でしょう つまり「丸い四角形」という言葉は一つの形が丸と四角を有するという矛盾の無い捉え方をすれば思考は可能であるということです。 しかし丸という定義と四角という定義が共存できないものと捉えなければいけないのなら無理である。以上です。どうでしょうか?
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- tyr134
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#3です。 補足で質問されているようなので、それを受けて回答を試みたいと思います。 >つまり思考とは(1)対象⇒概念 > (2)概念⇒対象 >どりらの方向をとるかという質問です。 ※()数字は、以下に説明しやすいように付加させていただきました。 これは、非常に難しい問題です。 歴代の偉大な哲学者が挑んでも、なかなか答えが出ていません。 簡単に言えば、「鶏が先か、卵が先か」という問題となってしまっています。 (1)の論理は、「対象」が先にあって、人間はそれを認識して初めて「概念」が出来上がる。 これは、「経験論」と呼ばれますね。 この考え方の代表的哲学者は、ジョーン・ロック(1631-1704年)でしょうか。 「経験論」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96 「ロック」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF これに反して(2)の論理は、人間の「概念」と外の「世界」は相互的に影響しあっているが、真理を決定するには人間が本質的に持っている「概念」が決定的な役割をするという考えかた。 これは、「観念論」と呼びます。 この考え方の代表者は、ルネ・デカルト(1596-1650年)でしょうか。 「コギト・エルゴー・スム命題(吾考える、故に吾あり)」が有名ですね。 他には、ジョージ・バークリー(1685-1753年)がそうでしょうか。 デカルトは近代哲学における(2)の創始者と言っても良いと思うのですが、その論理には経験と思考(どちらが先か)の間で、結構揺れ動いています。 で、たどり着いた答え(仮定)が「コギト命題」です。 「観念論」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E8%AB%96 「デカルト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88 「バークリ」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA くだんの「丸い四角形」を思考するとき、私は次のように考えました。 <「丸い」とは角が無いこと、「四角形」とは角が四つあること。> これは、私がすでに「丸」と「四角形」という概念を持っているから思考出来たのです。 では、この「丸」と「四角形」という「概念」を私はいつ手に入れたのでしょうか? 私は、おそらく小さいときに「言葉」を覚える(教わる)仮定で同時に「●=丸=角がない」と「■=四角形=四つの角がある」というのを知ったはずです。 とすれば、(1)対象⇒概念という事になる。 しかし、世界には「私」が存在するより以前に「●」も「■」も存在していたはずです。 その証拠に、私より先に生きている先輩も「●」や「■」を知っています。 また、歴史にも知っている人が居た事を示す記録には事を欠かないでしょう。 では、私は「丸」や「四角」という「言葉」はしらなくても「●」や「■」があることを生まれながらに知っていたのでしょうか? 「言葉」で考えれば(1)対象⇒概念ですが(そして「言葉」で考えたから「矛盾」だと思った)、形で考えていたらもしかしたら(2)概念⇒対象かもしれません(なぜなら、「●」という「概念」に「丸」を、「■」という「概念」に「四角」を当てはめたのは、「言葉」を覚える仮定で行われた「行為」かもしれないのだから)。 「●」と「■」が「別の概念」だとういことを、生まれたての赤ん坊が「区別」出来ているとも、出来ていないとも今のところ証明はされてないと思います。(ロックの「タブラ・ラサ=人間は生まれたときは白紙である」は、まだ証明されてないと思います) よって、対象と概念どちらが先か、とは中々言えないわけです。 しかし、(少なくとも私は)「丸い四角形」という「言葉」を与えられた「形」を知らないので、「言葉」では(その「存在」を否定する方向に)「思考」し得るが、作り出すことも描き出すことも出来ません。
補足
お忙しい中ご回答いただきありがとうございます。 >しかし、(少なくとも私は)「丸い四角形」という「言葉」を与えられた「形」を知らないので、「言葉」では(その「存在」を否定する方向に)「思考」し得るが、作り出すことも描き出すことも出来ません。 人によっては、ただ「丸い四角形」というだけでは命題でも判断でもないから無意義、無意味ということになるでしょうけど、「そんなものは存在しない」となるとある判断だからそれは有意義であり、思考である、と仰るかも知れませんね。 ただ「思考しうる」というだけでは真偽は問えず無意義だから思考ではないという立場があるかもしれませんね。
- kobarero
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「丸い四角形」は思考です。逆に、「丸い円」や「四角い長方形」は思考ではなく想起です。
お礼
「丸い四角形」を既に知覚された方々には想起といえるのではないでしょうか?
補足
まとめて補足させていただきます。 NO1で「思考しうる」と書いてしまった為に質問の意図が誤解されてしまいました。 質問の意図はこうです。 この質問文の「丸い四角形」という文字をご覧になってそこから「丸い四角形」という対象を言語を介してご説明いただいたわけですが、その場合は概念から対象へ向かっているわけですから思考とい得ると思います。 しかしまったく無関係に「丸い四角形」と言った場合には頭の中には何らかの情報として対象が存在していて言語化(概念化)されるわけですから対象から概念という方向をとるはずです。 つまり思考とは対象⇒概念 概念⇒対象 どりらの方向をとるかという質問です。 また「丸い四角形」つまり思考されたものは思考であるかということです。
- agrippa
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図形の回転も発展系としていいけど. 3次元の物体をそれぞれの角度の視点から平面に投影すれば 丸にも三角にも四角にも星型にも見え得る. 例えば円柱を立てたとき上から見れば丸であり 横から見れば四角に見える. それをそれぞれの座標に投影すれば丸であり四角であるものが描き出される. 言葉の持つ表相と実相が言いたい. のですね?
補足
お忙しい中どうもありがとうございます。 もしよろしければNO6の方で補足させていただきましたので宜しくお願いいたします。
- tenntennsevengoo
- ベストアンサー率14% (17/114)
面白そうなので書かせていただきます。 多分「丸い四角形」は出来ると思います。 まず丸を描きますそして座標をその丸の形が四角形と定義できるように 歪ませます。そうすれば丸い四角形の完成ですw あと質問は丸い四角形は思考し得ることが出来ますか?ということなので 出来ると思います。 多分質問者さんが仰いたいのは丸と四角を同時に発生させることは無理なので無理だろう?と聞きたいわけですね。 例えば精神的には丸に見えて物理的に四角であるとか 丸の定義を変えて「丸は角があるが見つかっていないだけだ」とか 定義自体を変えればその定義に従って想像が可能だと思われます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「丸い四角形」だけでは真偽の別はないわけですが、質問文にもあるように座標に描き出された物の真偽は問えると思います。 つまり、思考しうる、だけでは真偽の別は無く判断ではないわけです。
補足
どうもお忙しいところ興味持っていただきありがとうございます。 NO6の方でちょっと補足させていただきましたのでお時間がありましたらよろしくどうぞ。
- tyr134
- ベストアンサー率51% (851/1656)
思考そのものは、出来るでしょうね。 ただ、それが「現実に存在しえるか」は別問題でしょう。 思考とは、人が何かしらの問題を解決する過程で脳の中で行われるプロセスと言っても良いと思います。 もちろん、言語的思考があれば非言語的思考もあり得ますが。 「丸い四角形」とは、矛盾した存在ですよね。 「丸い」とは角が無いこと、「四角形」とは角が四つあること。 この二つは相反する概念なので、「丸い四角形」とは矛盾している。 故に、存在することは不可能である。 しかし、言語化はする事は出来る。 言語化出来るだけであって、図に書いたりする事は出来ないし、現実に存在させることも出来ない。 言語とは、必ずしも実相を伴ったモノではない。 故に、矛盾という概念が存在する。 たしか、カントだったと思うのですが、人の認識能力には限界があり、また言語化にも限界があるので、真実を理解することは不可能だと言っていた気がします。 「丸い四角形」とは、言語化できるけど、認識したり描き出したりすることは不可能ですね。 言語化出来るだけに、矛盾に陥ってしまうのでしょうね。 と、つらつらと「丸い四角形」について考察してみました。 で、この考察する過程が「思考」なので、「「丸い四角形」は思考出来るか?」と問われれば、答えは「Yes」でしょうね。
補足
どうもお忙しいところご回答いただきありがとうございます。 NO6の方でほそくさせていただきましたのでお暇なら宜しくお願いいたします。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
座標うんぬんに囚われなければ、思考はし得ますが、言語で表現するにはちょっとやっかい。 丸い四角形という言葉を見た瞬間思い描いたのがピラミッド。 でもピラミッドは丸くない。 ではなんで、ピラミッドをイメージしたのか考えたら、ああ なるほどでした。 ピラミッドをくるくる回してみてください。 ほら 四角いが、丸いでしょ? (ピラミッドを寝かして横にして振り回してくださいね) ★ ← これもまわせばまん丸になるし。 なぞなぞ問題っぽい回答ですが、これって反則でしょうか。
補足
いえ、いえ、決して反則ではありません。 NO6で補足させていただきましたので宜しくお願いいたします。
- dexi
- ベストアンサー率14% (318/2128)
先に「思考」の定義を書いてもらったほうが良いかと?
お礼
確か哲学の先生が思考し得ると言っていた記憶がございましてそれで質問をさせていただいたしだいです。
補足
それでは質問をするいみがな~いではあーりませんか。
お礼
お忙しい中ご回答いただきありがとうございます。
補足
あまりに説明不足な質問ですいません。 概念⇒対象、というのはベルクソンの言う概念的方向という意味です。 ベルクソンはこう申しております。 「概念を対象へ適合させようとすることは、要するにその対象をどう取り扱えるか、対象がどう役立ちえるかをとうていることにすぎない。ある概念を対象へ貼り付けることは、その対象がわれわれに示唆すべき行動なり態度なりの種類を精確な言葉で表す言葉なのである。」