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認識と識別
哲学の課題のレポートで、 「確実な認識と不確実な認識を識別することができると思いますか」という 質問だが出されました。ヒントは、「これはイスであって、イスではない」 というものです。確実な認識と不確実な認識のことはわかったのですか、 それを識別する、ということを、どういう風に解釈するのかわかりません。 それと、識別と判断の違いも区別がつきません。 もし、何かわかった方がいれば、ちょっとのことでもいいので、 教えてください。お願いします。
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- knowwell
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認識、知識の基本は意識です。 寝ぼけたり、酔っぱらったり、麻酔薬などで意識が朦朧としている人の認識は当てになりません。 そして、自分が酔っぱらったりしている時の認識が確実なのか不確実なのかをどのように判別できるのでしょうか? それと同じことで、どんな意識状態の認識が確実とか不確実とか言えるのでしょう? また自分の意識がどれだけ目覚めているのかをどうやって確かめるのでしょう? 言葉は言葉に過ぎませんし、出来事は出来事に過ぎません。 どんな物質も細かく見ればスカスカで、出来事として存在します。 「色即是空」なのではありませんか? 真に目覚めた意識では「我のみ在り。他皆在る事なし」となる事でしょう。
#発言者:素人 オブジェクトとインスタンス 言語的識別子による取り扱いの可否 対象の性質の把握度合い この二つの絡み #一分の理ありますかね
- univ_mon
- ベストアンサー率47% (11/23)
こんにちは。 あまり賢くないんではっきりは分からないんですが、 そのヒントからいくと、 確実な認識 →これはイスである →目の前にあるこれが、いわゆる自分のよく知るあの一般的にイスと言われるところの実在の物であるが、特に別の呼び名がないためイスと呼ぶ 不確実な認識 →イスではない →目の前に実際にあるこれは、いわゆる一般的にひと言で表現できるイスのひとつであるが、一般的なイスというのはそもそも概念であって実存在の名前ではないため、これをイスとは呼べない こんな感じでどうでしょうか。。
- stomachman
- ベストアンサー率57% (1014/1775)
まず、ちょっと整理しましょう。 A. 常に確実な認識ができる。 認識って、エーカゲン。あくまで主観。Aが偽であるのは間違いない。だから B. 不確実な認識がある。 これは確かでしょう。そして、Bを認めること自体は確実な認識である。つまり、 C. 確実な認識もある。 これも確かでしょう。逆に D. 常に不確実な認識しかできない という命題、このDは偽ですね。 さて、B 不確実な認識がある。C 確実な認識もある。これらがいつでも識別可能かどうかを問題にしている訳です。 真である事を真と認識して、これを「確実な認識」だと思っている。これは問題ないですね。 偽である事を真と認識して、これを「確実な認識」だと思っている。これは間違い。 真である事を真と認識して、これを「不確実な認識」だと思っている。これが間違いという訳じゃない。 偽である事を真と認識して、これを「不確実な認識」だと思っている。これが間違いという訳じゃない。 「ある認識が不確実な認識であることを識別する」ということと、「ある認識が確実な認識であることを識別する」ということ。この二つは別のことであり、対称じゃないんです。すると答は「可能」。何についても「はい、それは不確実です」って言えばよい。でも、この答えが真であるということを今や、知っている。それなのに、そのこと自体も「はい、それは不確実です」って言わなくてはならない。こういう答をするヒト(システム)を「異常」と言います。(論理学の専門用語ですよ。Pである、という事と、自分が「Pである」を信じない、ということを共に認めている、そういうシステムのことです。) これは信念に関する論理ですので、様相論理と呼ばれる分野に含まれます。すごく深いです。ものすごく面白いです。是非勉強してみることをお勧めします。 面白くてしかも詳細な解説書として レイモンド・スマリヤン「決定不能の論理パズル」白揚社を推薦します。またmori0309さんの質問(下記URL)もご参照下さいね。 大急ぎでレポートを仕上げなくちゃいけないのだとすると、まず、認識を階層化する必要がある。物事の認識と、認識に関する認識、認識に関する認識に関する認識、.... は区別しないといけない。そういうような事を書いてみましょう。 それから、ものごとの認識については、「不確実な認識」しかできない。だからこれに限れば、答は「可能」で良い。たとえばあるものが「青い」。こういうものをblueという。またあるものは、「今は青いが、100年後に緑になる。」こういうものをglueという。一つの宝石を見せられて、「これはblueかglueか?」を問われたら、お手上げですね。こういう意味で、「不確実な認識」しかできない。(deagleさんの回答も答は「可能」ということになりませんか。) 認識に関する認識、..... については、様相論理の問題です、無矛盾で、「異常」でなく、しかも「いつでも識別可能である」(これを「完全」と言います)であるようなシステムはない、ということが知られている。 これでどうでしょう。
まず結論から言うと「不可能」です。 確実な認識とは、100%完全にそのイスのことを理解したというような、絶対的な認識のことであり、(ちょっと違いますが)言ってみれば「イスのすべてを理解した」ということです。 それに対して不確実な認識とは、もしかしたらこれはイスじゃないかもしれない、という不安の残る認識です。 たとえば、イスからポスターが出てきたとします。そうするとこのイスは本当はイスではなく、ポスター入れだったことになります。 確実な認識ではそのことがちゃんと分かっていますから驚きませんが、不確実な認識ではそのことが分かっていなければ驚いてしまいます。 こう考えると分かりやすいでしょう。 「あなたは、目の前の女性を完全に理解することができますか?」 と考えればいいのです。 あなたがその女性のことを「確実に認識」したか「不確実な認識」しかしていないか、ということを、あなた自身は識別(=区別)できるでしょうか? 他人を完全に理解したかどうかなんて、分かるわけがありませんよね。 ただ言えるのは、「おそらくその認識は完全ではないだろう」ということだけです。 ――こんなもんでよろしいでしょうか(^_^;