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どうして人を殺してはいけないのでしょうか?
誤解しないでください。 僕がこう思っているわけではありません。 人を殺すことはだめだと分かって質問します。 『どうして人を殺してはいけないのでしょうか?』 こう質問された時、何と答えますか? 『当たり前だろ。言うまでも無い』 という答えでない、答えは止めてください。
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- tukisabaku
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あなたが哲学的な答えを求めていると文脈から推定して回答します。 あなたは「いけない」という言葉を用いていますが、では「いけない」とどのように規定されたのでしょうか。 それは倫理学的に考えられて規定されもので、哲学的に考られえて規定されたものではありません。 倫理学的に考えられて規定されたものに、哲学的な場所に答えを求めるのは見当違いです。 Aさんが言ったことの理由を、Bさんに聞くようなものです。
- chomo2
- ベストアンサー率12% (1/8)
「あなたはいきなり他人に殺されても納得がいきますか?」と聞きます、 それでも人が殺したいのなら、自分で自分をやるしかないですね。 難しいことはわかりません^^:
そういう質問をすると、大概は 命が大切だから、とか 法律(きまり)でそうなっているから、とか あやふやな根拠で煙に巻かれることが多いですよね 実際そのような規則が生まれた歴史的過程から考えてみると 「万人が、自分が殺されたくないことを願ったから」でしょうか。 自分が殺されなくなる方法を懸命に探し求めた結果、行き着いたのがこの規則のようです。 ところで、 規則のメリットに着目した、こんな考えはどうでしょうか? 「国民は国の財産だから」 国民は経済やその他様々な面で国を支えています。 人口が減ると、国は弱くなります。これはなんとしても防がなければなりません。 そこで、それを防ぐために、国家は「殺人罪」etcを作って、国民の命を守るようにしたのです! こう考えれば、「人を殺してはいけない」という規則を作るメリットがありますよね。 (それじゃあ、生産性が無くて国への貢献ができないような重度の身体障害者等は殺しても良いのか?という疑問が出てきます。生産性という観点から見ると、確かにこういった人達には必要性が無く、むしろマイナスに働きます。ここで、この説の限界が見えるように思えます。 最初に示した説に寄れば、”自分が殺されない”ということを普遍的なものにするためには、彼等にもそれを認めないといけない、ということで簡単に解決できます。)
- w-syoshin
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命はとても大切なものだからです。 もちろん、動物の命ももっと大切にされるべきだと思うのですが。 考えてみてください。 今、あなたがそこにいて、パソコンの画面が見られている。 こうやって、質問すれば、困ったことがあれば、見ず知らずの人でも親切に対応してくれる。 ご飯を食べて、おいしいと思える。 こんなことは、命があるからできることです。 命が無くなったら、何もできません。 確かに、人間は人を殺せます。 人を傷つけます。 でも、誰にも、先ほど述べたような自由を、幸せを奪う権利はないのです。 命は、みんなそれぞれ違います。 だからこそ、命は無くしたら、同じものは戻ってこないものなのです。 あなたの命も、たった一つしかありません。 あなたの幸せも、たった一つしかありません。 人間から、命と幸せがとられたら、何が残るのでしょう。 何も残りません。 だから、命は大切なものなのです。 残ったとしても、自分の抜け殻でしょう。 そして、自他の命を奪うことは、何より自分の幸せを壊すからです。 ご飯を食べて、おいしいと思えなくなるからです。 他人を思いやることができなくなるからです。 そして、 心が壊れるからです。 だから、命は奪ってはいけないのです。 みんなにその命を奪い合う権利はありません。 しかし、生き抜く権利はあります。 人間には、生き抜く義務があります。 たとえ、どんなことがあっても、人間は生き続けなければいけません。 いのちは生き続けなければいけません。 いのちを持つすべての者は、その生命を全うしなければなりません。 誰にも、この義務を全うすることを邪魔することは許されません。 だから、人を殺さないでください。 そして、自分を殺さないでください。
- gaa050000d
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別に殺してはいけないわけではないと思います。 ただ、殺した場合それ相応の処罰があたえられます。 それが嫌だからほとんどの人は殺さないんだと思います。 万引きしても処罰は小さいですよね? だから万引きする人はあとを絶たないんです。 人を殴っても一晩留置所ぐらいですよね? だから人を殴ってしまうんです。 きっと殺人も同じです。 処罰が無い又は小さければきっとやる人は増えます。 もし虫を殺した場合も、殺人と同様の罪に値するとすれば、 虫を殺す人は減ると思います。(もっとも虫ぐらいじゃ誰にもバレないと思いますが)
- harman55
- ベストアンサー率42% (19/45)
殺すと死体の処理に困るから。 気持ち悪いし。
バカの壁や死の壁で有名な養老孟司さんは、或る本で人を殺してはいけない理由を、 「誰も戻すことができないから。」 と述べていました。 私は、元に戻せたら殺してもいいのかなぁ、なんて思ってしまいました。^^; 人くらいですよね・・・?同族で殺しあう動物なんて。 狂った存在だなあとも思います。 答えになってはいませんが、何かの参考になればと思い述べさせていただきました。
- moonliver_2005
- ベストアンサー率59% (536/904)
No28です。No29さんへ >日本国民が他人から殺されないでいい法的根拠は、日本国憲法第25条第1項 生存権 です。 この解釈が正しいとすると刑法の殺人罪の規定は憲法25条に照らし無効とせざるをえませんよね。 でも現実は殺人罪での死刑執行が毎年?行われていますよね。 こうしたことは、中学生程度の教養だと思うのですが。。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
究極の安全保障だからです。 「私は殺されなくない、だから誰も殺さない」という約束がなければ、社会が成り立ちません。日本の治安は世界一ですね。これはこの約束が世界で一番守られているからです。 通常の生活の場合、相手が自分を殺そうと意図してやってきた時、自分の身を守るために相手を無力化することは正当な権利です。それが原因で相手が死亡したとしても、約束を最初に破ったのは相手ですから、「人殺し」が正当な権利として認められます。(正当防衛の範囲は国によって違います。日本の場合は、本当にやむを得なかった場合以外、相手を死亡させたら過剰防衛になります。アメリカは銃社会ですから、誰かが敷地や家屋に侵入し警告を無視した場合、発砲しても正当防衛です。死亡しても罪に問われにくいです) しかし日本でも、江戸時代までは今のように、約束が守られていたとはいえません。武士の作法で対面し座ったときは、刀を腰から外し自分の左側に置き、反った側を外に向けます。お互いこうすることで、「私は貴方を殺す気はありません」と確認してたのです。 立って手を組むとき右手を左手で隠す作法もあります。これも右手を隠すことで、武器を使う意思が無いことを表すことを意味しています。 作法とかマナーは「あなたを殺すつもりはありません」という意思の確認が様式化されたものが多いのです。 つまりそれだけ、ルールが守られていなかったということです。 さらにこの約束事は集団にも適応できます。 「私たちの集団(部族・村など)はあなた方を殺しません」という約束です。これがなりたてば、国の単位まで大きくなってもお互いの安全を保障できます。これが平和条約とか講和条約と呼ばれるものです。 しかし、人が生きていくためにはある程度の資源がなければなりません。そのために地域間で争いがおきます。戦争です。 戦争はいけないこと、というのは簡単ですが、ルールの為に死ぬ人はいません。 そのため、生存をかけて戦争が起きます。戦争ははじめた方も仕掛けられたほうも、相手を排除するために一生懸命になります。 ここで戦争について間違えて欲しくないのは、「殺すために」行っているわけではないということです。 武器をチラつかせて、相手が必要なだけ譲歩してくれれば、殺さなくてすむのです。また戦闘になっても、無力化さえ出来れば、殺さなくてすみます。結果として死亡者が多数出るので、殺し合いになりますが、殺さずに無力化できる武器があれば、それでもいいのです。 人は欲張りな生き物です。殺してでも人の物が欲しいという者が歴史上たくさんいます。それは現代でも変わりないでしょう。 だから「私は殺されたくない、だから殺さない」というルールを皆が守れば、結果的に自分の安全が守られるのです。 だから人を殺してはいけないのです。人を殺すと貴方の安全も保障されなくなります。 もし、あなたが「そんなルールは知らない。無効だ!」と言ったら、その瞬間に私は貴方を殺します。
- turukame2005
- ベストアンサー率24% (173/720)
随分とウマシカな回答が並んでいますが、日本国民が他人から殺されないでいい法的根拠は、日本国憲法第25条第1項 生存権 です。 ネットで、「憲法 基本的人権 生存権」でくぐると、いろいろヒットしますので、自分で検索してみましょう。 こうしたことは、中学生程度の教養だと思うのですが。。
補足
皆さん、いろいろな意見ありがとうございます。 一人一人に回答をしたかったのですが、忙しいため、ここでまとめてお礼を言わせていただきます。