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母の死から立ち直れません
昨年夏、母が亡くなりました。あまりにも突然の出来事でどうにもやりきれない気持ちが今も続いています。私は結婚し実家をでていますが、父と兄妹たちは母が亡くなった事以外は何も変わらない家で生活を続けています。母がいたころ私たち家族はとても仲の良い笑顔の絶えない家族でした。でも、母を失って何か歯車がくるってしまったかのようにバラバラになりつつあります。父は口数が減り、最初のうちは父と力を合わせて家事をこなしていた妹も外泊をしょっちゅうするようになり、たまに私が実家に帰ってもなんだかギクシャクした感じです。 私自身も今だに母の事を思い出さない日はなくなぜあんなにやさしい母が58歳という若さで逝ってしまわなければならなかったのかと神様を恨む毎日です。大好きな母の写真を家のいたるところに飾っていますがそれをみると余計につらくなってしまうのです。でも飾らないではいられないのも本音です。 母を亡くした悲しみ、つらさから私たち家族がたちなおる術はないのでしょうか。同じような経験がある方、アドバイスをお願いします。
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わたしが二十四のときに母がなくなりました。五十四歳でした。 その三年まえに脳軟化症に倒れて、回復過程にあったのですが、二度めの発作でなくなりました。 お母さんは急逝されたので、ご家族の衝撃と悲しさは、私よりも輪をかけて大きいのかもしれませんね。 たしかに母親が亡くなると、家族がばらばらになったような感じがしました。 扇の要のような存在だったんだと痛感しました。 ご家族がばらばらになったということですが、 ばらばらになった感じであるとしても、互いを思いあう気持ちまで失せてはいないと推察するのですが。 もしそうなら、時とともに、それなりの落ち着きかたをしていくのではないでしょうか。
この間、「マグノリアの花たち」という映画をテレビで見ました。 ジュリアロバーツが出演している映画で、 田舎の町の日常的な出来事が描かれています。 生と死が、とてもよく描かれていました。 ラストシーンで、娘を失った母親が死を何とか受け入れるシーンが、 とても印象的でした。良かったら見てください。 何かしらのヒントがあるかもしれません。 ある方の本にも、親の死についての話があり、 受け入れるのにとても時間が掛かったとありました。 書店でちょっと立ち読みをした程度なので、 全ての内容を把握していませんが、 興味があったら読んでみてください。 「自分は死なないと思っているヒトへ―知の毒」養老 孟司 (著) わたし自身も死を受け入れるのに時間が掛かりました。 (詳細は、感情が高ぶるので書けません) 今でも思い出すのはとても辛いです。 日々の忙しさで忘れることはありますが、 思い出さない日はありません。 でも、人は生きていかなくてはならないし、 時も止まることはありません。 自分がしっかりと生きる事は、生きている人の役目だと思います。
お礼
お強い方なのですね。私も少しでもあなたのように前向きになれるように頑張ります。
- CHIROCHO
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はじめまして。大変でしたね。気持ちお察しします。 私は19の時に突然父を亡くしました。7年経っても正直なところ傷は癒えません。ただ、乗り越えられなくてもうまく自分をコントロールして、普段は悲しい気持ちを抑えられるようになりました。自分の中に境界線があって、明るく思い出話できる部分と踏み込んだらアウトの部分。そこに入らないように話題や思考を切り替えるのです。時々はアウトになって一人で大泣きします。むしろわざと定期的に泣いて溜めないようにします。私のやり過ごし方はこれです。 私も弟も大きくなると、家族の共通の話題が少なくなり、母がとても寂しがりました。私も結婚を意識していたので、去年思い切って仔犬を飼いました。これで予想以上に家族の団結が強くなりました。初めてのペットに常に3人がかりだったのが良かったみたいです。お宅の事情もあるとおもいますがアニマルセラピーはおすすめです。 今のような悲しみは時間が経てば薄れるでしょうが、時間が経ちすぎて家族の歯車が修正できなくなるのはこわいですね。誰かが率先して解決しなければいけないと思います。このままではいけないと家族会議を開いてみては?もともと仲のいい家族が同じ悲しみを味わってるのです。いまは個々の感情が強すぎてバラバラになっているのではないでしょうか。各自必死で立ち直ろうとしているが、見出した解決法を家族が誤解して受けてしまってるのかも。妹さんの外泊も気持ちをまぎらわすためなのかも。お父さんも口を開いて誰かの悲しみに触れてしまうのを恐れているのかも。話してみなければわからないことがたくさんあるはずです。タイミングをみてきりだしてみてください。 あと、写真はあまり飾らないほうが・・・。どこにいても目に入って、気持ちを上向きにしようとしても写真を見て一気に悲しくなってしまうのでは。頑張って一枚だけにしたほうが楽になれると思います。 テレビをみて笑うこともおすすめです。「不謹慎な」と感じるでしょうが、ストレスを受けた心身には必要なことだと思います。私は見たくなくてもがんばって見てましたよ。 アドバイスにもならない駄文ですが、すこしでもお力になれたらうれしいです。
お礼
7年経ってもですか・・・。私もそうなりそうです。写真、思い切って少し減らしてみようかと思います。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
14年前に母が47歳で他界しました。 悲しみがいえることは多分一生ないと思います。 私には妹がいて、彼女は質問者様と同じように写真をいっぱい貼って過ごしています(以前よりは少なくなりましたが・・・) しかし私は未だに母の写真を見ることができません。 悲しいからです・・・ お父様もご兄弟も、それぞれのやり方で悲しさを紛らわしているのだと思いますが、それが他の人には理解できないやり方になってしまうこともあり、ギクシャクする原因にもなります。(私は妹に、写真1枚置かない、と非難されています) もう少しすると、心が落ち着いてくるでしょう。でも、ご兄弟やお父様の行動を非難しないで欲しいのです。もう少しすると、皆も落ち着きを取り戻し、以前のように集まることも出来るようになります。その前に、誰かと決定的に亀裂が入ったら取り返しがつきません。大切な家族なのですから、時間はかかりますが大丈夫です。
お礼
確かに決定的な亀裂が入ってしまったらと思うとそれだけは絶対に避けたいです。非難したところで何もよくはならないでしょうね。時間をかけて修復していくしかないのですね。
- tappara
- ベストアンサー率37% (260/694)
2年前に父親を亡くしました。57歳でした。 うちも家族が仲良くて父の突然の死にやりきれなさを感じたものでした。ほんとこれから自分の為の時間が持てるって時でしたので、家族の為だけにがんばってくれた人生だってのではと不憫にも感じました。 悲しみは当然大きく、家族みんなしばらくは呆けてしまいました。 そんな父の死に対しての僕達家族共通の認識は、父に恥ずかしくないように生きていかなきゃいけないでした。 死んでしまった父に対してできる孝行はそれしかないですから。 父が頑張って支えてくれていた家族が父の死で不幸になったんでは父は悲しむはずです。 悲しみはいつまでたっても消えないです。ふとした瞬間に涙が出てきたりします。でも、残された家族はその悲しみを引きずるのではなく前を向いて生きていかなきゃいけないと思います。 ぜひ前を向いて頑張ってください。現状をお母様が見て悲しむような状況ではいけないと思います。
お礼
確かに母が悲しむような生き方はしたくありません。何でも頑張り屋だった母親を見習い私も前をみて生きていくことが私に出来る恩返しなのですね。
お礼
本当に母親とは家族の要だったのだと痛感しております。ご回答ありがとうございました。