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日本文学と相関文化について
日本文学における、相関文化について調べています。 そもそも、相関文化というものがどういうものなのかがピンとこないので、図書館に行っても、どんな本を探せばよいのかわかりません。 日本文学が変わるにつれて、相関文化も変わっていったようですが、それはどのように変わったのでしょうか。 相関文化をよく理解していないため、質問の仕方が悪くて申し訳ないのですが、何かわかる方がいらっしゃいましたら回答お願いします。
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文化とは特定の国や民族に付随しているものであると考えましょう。この文化は範囲が広く、広域に渡っています。生活文化といえば身のまわりの衣食住などがあげられます。 日本文学は日本文化そのものを表していますが、美術、音楽、絵画等芸術的なもの、学術的なものといろいろなジャンルに分かれるというがご理解できると思います。しかし、相関文化といものは存在しません。それぞれの分野の文化はその国や民族の気質や基本的な考え方がお互いに相関しあい、反映しているものです。 例えば日本文化の中の俳句について考えてみると、日本人の季節感覚の鋭敏さ、自然に対する愛着さが窺われるではありませんか。文化に与える影響というのは自然に備わったものだけではなく気候や自然条件に左右されます。地震の多い国では住文化の面では、石造りの家は存在しなかったと言えます。 このように文化は自然などに影響されることもあり、相関関係をなすということが相関文化という言葉の由来だと思います。
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- cheers000
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「相関文化」とは、「日本対外国」ということなのでしょうか? それとも、「文学対美術」とか、サブカルチャーとかでしょうか? 大学のレポートか何かでしょうか? 質問者が「相関文化」を理解していないと、回答は非常にむずかしいと思います。 「日本対外国」と言うことであれば、古くは中国や朝鮮半島など、江戸時代にはオランダ(蘭学)や、朝鮮通信使などの例もありますよね。 明治になれば、アメリカやヨーロッパに留学する人がいたり、その逆に教員として雇われる外国人もいますよね。前者は夏目漱石、後者はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)など。 「文学対○○」と言うことであれば、、、三島由紀夫と映画や演劇みたいなことでしょうか?
補足
回答ありがとうございます。 外国に限らず、日本文学が変わる過程で、関わったものすべてという感じです。 国内の思想であるとか、それまでの文学と新しい文学のかかわりとか、そういうもののようです。 日本文学にたいしての相関文化がどのように変わっていったかがわかればと思うのですが、私もはっきり理解できず、質問もわかりづらいものになってしまって・・・すみません。
お礼
回答ありがとうございました。 相関文化という言葉が少しわかった気がします。 日本文学が進展していくなかで、いろいろな文化が関わっていったということですね。 もう少し勉強してみます。