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どうして泣くの?
今日ふと思ったんですが、 たとえば大事な人が遠くに引っ越したり亡くなったりしたら 悲しくて泣いたりしますよね? その涙って自分のためですよね? 別れの涙って自分が寂しくなるから溢れるんであって、 それって相手のためじゃないから なんか自己中な涙な気がしたんです。 人のために 泣くほど喜んだり、怒ったりするのはステキな感情だけど 別れの涙は自己中な気が・・・ 上手く表現できないんですが、今日はずっとそんなことを考えてました。 もちろん、私自身がそうゆう別れの経験がなくて こんなことを言っているわけではありません。 友達が引っ越したことも大好きな人が亡くなった経験もあります。 悲しくていっぱい泣きました。 でもそれが自己中な気がしてきて・・・ 別れの涙は自己中な涙じゃない!って思う方、 ぜひその考え方を聞かせてください。
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感情というものはその人のものでありもともと自己中なものです。人のために泣くほど喜んだり怒ったりするといいますが、これだって自分が泣きたいからて泣くのだと思います。ドラマや映画で泣けることだってありますよね。人が泣くときは感情が高ぶったときであり、それはあらゆる場面に感動したという証拠なんだと思います。そこには何も相手がどうであるとかということは関係ありません。自分が泣きたいから泣くんです。でもそういってしまったらせっかくの人間の感情のすばらしさが台無しです。そうやって喜怒哀楽を泣くという行動にすることでお互いにその感動を分かち合い、共有し、そのことで人生の良さ、大切さを再認識しているのだと思います。別れの涙もそうです。自分が悲しくて泣きたいから泣く。しかしあなたの泣く姿を見た相手は同様に悲しさをあなたに感じ、つい涙が出てしまう。そうやって感動を共有しているんです。どんな状況でも涙を流せるってすばらしいことだと思いますよ。笑顔と一緒で人間どうしのコミュニケーションの方法の一つだと思いますよ。
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- aabbccdd_001
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>人のために >泣くほど喜んだり、怒ったりするのはステキな感情だけど >別れの涙は自己中な気が・・・ 僕もそのように考えがちです。相手と状況によっては自己中にもなり得ます。ですが、ちょっと僕自身の経験を書かせてください。 数年前、僕は当時留学していたアメリカから帰国しました。その時何人かの友達が空港まで見送りに来てくれたのですが、ある一人の女の子がすごく泣いてくれました。それまで自分の為にこれほど泣いてくれた人はいなかったので、申し訳ない気持ちとともに、とても感動しました。 僕はそれまで、(たとえそれまで仲が良くても)離れてしまった友達とあまり連絡などをせず、地元の友達とも疎遠になってしまうことが多かったのです。実際に会うことがない友達はあまり大切にしていなかったと思います。 その時も「また会えるよ」とは言いながらも実は、「ここにいる友達とはもう会うことはないだろう」などと考えていました。(実際にも会うことはなかったのですが。。。) ですが、彼女の涙を見て「自分のことを考えてくれる人がいるんだー。」と思い、同時にこれまで離れてしまったり、頻繁に会わない友達を大切にしてこなかった事を少し後悔しました。この時から同性異性にかかわらず、また近くにいる人だけでなく遠くにいる人に対しても思いやりを持てるようになったような気がします。 確かに涙は自分のために流すことが多いかもしれません。仮に自分のためだとしても、それはそれでいいでしょう。 でも時には別れの涙が自己中な涙でないこともあります。別れの涙が誰かの考え方を変えることもあると思います。
- any_many
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私も同じように思った事があります。 相手を想って泣いている様に見えて、実は自分がかわいそうで泣いてるだけなんじゃないかなって… でも今はそれでいいと思うようになりました。 相手の辛さを想ってみることは私にもできる。でもそれ以上に相手に会えないという自分の悲しみの方がずっと大きいのです。 それって人間の普通の感情だと思いますし、自己中だなんて蔑む必要のないこと、大切にしていい感情だと思うのです。 感情はあくまでも自分のもの。相手のかわりに泣いたり怒ったりする事は逆におこがましいような気がしています。 自分が辛いから思いっきり泣く。でも相手の辛さも時々想ってみる。今の私にはそれで十分、そう思うようにしています。
- blue-pond
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誰かが自分の別れを惜しんで泣いてくれるって嬉しいです。 自己中な気持であれば、「この人はわたしのことを自分のことのように 大切にしてくれてる」って思えて嬉しいです。 「あなたのために泣く」なんて、そんなの愛じゃないかも。 愛情は自然と発生する気持なんで、その人の都合でいいんですよ。 そして相手を喜ばせたいっていう気持も愛情です。 理詰めではないのが愛ですね。
基本的に人間を含め生物と言うのは自己中でしょ、他の生命を殺し食し命をつなぐ事に毎食中涙を流したりしませんよね。奇麗事を言い出したら限がありませんし、自分と他人に距離が発生する時に流す涙は確かに自分の為だと私も思います。しかし、自己中である生物(人間)がわざわざ残念に思う感情を涙として表に出し、自分にとってそれだけ大切な存在だったのだと訴えかけるのは、相手にとっても嬉しい事ではありませんか?人は知らず知らずの内に人を傷つけたりもしますが、同時に知らない内に喜ばせたり感謝されたりもするものですよ。ですから涙の意味が自己中かどうかではなく、それが悪意の涙なのか、感情の涙なのかが大切なのではいでしょうか。たとえば、泣いている自分を相手に見せたいが為の涙(計算の上に流す涙)とか(TーT)カワイソウナワタシ… しかし、nnYnnさんの気付いた感情はこれからの貴方の歩む人生にとって、大切な財産になると思いますが、同時に気付きたくなかった相手の内側まで見透かしてしまう場面に多々出くわすと思います、ですから、人の悪意に気付いても振り回されず、うまく人生を歩んで頑張ってくださいね。
以前「MIND ASSASSIN」という漫画の中でも あなたのような考え(なんで泣くんだろう?自己中じゃないかな?)の男の人が出てきました。 それに対して登場人物の男の子は 「僕はそういうことはよくわからないけど、 おじさんが死んだらきっと泣くと思うな」 と言いました。 大好きな人がいなくなった自分がかわいそうで泣く。 でもその人のことをそれだけ想っていたからいっぱい淋しいんですよね? たとえばある赤ちゃんが亡くなったとして、(いやなたとえですが) これからの人生楽しいことがいっぱいあるのにかわいそうと想って泣くのと、 その子の親がその子のいない人生なんて・・・! と泣くのとどっちがその子のことを思っているように感じますか? 極端な例ですが、私は別れで泣くのは一見自己中に感じるけれど、 その分、その人への思いが強いと言うことだから、 自己中と言う言葉では言い換えられないと思います!
- song4U
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涙についてそんなに深く考えたことがなかったので いまふと思ったことなのですが、 そもそも、涙はすべて自己中なものなのかもしれません。 「人のために」泣くといっても、その相手が 「自分のために泣いてほしい」と頼んだわけではないですよね。 いくら一緒に悲しんでくれたり怒ってくれても ありがた迷惑な場合もあるかもしれないですし・・・。 それに「一緒に泣いてあげよう」と感情をコントロールして あえて誰かのために泣くこともないですよね。 涙は(嘘泣きとかもありますがそれは置いておいて)自然と溢れる ものですから、自分の素直な感情の露呈に過ぎないと思います。 だから、結局は自己中なものなのではないでしょうか。 「自己中」という響きは、なんだか悪いもののように聞こえるけれど あながちそうでもないのかもしれません。 少しくらい自己中に、いい意味で自分勝手に生きることは 悪いことではないと思います。 悲しいときは、自分の感情を整理するため スッキリするためにも思い切り泣いていいと思いますよ。
- wonder99
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【人の為に泣くほど喜ぶ】 人の事を我が事のように喜ぶ。 大事な人が嬉しい体験をしたら凄く嬉しい。 泣くほど喜ぶなんて、相当大事な相手ですよね。 ステキな感情ですね。 【人の為に泣くほど怒る】 大事な人がしてはならない事ををした時、泣くほど怒る。 大事な人が理不尽な扱いを受けた時、一緒に泣くほど怒る。 大事に思う心が伝わってきます。ステキな感情ですよね。 【お別れを泣くほど悲しがる】 お別れがつらいから、泣くほど悲しがる(寂しがる)。 大事な人が目の前に居なくなるから。 でも、お別れを泣くほど寂しがる人が居てくれるって 実は幸せな事です。 「自分が寂しいから泣く」と言うと 自己中のようですが、相手にも伝わってますよ。 結局【人の為に泣くほど悲しがる】と一緒です。 これも、ステキな感情だと思います。