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どうして人を殺しちゃいけないの?
タイトルに驚いた方も多いと思いますが・・・ f^_^; 前に 「今の大人たちは人間としてコノ一番基本的なことを幼稚園生がわかるように簡単に、わかりやすく説明できなくなっている」 ということを聞きました。 私は母にそのことを聞くと、「その人にこれからあるであろう、たくさんの出来事(幸せ・悲しみ・怒り・喜び・恋愛・結婚etc.)を奪う権利は誰にもないから、人を殺してはいけないんだよ」と答えが返ってきました。 正直、私も「なんで?」って言われたら説明できないよー!と思ったので 母に聞きました。 今の大人たちは「あーそっか」って納得が得られるような答えをできるのか気になります。 私は母の意見に納得できました。 この質問で回答をくださる方へのお願いとして、 他の回答者の気分を害するようなことは書き込まない ということをお願いさせていただきたいと思います。 幼稚園生でもわかるような回答を頂きたいと思って たくさんの方に意見をいただけそうなコノカテに質問しました(^^) よろしくお願いいたします☆
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#10で投稿した者です。 >今の大人たちは人間としてコノ一番基本的なことを幼稚園生がわかるように簡単に、わかりやすく説明できなくなっている とのことに、以前なら説明しないですんだ、それは、みんなが自明のこととして価値観を共有していたからだと書きました。 でも、今日でもやはり、みなさんは、この価値観を共有していると思います。むろん何時の時代にも価値観を共有していない人は居ました。でも、それが今問題になるのは、「みんなは、やはり同じ価値観を共有しているんだよ。」ということを説明しないと不安になったからだと思います。 このような現象は、あの神戸の小学生が殺害された事件が契機だったのではないでしょうか。加害者は、人と機械の区別が付いていないような感じでした。 そこで、うまく説明できないけど、説明に努力することで、やはり、この価値観をほとんどの人が共有しているのを確かめないと不安になったからではないでしょうか。
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あなたは殺されたいですか?自分のいやなことを他人にするのはやめましょう。
- stingray
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じゃシンプルに。 別に人は殺してもいいですよ。 (中絶も殺人といわれているし,死刑も殺人, 戦争も国家による殺人行為だし,ケースによりむしろ賞賛される。) ただ,「人を殺していい」と言うルールは, その反対の「人を殺してはいけない」というルールと同じで, 誰にでも共通します。 アナタがその「人を殺していい」と言うルールの元,それを実行すれば, アナタにも「人を殺していい」と言うルールが適用されます。 …ヤッパ解りにくかったかな?(^^;
- yan3
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お母様の仰った事はとても納得のいきますが、殺す事や殺される事の意味も知らない幼稚園生に敢えて、その意味を説明する必要はないと思います。 それより、動物や虫、草花などに接する機会を与え、それらの生命を愛しいと思う気持ちを育てる事が大切ではないでしょうか。また、人もそれらと同じ生き物の仲間と言う認識を持たせることも。基本的な人格がはぐくまれる時期に、身をもって体験した事はどんな言葉より後々説得力を持ってくると思います。 ペットを飼うのを厭う家庭もありますが、私は生命の重さを体験から学ばせる素晴らしい機会だと思っています。幼児は小さいもの可愛いものが大好きですから。機会が作れなければ絵本でも構わないと思います。 また、一見気味の悪い虫でも、例えば蜘蛛でも家の守り神で悪い虫を退治してくれるいい虫なんだよと説明すれば、小さい子でも分かります。実際、3歳児でも触る勇気はなくても『蜘蛛さんがいるよ』とニコニコ教えてくれたりしますし、むやみに怖がったり殺したりしません。 逆に大人が嫌いだからとむやみに殺すのを身近で見ていれば、虫は殺しても構わないと思うでしょうし虫を嫌うようになるかもしれません。動物に対する接し方でも同じです。 大きくなれば、嫌でも殺す事の意味を知るようになるでしょう。その前に生き物を愛する心が育っていれば、人を殺してもいいのかと言う問に対して、理屈抜きでいけない事だと嫌悪を感じる筈だと思います。 そして、最も大切な事は親や大人が子供と言う生命を大切にし、愛情を持って育てる事でしょう。
- FFMAN
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人は死の恐怖や愛するものを失いたくないという感情をもっているものだから。 補足して説明するならば、これらの感情が「人を殺してはいけない」という結論を導くのは自明だと思います。「人を殺してもよい」という規則は、自分と自分の愛する人を殺してもよいことを容認することであり、これを回避するためには、「自分と自分の愛する人を殺してはいけない」という類の規則を両立させるか、「人を殺してはいけない」という規則を採用するしかありません。前者の規則を万人に認めさせるのは(不公平を理由に)事実上困難でしょうから、結局後者の規則を選択するのが自然の流れでしょう。よって、通常の大多数の人は「人は殺してはいけない」という規則を好もうが好むまいが選択せざるを得ないはずです。 というわけで、幼稚園生に「人を殺してはいけない」ということを説明するならば、死の恐怖と愛するものを失いたくないという感情と、「人を殺してはいけない」という規則の間との関係を認識させることを心がけます。具体的な説明としては、人を殺してよいのならば、お父さんやお母さんが殺されていなくなってしまうかもしれないとか、自分が死んでしまうかもしれない、といった共感しやすい例を挙げていくありがちな方法でしょうか。
- Singollo
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> 殺す殺されるって、幼い子どもに上手く伝え > られるものなの でしょうか? > > 私も死に対しては考えたことはあっても、殺 > すとか殺されるとかは考えた経験がほとんど > ないので、逆に私には難しいのですが > (??;) 殺されたら死ぬということの伝え方ですか? うーん、そうなっちゃうともう、倫理とか道徳より言葉の意味の問題ですねぇ… それが分からない段階の子供だと、『殺す』という『行為』の善悪以前に、まだ『殺す』という『言葉』の意味も分かっていないんじゃないかと思いますが
お礼
2度も回答していただいてありがとうございますm(_ _)m
補足
>殺されたら死ぬということの伝え方ですか? 私は、殺される→死んでしまう っていうイメージが頭にあったのですが、 必ずしもそうなるわけではありませんでした。 色んな方向性から考えられましたねー。 >それが分からない段階の子供だと、『殺す』という『行為』の善悪以前に、 >まだ『殺す』という『言葉』の意味も分かっていないんじゃないかと思いますが そうです。 だから、「どうして?」って疑問が起こるんだと思うんです。わからないから でも、私の考えです。
- dolls
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人を殺すということは、恐らく誰でも出来ると思います。誰でもというのは語弊がありますが、例えそれが一歳児でも可能かもしれません。 では、それがなぜ「いけないことなのか」ということが問題ですが、幼稚園児にも、よくないこと、わるいこと、してはいけないこと、といった言葉はわかると思いますので、もし教えるには、人殺しは多くの人(お父さんやお母さん)が悲しむから、悪いことだとみんなで決めたので、してはいけません。といえばいいような気がします。 それでも、なぜ?が残る子供もいるでしょうね。その先は自分で考えて答えを見つけて欲しいのですが、いけないといわれている事は、しないほうがいいのですよという回答でいいと思います。
お礼
>それでも、なぜ?が残る子供もいるでしょうね。 いると思います。 実際、私もそのタイプの園児だったと思うので・・・。 >その先は自分で考えて答えを見つけて欲しいのですが、 >いけないといわれている事は、しないほうがいいのですよ >という回答でいいと思います。 ちょっと私には引っかかってしまうところがある感じがします。 「なぜ?が残る子供」には不完全燃焼のような気がするからです。 それに、話はそれてしまいますが、 高校生が化粧・ピアスなどなどしてはいけないという校則がある高校がどこの県にも あると思います。 なぜそれがいけないのか? 私だって納得できる答えがあれば、やめてもいいですが なーんて、私の話をしてしまいました (^^;;) 回答ありがとうございます★
- jun95
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ぼくは、幼稚園児の能力では分かるのは、自分がされてからだが痛いことだと思うのです。たとえば、子犬はかわいいから、持ち上げようとして、一本の足をつかんで引っ張ると、子犬は悲鳴を上げますよね。そういうとき、その幼稚園児の腕をつかんで引っ張り上げてみて、どんなに痛いかを体験させます。その延長上として、死ぬのは痛かったり苦しいことが分かるはずです。 ぼくなどは、幼いときから、わがままを言うと、親父が殴るので、親父は怖いものだというのが身にしみて分かっています。親父が「人を殺すのは一番悪いことや」というとき、「なぜ」と質問すると、「そんなこともわからんのか」と殴られたり、煙草の火を押しつけたりしました。 私の個人的な意見ですが、フロイトは、自我を制するものとして超自我をあげましたように、怖い親父を持つと、悪いことをしないばかりか、むしろ萎縮してしまう面もあるので、トラウマにならない程度に、体で覚え指すというのもいいかもしれないと思っています。 今の世代は、少なくとも、高校を出ている知識人が多いので、理論的に説明しがちになるのだと思われます。 ちなみに、ぼくの両親は、農家で生まれたこともあると思いますが中卒です。
お礼
>その延長上として、死ぬのは痛かったり苦しいことが分かるはずです。 私には見えないくらい遠くにあるもののような気がして、計り知れないくらい痛くて苦しいということくらいしか想像ができません。 そんな感じで説明できればいいのですね、きっと。 >今の世代は、少なくとも、高校を出ている知識人が多いので、 >理論的に説明しがちになるのだと思われます。 それ、共感できます。両親を見てるとそんな感じがします。 説明したからってわかるものじゃないんですね コノ質問を立ち上げて、皆さんに回答を頂いて、よくわかりました(^^;) 私のお礼が何とも気に入るように上手く書けませんでした (-.-;) きちんと私の気持ちが伝わっているか不安ですが・・・ 回答ありがとうございます*
- h13124
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幼稚園児だと、身近な人の例を挙げて説明するのがよいかもしれません。でも、難しいですね。親しい友達を殺したら、もう二度と会えないし、その原因が、自分が殺したことだということで、苦しい思いをするから、位でしょうか。その殺された人の家族も悲しいでしょう。 >「今の大人たちは人間としてコノ一番基本的なことを幼稚園生がわかるように簡単に、わかりやすく説明できなくなっている とのことでしたが。以前だとこのようなことは、説明せずにすんだことです。自明のこととして、みんなが価値観を共有していました。その時に聞いても、やはり誰もわかりやすく説明できなかったと思います。
お礼
>以前だとこのようなことは、説明せずにすんだことです。 >自明のこととして、みんなが価値観を共有していました。 そうなんですねー 同感いたしました。 やっぱり、言葉で説明できないことの方が重要なことが多いんですね。 >その時に聞いても、やはり誰もわかりやすく説明できなかったと思います。 やっぱり、いつでも言葉では説明しにくい問題なのでしょうか・・・? でも、一番問題を感じなければならないことは >以前だとこのようなことは、説明せずにすんだことです。 ということですよね。 私を含めて、みんなが少しずつ自覚しなければならないことような気がしました。 回答ありがとうございます*
- gokurakuyama
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cocomidhiさん、こんばんは。 多少仏教にかかわる者ですが、 >幼稚園生でもわかるような回答を頂きたい ということなので、出来るだけ仏教色をなくしてお答えします。 「どうして人を殺してはいけないのでしょうか?」この質問が出るプロセスは私が察する限り、 世の中には自分に危害を与える、自分に取っては排除したい、あるいはその存在さえも自分に合わない人がいる=その対象がなくなれば、自分が楽に暮らせる。思う通りに生きられる=でも、その人がいる限り無理である=それなら排除すべきである 多少違ってもそんなところではないでしょうか? では逆説に考えてみましょう。 排除すべき(殺すべき)人がいる=何故なら、その人がそこにいて、自分の思い通りにならない。=そして、その人がいるために自分が思い通りに生きられない= だから、私とあの人は合わない=自分には合わない、危害を加える人だから。となりますね。 この図式に自分を当てはめてみましょう。 すべての人々に取って自分は必要な人間でしょうか? かつて自分は他人に迷惑をかけた事がない人間でしょうか? 学校の成績、試験の平均点数、入試の可否や就職試験、はてや結婚や収入に至るまで、他人に良きにつけ悪しきにつけ、何一つ影響されない(自分が影響しない)ことはないでしょう。 あなたがいなければあなたより成績の悪い人は上に上がるでしょう。 あなたがいなければ試験の平均点も、下がるかも知れません。 入試も定数があればあなたがいないことによって、合格する人がいるかも知れません。 結婚も恋人のライバルがあなただったら、収入も同期で課長になったあなたがいれば、その昇進からはずれた人に取ってあなたは? もっと言い換えれば、他人のお世話や、迷惑をかけない(かけてもらわない)と、私たちは生きていけないのです。 もし、牛や豚や、魚や野菜や、その他の生き物に人間のように意志があって抗議できるのであれば、その命を平気で奪って(食して)行く人間に対して、命や武器を持って抵抗するでしょう。 そこなんですよ。 私たち人間は他の生き物のように種族保存や本能の他に、自分の意志を持って「その自分の生き様をつぶさにみながら生きていく事の出来る」唯一の生き物なのです。 そして、あらゆる者の命や、営みや、お陰様をいただかないと生きていけない動物なのです。 長くなりました。 人間は後々のためとか言いながら、明日、あさっての食料を冷蔵庫にこれでもかと言うほど押し入れ、将来のために必要以上の貯蓄を蓄え、本来の目的を忘れて蓄えのためだけに四苦八苦している。 そんなところに人間の人間たる所以を忘れてるような気がします。 「幼稚遠生でもわかる内容を」とわかっていても、難しくしてしまいました。 お許し下さい。 私たちは色々なものの「ご縁」により生かされているという事に気づいていただければと思います。 最後に仏教色が出てしまいましたがご容赦を。
お礼
私のご先祖様が僧侶だったので、gokurakuyamaさんに親近感が沸きます(^^) 私にはよくわかりました。まあ高校2年生にもなるので、わからないとどうしようもなくなるのですが・・・ (^^;) 幼稚園生には難しいかもしれないけれど、どうにでも砕いて話はできそうな感じですね でも、質問の内容とは関係なく、常々私が考えていること・疑問に思っていること・矛盾を感じてしまうことなどの根底がコノ回答に入っている気がしました。 個人的にgokurakuyamaさんの話をもっと聞かせていただきたいです(笑) 「殺す」というとこまでの道のりが私の頭にはありませんでした。 行動を起こすまでのプロセスに隠されているものが膨大だということに気づきました。 そして、それが何よりも大切だということにも。 回答ありがとうございますm(_ _)m
- yukarikihara
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そのようにルールを決めたからだと思います。 人間も自分の利益のためなら人を殺す正当性(語弊がありますが)はじゅうぶんあります。 野生には自分の利益になるなら他の動物を殺す生き物はいっぱい居ますから。 しかしひとを殺そうとしたら自分も危険をともないますよね。 猫だって理由なく猫どうしで殺し合いません、でもネズミや蝉は殺します。 なにより自分も殺されたら嫌です、安心して暮らせません。 だからそういう事はやめましょう..と言う暗黙の了解がもともとあり、改めてルールにした と私は思います。 こういう事って正解が大事ではなくて自分で考えるのが大事なんだと思います。 「今の大人たちは人間としてコノ一番基本的なことを幼稚園生がわかるように簡単に、わかりやすく説明できなくなっている」 そのわけは自分で考えず人に質問して答えを得る人が多いからだと思います。
お礼
なんか、どのように抜粋してお礼を書いていいのやらわからないので・・・ 人間とはなんて自分勝手な生き物か思い知らされるような、回答です。 人は生きるために必要な分以上の生き物を殺していますよね、 それなのに・・・ っていう矛盾点を発見いたしました。 暗黙の了解って安全だけど、ちょっと怖いですね。 人ってズルイですねぇ つくづく感じてしまいます。 >そのわけは自分で考えず人に質問して答えを得る人が多いからだと思います。 私もその一人です。 本質(?)を見極める作業がかなり手ごわいことがわかりました。 色んな視点から物事を見る、いいきっかけにならないかなと思って質問を立ててみたんですが 落とし穴がありましたね。 回答ありがとうございます(^^)
お礼
回答ありがとうございます。 たった今、締め切ろうと思っていたところです (-。-; >加害者は、人と機械の区別が付いていないような感じでした。 そんな感じですね。 なんで?って思い、何が違うんだろうと思っていたら、ソコでしたね・・・ あ~って感じです。 ^^; >説明に努力することで、やはり、この価値観をほとんどの人が共有しているのを >確かめないと不安になったからではないでしょうか。 そっか~!やっと、私の中でまとまりましたー! (>_<) 最後にスッキリできて良かったデス!! でも、殺人が起こってしまうというのは、なんとも最悪な事態ですね。 悲惨というか、なんというか・・・ 言葉が浮かびませんが 2度も回答をして下さってありがとうございました m(_ _)m コノ質問の最後の回答に相応しくて、嬉しいです*