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この世界はどうして私を中心に動いているのか?
私には小さな頃からひとつの疑問があります。 それは「どうしてこの世界は自分を中心に動いているんだろう?」というものです。 中学生のとき、母親に聞いてみたら「中学生くらいの子はみんな思うことよ」と言われました。確かに「自分とはなにか?」という疑問はずっと昔から議論されていることは知っています。でも、明らかにこの世界は私を通して存在しているのです。 私は頭がおかしいのでしょうか?この一点を除いてはどこにでもいる普通の人です。
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質問者が選んだベストアンサー
物語を考える上で、主人公という定義は、その物語において主観として描かれる人物だそうです。 この世界は物語で言うところの舞台です、質問者様はその中の主人公。だって質問者様にとってこの世界は、質問者様の主観を持ってして構成されているでしょ? この世界が質問者様を通して存在しているのではなく、質問者様は自分を通してしか世界を見ることはできないんです。 たしかに、物語といったものは、主人公の視点がなければその話が確立しないため、物語の舞台である「世界」も存在しないものに感じられるかもしれません。 ですが、それは舞台が主人公のために用意されたものに過ぎないからです。 現実世界と物語ではそこが違うのではないでしょうか?「主人公ために用意された舞台」なのか「主人公のためではない既存の舞台」なのか。 現実世界は同じ舞台に無数に主人公が存在するのです、全ての人物が主人公であり、だれかにとっての脇役なのです。 質問者様がこの世を自分中心に回るように感じることがおかしいのではなく、自分というものが主観であるかぎりは、この世界は自分中心にしか見られなくて当然なのでは無いでしょうか? この世から全ての人間や記録が消えてしまい、それを主観で捕らえられるものがいなくなってしまったとしたら、現実世界という舞台は存在しないといえるかもしれません。
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ごく一般論で書きますが、貴女が今死んでも世界はいつも通り動きますよ。 貴女は一人っ子ですか?家庭の中では貴女中心に回ってるのかな?
- kjhk0803
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単純に答えますと・・・ 『あなたの視線で世界を見ているから』 に尽きると思います。 当然、見えないところは見えませんし、知らないところは『自分の関与しない世界』ということになります。 自分の顔は鏡を使わないと見えませんし、背中の黒子なんて自分では判りませんよね。でも、そこも当然ながら『世界』として存在します。 結局は自分の見える範囲のみが『自分の世界』と感じ、それがあたかも自分が中心として世界が回っているように思えてしまうわけです。 いわゆる、井の中の蛙状態ですか。 今後成長されるにつれて、自分の関与しない世界を知ることになります。 たとえば、今着ている服は誰がどこで、どんな計画の下作られているのか、など。 服はあなたのためだけに作成されているわけじゃないですよね? たくさんある中から、あなたもしくはご両親が選んだものが結果としてあなたのものになるだけです。 誰しもが小さい頃は、自分の世界の王様です。 それが、少しずつ自分の領土があいまいになり、他人の領土が見えてきます。 そのとき、自分の世界の狭さと、全ての世界が途方も無く広いことが判ると思います。 まずは、自分の視線だけでなく、他人の視線・気持ち(自分がこういう立場だったら・・・)を考えると、他の世界も見えてきますよ。 私は昔、なんで自分の顔は見えないんだろう、とか、なんで眼は二つあるのに見えるのは一つなんだろうとか、そんな疑問を感じていました・・・
- planetankh
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主観ですが、お母様のお答えはすこし的外れな感じでしたね…? わたしがそう答えられたら、 「イヤ、そういうことじゃなくて…」 と、つっこんでしまいそうです(汗 私は体感しているわけではないので、 20111216さんの感覚と一致するかはわからないのですが 友人の「この世は主観でできている」という言葉にハッとしたことがあります。 友人曰く「客観とはありえない。客観も誰かの主観であるということ」 そう考えると、みなおのおの、 自分のフィルターを通して世界を見ています。 フィルターさえ変化すれば世界が180度変化することもある、というのは20111216さんはもう体験されて知っているのではないでしょうか? そういう意味であれば、 世界は自分を中心にして動いていると言えると言えるのじゃないかなーっと。。 どうでしょうか。 そういう感覚とはまた別のものですか?
補足
>「イヤ、そういうことじゃなくて…」 実際につっこみました。 >自分のフィルターを通して世界を見ています。 フィルターさえ変化すれば世界が180度変化することもある パラダイム転換のことですよね。これは何度も経験したことがあります。しかし、それとは別物なんです。 言葉で説明するのがすごく難しいんですが、説明してみます。 TVドラマにしても映画にしてもゲームのRPGにしても、その世界を映し出すカメラという「視点」がありますよね。時にはある空間から、時にはある人物の目線から。 私たちの住むこの世界の「視点」が私の中にあるんです。 分からないですよね。
こんにちは。 それは、あなたから見ればってことですよ。 あなたの友達は、自分から見れば友達ですが、 友達から見れば、自分は友達って事になりますよね? 分かりにくいかもしれませんが、 自分が中心になって物事を考えているからですよ^^ 自分とは何か?と言われても他の生物から見れば、 大勢居る人間の中の一人という事にしかならないですね。 まぁ他の生物は、人間みたいに深い思考能力はないんですけどね。
- Yuka-Rie
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「世界」があって、「自分」がいます。 「自分」が認識できる一部の「世界」が、自分にとっては全ての「世界」なんです。 だって認識できなければ、ないものと一緒ですから。 こんな回答でよろしいでしょうか……。
- 333mol
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昔の人は地球を中心に宇宙が回っていると考えていました。 ですがいろいろと知られるようになると、地球は太陽を中心として回っていることが信じられるようになりました。 よくSFであるネタですが、高名な予言者が「来週世界に終わりが訪れる」と予言し、 その予言者は翌週死んでしまいました。 あなたが“感じる世界”は、確かに“あなたを通して”存在しています。 それはそう感じているだけであって、世界が何を中心としているのかと関係がないのです。
あなたの言う「この世界」の「この」とは何を指して言っているのですか? 物理世界ですか?それなら、そんなことはありませんね、ありえないです。あなたがいなくても、世界は関係なく回っていきます。 それとも、あなたの自己世界ですか? それなら、当然あなたなくして回るわけがないので、あなたを中心に見据えて当然です。 特に、おかしい思考ではありません。 ただ、ほとんどの人は無意識の中に閉じ込めているだけです。
補足
私には「物理世界」と「自己世界」の違いが分かりません。 「物理世界」=「自己世界」ではないですか? この問題は言葉で説明するのがとても難しいのです。 例えば、あるTVドラマを作るとします。その際カメラという「視点」が必要になります。この「視点」が無ければどんなすばらしい俳優がいようと、どんなすばらしいセットがあろうとこのTVドラマは存在しないのと同じです。 「この世界」にもある時間のある場所に「この世界」を体験する「視点」が無ければ存在しえないのではないでしょうか? その「視点」が私にあるのです。
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補足
説明が足りなかったかも知れませんが、私は25歳の男です。 >貴女が今死んでも世界はいつも通り動きますよ。 本当にそうでしょうか?私が死んだらこの世界がどうなるのか分からないんです。この「視点」はどうなるんでしょうか?