- ベストアンサー
笑いを取る人の人気の続かなさ
笑いを取る人がいます。しかし、それはいつまでもおもしろくはありませんよね。また、笑いをとる、ギャグ漫画も最初はおもしろくても、途中からつまらなくなりますよね。たぶんネタが切れるのとおもうのですが、納得できる説明ができる方、回答お願い申し上げます。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
はじめまして。 「泣かせる」「怒らせる」のは非常に簡単です。 ところが「笑わせる」のは非常に困難です。 素人のギャグほど笑えないものはありません。 同じネタでは慣れて飽きられる。新しいネタが受ければ良いけど、外れると一気に仕事が無くなります。 ギャグマンガにしても同じです。しかも「お笑い」より消耗度は激しいです。次々に新しい笑いを提供しなければならないのですから。しかもマンガも人気商売で、毎週・毎月の結果で即判断されます。 そのためにギャグマンガを描いている作家は常に強いプレッシャーと対峙しているような状況です。 ストーリーマンガは創るのはギャグマンガを創るよりも遥かにラクです。積み重ねで「不快にさせる」「共感させる」「泣かせる」「感動させる」が出来るので。 ところがギャグマンガはこの手法が使えません。ほとんど一発勝負です。 おかげでギャグマンガ作家は心身共に疲労します。 精神を病んでしまう人もいます。 ネタ切れだけでもないのです。
その他の回答 (4)
- myeyesonly
- ベストアンサー率36% (3818/10368)
こんにちは。 これは、現在の芸能界(お笑い分野?)全体が抱えてる構造的問題だと思います。 >たぶんネタが切れるのとおもうのですが… その通り、つまりネタを見せ、聞かせして笑いを取っているからです。 古典芸能の落語を見ればその違いは一目瞭然でしょう。 落語の古典と言われる作品は百年にも及ぶ歴史がありますが、同じ演目でも、いまだに飽きられていません。 落語は芸を見て笑います。 その芸は一朝一夕の物じゃありませんから、素人が少々練習したぐらいでまねできるような物じゃありません。 だから何度でも芸を見て笑えます。 喜怒哀楽の芸術はこうあるべき、という伝統に裏打ちされた証拠の一つといえるのではないでしょうか。
- kyoutoukyo
- ベストアンサー率6% (97/1560)
笑う側が成長してしまうと上から目線になってしまいますもんねぇ。 「この漫才師も終わりだな」とか言い出すw ですから発信側は常に受信者より上にいないといけないのですか……たいへんですよね
- wanekoz
- ベストアンサー率14% (199/1373)
「ネタが切れる」 が正解です。 だれがみてもそうですよ。
- jyukkasapp
- ベストアンサー率14% (36/242)
(私見です) 日本人の世界観に「ハレとケ」という概念があります。 笑いは日本人にとってハレなのでしょう。 ハレは非日常であるから良いのであって、日常とするには適しません。 笑いを日常化する(ハレをケにする)と、不都合が生じてしまう(ケガレる)のでしょうね。 笑いを取る人の人気の続かなさ、ギャグ漫画のネタ切れ。 みな「ケガレ」によるものだと、私は分析しています。 ******** 「ハレとケ」とは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。 民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)はふだんの生活である「日常」を表している。 また、ケ(褻)の生活が順調に行かなくなることをケガレ(気枯れ)という。 ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別した。 ***(wikipedia)******