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暴力と愛の鞭
高校時代の私は教師から度々暴力を振るわれる生徒でした。 校則違反をしていて反省の色もないとのことで殴る蹴る、棒で叩かれたりもあります。 それでも反省はしませんでした。 逆に教師に対する嫌悪感やともすれば憎悪を抱いただけです。 先日、初老の講師と話しをしていたら最近は子供を叩かないからいけないと仰ってました。 その話しに聞き入りながら妙な違和感を覚えたのですが。。。 暴力と愛の鞭の境界線はどこでしょう?
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叩くべき時に叩かずに、叩く必要でない時に叩く人間が多いだけです。 これを理解出来ない人間が増えてしまったので摩擦を控える為に仕方ないので禁止という方向になった程度です。 叩かないからいけない。じゃなくてじゃあ貴方は叩かなくても良い時に叩いた人間は身体を張って止めていたのか?というわけです。 火をつけたら消火活動は基本ですが、消火活動をしたがる人間が少なくなったのかもしれませんね。 大人組織でも同じですが。 火の放置が多いですね。
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- fusem23
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>最近は子供を叩かないからいけない 昔との違いについて解説してみます。 >ひっぱたかれて彼もすごい驚いた表情をしましたし、私もハッとして上司にチクられたらやばいなーなんて思っていました。 >すると、彼はそれ以来私の後ろを金魚の糞みたいについてまわり、質問してくると汚い字で一生懸命メモをとるようになりました。 >そんな経験をして、私も愛のムチってのもあるんだなーと実感しましたね。 本来の愛の鞭は、こんな感じです。最初から愛の鞭と思ってする人は居ないんですが、偶然にも効果があると、「これが愛の鞭かぁ~」と思っちゃうんです。でも実際には、同じ状況で同じことをやっても、反省なんてする人は、10人に1人という感じです。昔はこんな確率でも良かったんですが、それが段々厳しくなってきて暴力だと言われることが多くなって来たんです。ちなみに、最初から愛の鞭と思ってする人も、わずかに存在すると思いますが、その人のすることは、たぶん最後まで暴力でしょう。 >愛の鞭は殴るほうも痛みを伴うものです。 >行使した人と、受けた側に愛情があったら >良い先生か悪い先生か これらは反省を促す技術として存在します。(本人はそういう意識は無いでしょうが)もしこれでも相手に反省させられなかったら、やはり暴力となるんです。たとえば、周りが良い先生とどんなに思っていても、その先生を嫌っている生徒にとっては暴力でしかありません。 >ところがPTA役員の子供は何をしていても殴られなかったのです。 >おとなの嫌な裏側を見せつけられました。 なかなか現実を理解できない人のようですね。最近は子供に立場の違いを教育することが悪いことのように扱われていますからね。創業者の息子がその会社で優遇されることなんか当然なんですが、それさえも納得できない人が増えてきました。だから、それを大人の裏側だ、と思っちゃうんです。 極端な話をすれば、江戸時代には身分制度がありました。子供だからといってこれを無視すれば、命を無くすかもしれません。そんな環境で育てば、子供でも納得できることです。あるいは、少し昔までは、家には主人というものがいて、他の人はほとんど逆らえなかったんですが、そんな存在もまれになりました。これだけ実体験が少なくなっていれば、学校の道徳の時間にでも教える必要があるかもしれませんね。
- taka-aki
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アメとムチが調教の基本です。 恐怖と欲によって相手をコントロールすることです。 愛などありません。 「秩序」や「効率」を求めれば愛は二の次になります。 でもそれは集団が生き残るために必要なときもあります。 集団の利益のために誰か個人を切り捨てる。 権力にあぐらをかいた者がそれをすれば専横でしょう。 > 暴力と愛の鞭の境界線はどこでしょう? お互いに愛を信じていれば愛の鞭です。 そうじゃないならただの鞭。
お礼
おやおや「調教」とは穏やかではないですね~。 「アメとムチ」が「夜と霧」に見えてきます。 taka-akiさん回答ありがとうございました。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
もう10年以上前かと思いますが、新入社員の面倒を見るようにいわれて何人か面倒を見ていました。その中にひとりどんくさい奴がいて、いくら言っても言ってもなかなか仕事を覚えないしミスが多かったものでした。 ある日、彼が以前教えたことをまた聞いてきたので「以前に教えたときにメモをしておけっていっただろう。一緒にメモ見てやるから出せ」といったらメモを一切残していないことが分かりました。それで、思わず私もカッとして「メモ残しておけっていったのになぜ残していなかったんだッ!」といって思わず彼のホホをひっぱたいてしまいました。 ひっぱたかれて彼もすごい驚いた表情をしましたし、私もハッとして上司にチクられたらやばいなーなんて思っていました。すると、彼はそれ以来私の後ろを金魚の糞みたいについてまわり、質問してくると汚い字で一生懸命メモをとるようになりました。 そんな経験をして、私も愛のムチってのもあるんだなーと実感しましたね。 んで、蛇足すれば質問者さんもその不良生徒時代にもし言葉で諭されてもたぶん理解できなかったんじゃないかと思います。まあ教師が平然と暴力を振るえた時代ですからもう20年かそれ以上前の時代の話ですよね。大変失礼ですが、偏差値も決して高いとはいえなかったでしょう。残念ですが、偏差値75の子と40の子では言葉に対する理解力に違いがあるのは事実ではあります。そうでもしなきゃ学校としての秩序が保てなかったのではないでしょうか。 今は暴力は絶対禁止ですが、おかげで小学生でさえ教師が気に食わないと命令を一切聞かないで授業を妨害したり歩き回ったりするそうです。まあどっちをとるかですよね。
お礼
ふむ、ボンクラを叩いたら目を覚ましたと。。。 昔のテレビの直し方と同じですね^^ 言葉で諭されても理解しませんが殴られても理解できませんでした。 偏差値はどうなんでしょう? 学校のレベルは知りません。そんなことには興味がありませんでした。 小学校でさえ荒れているようですね。 暴力は勿論、体罰まで禁止されていますからね。 明確なボーダーを引くことは難しそうです。 eroero1919さん回答ありがとうございました。
- fusem23
- ベストアンサー率18% (72/383)
客観的な基準はありません。同じ行為でも、された側が納得しなければ暴力で、納得すれば愛の鞭というだけです。 する側は常に愛の鞭と主張するでしょう。たとえ、内心怒り任せの暴力と思っていても、たまに効果があることもありますから、それを主張すれば愛の鞭ということになります。 あなたについては反省していないのですから、暴力だった訳です。
お礼
>あなたについては反省していないのですから、暴力だった訳です。 あの頃はなにを言われても反省しなかったでしょうね。 可愛げがなかったので怒り任せの暴力を受けた気がします。 ところがPTA役員の子供は何をしていても殴られなかったのです。 おとなの嫌な裏側を見せつけられました。 fusem23さん回答ありがとうございました。
- dai-ym
- ベストアンサー率22% (848/3824)
愛の鞭は殴るほうも痛みを伴うものです。 なぜか、もう殴るしか手段がないという最終手段に使うものだからです。 口で何でも話し、注意し目をかけ、あらゆる手段の後に仕方なく出るものです。 殴るほうも自分の指導力不足を嘆き、殴らなきゃならなくなったことを悲しみながら殴るものです。 だから高校の先生のように頻繁に暴力を振るうことは愛の鞭とは言いません。 ましてや棒のように物を使うのは最悪です。 なぜなら素手で殴るというのは殴るほうも痛いですが、道具を使っては殴る方はいたくないですから。
お礼
道具を使って叩いた教師は卒業後も根に持ちました。 駅で見かけたときハゲ頭を叩いてやろうかと思ったくらいです。 >口で何でも話し、注意し目をかけ、あらゆる手段の後に仕方なく出るものです。 こうした指導であれば良かったんですけど。。。 dai-ymさん回答ありがとうございました。
- r-utsugi
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暴力と愛の鞭は、端から見たら一緒でも、全く違ったものでもある。 そう思います。 その区別を出来るのは、行使した本人だけだ、ということですね。 だから傍目には境界線はないと思います。 行使した人と、受けた側に愛情があったら、両人が分かる、というシチュエーションもあるでしょうね。 ただ、憎い体罰は受けた側もすぐに分かります。 個人的には、愛の鞭はあまり記憶にありません。 これは受け手のこちら側が未熟だったのかも知れませんね。 私が行使する側で愛情故の行為なら、理解しない相手と、あえてそれをしなければならない未熟な自分が情けなくて泣くかも知れません。
お礼
卒業式の日、ひとりの先生は泣いてくれました。 「お前が卒業できるとは思わなかった・・・」と。 この先生は他の学校の生徒も知っているくらいに恐れられていましたから私も殴られているはずです。 が、思い出せません。 幾ら考えても笑顔とあのクシャクシャの泣き顔だけなんですね。 今でも「元気にしてるかな~」なんて時々考えます。 r-utsugiさん回答ありがとうございました。
- need-hear
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先生生徒双方の意識と意味を考えないと解釈は180度変わると思います 良い先生か悪い先生か 良い生徒か悪い生徒か 何か非があることをしたかしていないか それによって境界線は変わるでしょう 少なくともあなたに対しては体罰ではなく暴力だったわけで、反省を促す効果はなかったわけですから 私もよく殴られ蹴られましたが、まあ自分のしたことで納得はしています ただあれも体罰ではなく暴力であそこまですることはなかったはずと未だ思っています 叩かないからいけないと言うのも すべてが万事に通用するものでないと思われるのが良いと思います
お礼
need-hearさんも教師から暴力を振るわれましたか^^; >良い先生か悪い先生か >良い生徒か悪い生徒か >何か非があることをしたかしていないか 非があることはしてました。 体罰であれば良いというご意見ですね。 need-hearさん回答ありがとうございました。
お礼
>叩くべき時に叩かずに、叩く必要でない時に叩く人間が多いだけです。 仰るとおりだと思います。 とても参考になりました。 jamiruさん回答ありがとうございました。