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バケツ一杯の雨水
詩人の長田弘さんの詩集『深呼吸の必要』(晶文社)を 読んでいて気になるフレーズがありました。「驟雨」と いう詩の一節です。 むかし、ギリシアの哲人はいったっけ。 (…魂はね、バケツ一杯の雨水によく似ているんだ…) この「魂はね…」と言ったギリシアの哲学者って誰なの でしょう?もしわかれば、面白い表現だし、その前後の 文脈にも興味があるので、読みたいと思います。 「この人だ!」「この人ではないかな?」「この人の 学説に似ているよ」「この人のこの本じゃない」「この 本の何ページから書いてあったよ」…。どんな情報でも 構いません。ご協力いただければ幸いです。
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エピクテートスの英訳から該当しそうな部分を見つけました。 Such as is a dish of water, such is the soul. Such as is the ray of light which falls on the water, such are the appearances. When the water is moved, the ray also seems to be moved, yet it is not moved. バケツでもなければ雨水でもありませんが、他にそれらしい文言はないようです。前後の文脈については下記をご覧ください。第3章の最後、第4章の直前の段落です。 それにしても、これが原典だとしたら、長田弘さんはどういう意味で詩の中に使ったんでしょうね。
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ジェームズ・ジョイスの『若き芸術家の肖像(A portrait of the Artist as a Young Man)』に次のような部分があります。 -- Epictetus also had a lamp, said the dean, which was sold for a fancy price after his death. It was the lamp he wrote his philosophical dissertations by. You know Epictetus? -- An old gentleman, said Stephen coarsely, who said that the soul is very like a bucketful of water. (下記ページ内を Epictetus で検索してみてください。) これによると問題の「ギリシアの哲人」はストア派の哲学者エピクテートスということになります。間接情報ですが、とりあえずご報告しておきます。
お礼
ありがとうございます。長田さんのいうギリシアの 哲学者は、どうやらエピクテートスみたいですね。 ただご紹介いただいたものを読むとエピクテートスの 引用からというよりはジェームズ・ジョイスから 孫引きしたんじゃないかななんて思いました。 どのような意図で長田さんがこの句を引用したか、 ということはたぶん単純にイメージの問題では なかったかと思います。「むかし…」の文章に 入る直前の文章に「黙ったまま、ずっと雨空を みあげていると、いつかこころのバケツに雨水が 溜まってくるようだ」とありますので…。 エピクテートスの文章を英訳で読むのは、僕には 少々、荷が重そうなので、中公バックスあたりの 和訳を読んでみようかと思います。 それにしてもエピクテートスってストア派だった んですね。最近、マルクス・アウレーリウスやセネカを 好んで読んでいたので、ちょっと嬉しいです。 とても有益な情報でした。本当にありがとうございました。 回答のほうはもう2、3日閉じないでおこうと思います。 ぽかあんと空を見上げるように待ってみれば、バケツに 水が溜まるかも知れませんし…。