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明治政府はなぜ秋蚕を禁止したのでしょうか。
官営富岡製糸場が世界文化遺産リストにリストアップされるかもしれないとの報道に接しました。そして初代所長の尾高が明治政府の禁止している秋蚕の普及に努めたため失職したとの説明を聞きました。ここで幾つか質問ですが… (1)明治政府はなぜ秋蚕を禁止したのですか。 (2)尾高は明治初期に発見された秋蚕の普及に努めたとありますが,春蚕・夏蚕・秋蚕・晩秋蚕は別な蚕なのでしょうか。それとも同じ蚕なのでしょうか。さらに当時の状況と現在は同じなのでしょうか。 ご教示ください。
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回答No.1
(1)だけなら、回答できるかもしれません。 詳しくは参考URLを参照していただくとしまして……。 おそらく、夏と秋は春蚕に比べて飼育環境が高温多湿で、桑の葉質が劣るなど、養蚕を行う条件が不良なため病原が発生しやすいからではないのでしょうか? 明治時代ですから、病理学なんかも発達していなかったでしょう。
補足
政府が禁止するからには,デメリットがあったからでしょうね。考えられることは,(1)飼育が難しい (2)秋の農繁期と重なる 等です。(1)は当然考えられる理由です。(2)は尾高が普及に努めた埼玉や群馬が,確か桑は水田や畑にできるところでの作付けは禁止されていたと記憶していますので,当時どんな作物を作っていたのかわかりませんので,農繁期かどうかもわかりません。(1)が一番可能性の高い理由かもしれませんね。ありがとうございました。