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鬱を患った場合の実力って?
こんにちは。私は主婦ですが、幼い頃から抑うつ状態に悩まされ、今もまだまだ、進行形です。 また、幼い頃、おかしくなる前は勉強も沢山し、成績もとてもよかったです。でも、おかしくなってからは、全然だめになり、学歴も残せず、学歴コンプレックスが非常に強くなりました。 そんな話を夫にすると、その結果は「実力のうちだったのかもしれないよ」といわれ、なんだか、無性に悔しいやら、違う!と言いたいやら、心が荒んでしまいました。 鬱など精神に関わるようなものをもち、思うように動けなく、それが主な原因で結果が残せなかったことは、その人の本当の実力なのでしょうか?
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No6です。No7様のご指摘の件はNo5様ではなく、私の文ですよね? こういう形でお答えしていいものかどうか、これが許されるのかわからないのですが、一応お答えします。 文章を再度お読みいただきたいのですが、 私が幼いころから…と書きましたのは、単なる抑鬱ではなくて、日常生活が送れず治療を要する抑鬱です。 食事も食べられない、眠れない…そういったように日常生活が送れないくらいの抑鬱のまま幼い頃から過ごしてきた(恐らく十数年~数十年)、それはやはりありえないことだと思いますよ。 (ちなみに、質問文からは質問者様が躁鬱だとは読み取れませんでしたが…)。 本が読めない時期もあった、確かにそういう時期もあったのでしょうが、そういう時期だけで今まで過ごしてきたのではないわけですよね?(躁ではなくて)楽な時期もあったのではありませんか? 本が読めない、トイレにも行けない、そんな状況がずっと続いている人に対して、冗談にしろ「実力のうち」等とご主人が果たして仰るものなのでしょうか? 質問者様の文を読んで最初に思ったのが、「この方はちゃんと治療を受けていらっしゃるのかな?」「そもそも本当に鬱(鬱病)なのかな?」ということです。 病名を言われたことがないそうですが、もしかしたら鬱じゃないかもしれませんよ。 他の病気かも知れません。 鬱病の特徴的な症状はありますか? 他の科の先生に診ていただいたことはありますか? 仮に鬱だとしても、いわゆる難治性鬱の場合、「ちゃんと薬を飲んで家事も仕事も休んで、(場合によっては)電気治療も受けて…それでも調子が悪いのです。どうしたらいいでしょうか?」という質問内容になることが多いですが、この質問はそうではありませんでした。 他の方へのお礼にきちんと治療しなかったと書いていらっしゃいますが、逆に言えば、きちんと治療せずとも学生時代を終え、ご結婚もしてこられたわけですよね? これはかなり大きいと思いますよ。 私が言いたかったのは(恐らくご主人も同じかなぁと思うのですが)「辛いのならちゃんと治療を受けて治して。そうでないならひたすら頑張らなくてはいけない」ということです。 きちんと治療を受けない人から「鬱で実力がでない」と言われても周囲は何の言いようもありませんから。 また病名も確認すべきですね。 (そもそも鬱だとはいわれていないのですよね?) セカンドオピニオンはとりましたか? 自分の体を治す一生懸命さを見せれば、ご主人も理解なさると思いますよ。 それから、努力に関してですが、 生きること、それ自体が努力だと思いますよ。 高尚なものでもなんでもなく、息を吸ったり食事をしたり、眠ったりするのと同じようなもの。 質問者様はご自身で気付いていないようですが、今までだいぶ努力をなさってきたのではありませんか?
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- yukko1227
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ごめんなさい、No6の方へのレスでした。 私も経験しましたが、抑うつ状態でずっと過ごしてきた可能性はあるんじゃないかな?ということが言いたかったんです。ただ気づかないだけだったり、周りにそんなのは怠けているだけだといわれ、無理やり自身を納得させてきただけなのでは?と。 この質問者の方は、程度の差はあれ、鬱かもしれないのに、一方的に否定した言い方に疑問を感じたのです。もしお気に障ったらごめんなさい。 そのほかの意見は、同様のものあったり、中にはこちらが気づかされる部分が多かったです。 こういうメンタルな面で悩んでいる人は、人の文章の言葉尻に敏感だったりするので、少しお伝えしたかっただけです。 なにはともあれ、質問者の方がきちんと自分自身の病気(びょうきであればですけど)に向き合って、人生を素敵にすごしてくださればいい名と思うばかりです。
お礼
こんにちは。皆さんの意見は本当にありがたく、頂戴しています。 No.6さんの「失礼だ」とあったのは、私にも事の真意が理解ができたので大丈夫ですよ。でも、気をまわしていただいて、そして、意見をこの場に寄せてくれて、とても嬉しかったですし、新たなやりとりのなかで発見もあり、私としては、ありがたかったです。 また、今はキツイことを言われたとしても、傷つく時期が過ぎ、傷つくことよりも、自分が傷ついてでも、変わりたい思いが強く、自分なりに噛み砕いて受け入れられようになっています。ただ、噛み砕いた後、それが、ちゃんと自分の力に備わっているか否かはわかりませんがね。 また、私は病名には拘っていなかったところがありました。病院へ行っても、薬もいまいちだし、良くなる気配もなかったしで、良い印象がなく、自分の判断としては、日常生活をぎりぎりでもおくれているので、どんな病気や状態であっても重度ではない・・という判断でいました。抑うつでも、鬱病であっても、パニック障害、ADHDであっても、程度の違いでどちらが重いとか軽いと簡単に判断できるものでないでしょうしね。 ただ、重度でないと言っても、辛い思いは、自分の中にあり、外にあるものでなく、外のものと比較するのが難しいく、辛いことは辛いですね。重度の場合と比べると楽なんだから・・などとなかなか客観的に比較できないものですね。でも、もう少しこのあたりもベクトルを変えていければ、自分も変わるような気がしています。それでは、本当にありがとうございました。
- purin_pome
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私も、miro1さんと同様に長期間抑うつ状態に悩まされ、現在もこの病気と付き合っています。 私は高校1年の時に抑うつ状態になりました。 それまでは、自分でいうのもなんですが、勉強、スポーツ、音楽、美術と全般において高スキルを持っていました。 しかし、高校1年の夏頃から自分が自分でなくなりました。 抑うつ状態の為、全てにおいてやる気がおきず、それまでの自分の能力の十分の一も発揮できなくなってしまいました。 それからもう10年以上経ちます。 私の場合は落ち着いている期間もありましたが、ある一定の条件下(言葉では説明できないので省略します。)にいると抑うつ状態になってしまいます。 神が私に試練を与えているのだと、自分に言い聞かせて自身を納得させています。 話がそれてしまいましたが、miro1さんの質問に回答をするならば、鬱状態に陥ると本来の実力を発揮できないどころか、開花したかもしれない才能をも奪われると思います。
お礼
こんにちは。私も試練を与えられているのかな・・なんて思うことあります。恐らく、精神にかかわる特別なものをもっていない人も辛い出来事があると、そのように感じること多々あるのだろうと感じ、私には、精神の分野での弱いところがそういうことなのかな・・なんて思っていますが、私もそろそろいい年で、いい加減試練との対決をしたいっていうところです。No.9さんは30歳位ですか?私は30歳を超えた位から、少し良い方へベクトルが変わり始めました。酷い時は一生このままと思ってましたから、予想しないことが起きるものだなと思ったものです。でも、それと同時にそれから年月が経ち、完全に変なものがぬけるのは難しいのかな、なんて思いもあります。貴重な意見を伺えて、嬉しかったです。ありがとうございます。
- yukko1227
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No3のものです 幼い頃からずっと抑鬱状態というのはありえません。とNo5の人が断言していますが、そういうことは言えるのでしょうか?この方の症状をはっきり知らないのに、断言するのは性急では? 一生を通して、欝、抑うつを繰り返す症状もあります。 解決策は低躁状態を保つことだそうです。 私はあなたの話を聞いて、鬱患者として、失礼な人だなと思ったりしなかったし、あなたが自分の価値を低く見てしまう気持ちにが痛いほどよくわかります。 確かに躁状態のときはなんでもばりばりできていたから、今落ち込んで調子の悪い自分が本当の自分じゃない、だめな自分だと思ってしまうんですよね? その自分を受け止めてないから、もっと上を目指したり、自分に価値を見出せないのではないでしょうか? 厳しい意見も多いですが、負けないでくださいね。 今のあなたは本来のあなたではないかもしれません。それを見極めるためにも、きちんと病名が出るのを待ちつつ、治療を続けてはいかがですか?私もアメリカでカウンセリングと治療を受けていましたが、診断がなかなか降りず、治療名がわかったのは去年です。(治療期間5年) 努力することは確かに大変なことだけど、チャンスは誰にでもあるもの。努力するしないは本人次第で、特別高尚なものではないと思いますよ。もっと気軽に考えてみてくださいね。 今のあなたは肩に力が入りすぎて、なんとかしなきゃ!!!って焦ってる気がします。 私もこの病気はすぐには治そうと思わず(あえて)無理やりのんびりしてやってます。そのぐらいでちょうどいいと言われるので。 アドバイスもそんな意見があるんだなーぐらいで。
お礼
上のところでお礼を書きますね。
- an1
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誤解なさっているように思います。 ご主人の仰ることは理解できます。 まず抑鬱状態にも程度があります。 治療を要すべき抑鬱状態は、日常生活に支障がでる程度です。 この場合、治療を受けるべきですね。 日常生活に支障が生じず、治療の必要まではない場合ですが、 このくらいだったら多かれ少なかれ誰にでもあります。 質問者様は幼い頃からずっと抑鬱状態だそうですが、 治療を要する抑鬱状態ならば、幼い頃からずっと抑鬱状態というのはありえません。 今、質問者様はこうやってPCをして食事をして、朝になったら起きて夜に眠る… こういうごく当たり前の日常生活は送れてきたのではありませんか? 治療を要する鬱では、こういった基本的動作まで抑鬱になるんです。 だから、鬱の人は食欲がなくなったり眠れなくなったり起きれなくなったりするんですよ。 質問者様はそこまではいっていないのですよね。 努力をし、結果を出している人がみんな難なく努力をしているわけがありません。 嫌だなぁと思いながら、やるべきことをやっているのです。 そうでなければ結果は出ませんよ。 ご主人の仰るとおりだと思いますよ。 治療を要する鬱になった人は、まず治療を受けるべきです。 でも治療の必要がない鬱の人には、ひたすら頑張れ、といいたいです。鬱を理由に努力を怠ったり、結果を出せない自分を肯定するのは、要治療の鬱で悩んでいる人に失礼だと思います。 本当の鬱って、そりゃあ恐ろしいですよ。
お礼
程度の話・・・こは大きく違いますね。今まで耐えて耐えて、なんとかやってきました。酷い時はトイレにすらいけませんでした。国語の本見開き一ページも読めませんでした。病院では、病名は言われませんでしたが、「重い方だ」と言われた経験はありました。でも、いわゆる重い鬱ではないのは、わかります。重い鬱の人に対し、自分を甘んじてその姿を肯定することは「失礼」ですよね。でも、心から思っていないかもしれない。なぜなら、私の中で変な考えがあり、「私なんて頑張ったり、努力しても良いの?そんな人間らしい価値があるの?」なんて思って、ぴたっと止まってしまことがあるのです。努力することが高尚のことに感じ、そんな高尚なことして良いのかと思ってしまうのです。これが、かなりのネックです。この私の発想、おかしいところ、教えていただけないでしょうか?お願いします。
- bascavil
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お気持ちはお察しします。 出て行った元彼女がmiro1さんのような感じでした。 私も、miro1さんのおっしゃるとおりだと思います。 ただ、せっかく結婚できた(勝ち組)わけですし、その辺の気持ちは「成仏」させまんか。あきらめるというか。 私の元彼女の場合、毎晩涙を流して悔しがっていました。 しかも、私が関係する人(高学歴が多い)と自分を比較しては鬱々イライラしていました。これが3年続きましたね。毎日です。 ある日、あんまり疲れたときに、ご主人と同じようなことを言ったことがあります。彼女はそれで、これまで培ってきた関係を全部ひっくり返して出て行ってしまいましたね。 そういうわけで、鬱によって思うようにいかなかったことはあると思いますし、本来たいしたことないやつが、順調だったことも目にすると思います。それが実力だとは思いません。しかし、どうか諦めてください。 私の場合、鬱の彼女と5年付き合い、今は私が立派なうつ病患者になりました。
お礼
私も20代の頃、経験があります。今まで培った関係をひっくり返して・・というところですね。自分を理解してくれない辛さは異様にパワーがあって、全てをもひっくり返す強さがありました。また、私の主人も私と一緒になってから、鬱っぽいというか元気がなくなりました。本当に今回、皆さんから貴重な意見もいただけて、なんとか前へ進める段階だなと感じ、主人のためにも頑張って生きたいと思います。貴重な体験談をありがとうございました。
それがその人の実力だと思います。 「もしも(病気にならなかったら)の世界」が存在するなら 実力とはいえないかもしれませんが、私はそういう世界は 存在しないと思っています。 「やればできる」と言うのは誰にでも言えることで、 実際にやることこそが難しいものであり、それが実力として 評価される部分だと思います。 やらなければ(できなければ)、できる自分は空想の中にしか 存在しないのです。 病気が能力に影響を与えるとしても「病気にならなかった自分」が この世に存在しない以上、今の実力として受け入れるほうが 有益なのではないでしょうか。 ご主人は現実逃避しているあなたに目を覚ましてほしいのでは?
お礼
「もし」は妄想ですよね。やる行為こそが難しくて実力として評価される部分・・本当そうですね。「病気にならなかった自分」が存在しない・・確かに存在しないです。また、存在しないことをあたかも存在しているかのようにとらえ「本当はこうだったのに・:」と発想し、動けないでいたら、その人はそれまで・・となり、私の今の立居地はそこにいるようです。自分の立居地を発見できました。本当に感謝いたします。
- yukko1227
- ベストアンサー率0% (0/1)
私も全く同じ状況です。 抑うつ状態だと気づいたのは、最近のことで、欝や摂食障害に悩まされてきました。 昔から何でもできる優等生で、大学も留学してトップの成績だったのに、病状が悪化して帰国して今に至ります。 昔の私ならもっとできるはず!なんで今はできないんだろう?やる気になれないんだろう?昔の私は躁状態のなせる業だったのかな?と悩む日々です。 大学も中退してしまって、せめて卒業したいとおもってはいるんですけど、やる気になれない、記憶力が低下してはかどらない。といった感じです。 でも、少しずつ良くはなってきているし、いつかは復学したいと思っています。学歴が全てじゃないし、実力はあるんだけど、病気で実現するのが難しいだけ、と妥協?というか自分を納得させるのもひとつの選択肢だと思いますよ。 今すぐなんとかしたい!って焦るから、なんでできないの?昔はできたのに!って思うのかもしれません。 あなたはきっと頑張り屋さん。いつかできる、とゆっくり構えても取り組んでもきっと実現できると思いますよ。 とにかく、今は焦らず病気のことを中心に考えて生活し、勉強したいなら一日1時間とか決めて、やってみてはいかがですか? できないからって、落ち込まないで欲しいです。
お礼
私の大学生の頃を思い出しました。私は中年にさしかかる年齢ですが、大学の頃が最も症状が重かったです。今思うと、あの時もっと治すことに専念すればよかったな・・・なんて思ったりもします。かなり無理をして、重い体を引きずりながら大学へ行き、良くなるものもならない感じの方向へ長引かせたかもしれません。でも、実際、当時、治すことに専念したわけではないのでもし、した場合どうなったのかは、妄想でしかありませんが。今、お休みになられていることは、長い目でみたら、きっと意味のあることのように思います。私も焦らずにできることをクリアしていきたいと思います。ありがとうございました。
- 1238
- ベストアンサー率6% (2/33)
実力などと言うものは、その人の時々でかわります。 他人や世間の物差しで自分を比べても仕方ないです。 焦らず程々に世間とつき合って。自分のペースで行きましょう
お礼
実力・・確かにその時によって変わりますね。変化するものであると心にしっかりと刻んで前へ進みたいと思います。ありがとうございました。
- mac_res
- ベストアンサー率36% (568/1571)
できれる人が努力して、勉強した結果の実力。 本当はやれば出来るのに、勉強しなかった人の実力。 病気のためやることが出来なくって、勉強できなかった人の実力。 それぞれ実力は実力だと思います。 1. 天才的ランナーが出した100m9.5秒。 2. 健常者がもっと早く走れるのに手を抜いた16秒。 3. 身体障害者が、懸命に走った65秒。 記録は記録です。 要はその評価じゃないかと思います。 賞されるべきは、1と3ですよね。 2は本当の実力ではないけど、3は本当の実力です。 でも、数値が悪いと言って、2より3が誉められない訳じゃない。 しかられるのは、2のほうですね。 努力して勉強しようにも病気で出来なかった人の成績は、本当の実力であることは確か。 でも、だからと言って低く評価されるのは不当だと言うことでしょう。 健常者と同じ土俵で評価すべきものではない気がします。
お礼
とても解りやすいお話でした。心の整理につながりました。結局私は「不当である」という思いが最も強かったのだろうと思いました。そして、これまでの残してきた結果は紛れも無い事実(実力)である現実を受け止め、再出発したいと思います。。ありがとうございました。
お礼
お話し合いになっておりますが、私としては、ためになる話ばかりでありがたいです。an1さんのおっしゃっている意味はよく解ります。だからこそ、努力に関しての意見を是非、伺いたかったのです。伺ってよかったです。私の努力に関するがんじがらめの感覚が少し方向を変えつつあるかもしれまん。これは、私にとって、物凄い、物凄い大きなことなのです。言ってみれば核みたいなものなので・・。 また、主人が病名もわからず、治療も受けずに、うだうだ言っている私をみて、??となるのも無理がないんだなということも理解できました。本当にそうですよね。また、それ以前に自分が把握しなければ・・ということですね。あまりに長い年月が経って、今更病院へ行っても・・過去を蒸し返すことになって、悪化したら嫌だな・・なんて思いもありましたが、性格的なものからきていることも考えられますね。思い込みの強さとか、被害妄想とか、そうなってくると、私も自分への対応が少し変わるかもしれませんので、病院へ行く必要はありと考えております。 今まで、病名はあまり拘らっていなかったのですが、はっきりさせることで、対応が変わりますね。基本的なところを飛ばしてきてしまいました。気付くことができ、感謝です。ありがとうございました。