なるほど。確かに結局はこれが自分だと思っても本当かどうかなんて証明できるものでもないから、結局信念とイコールであるともいえるかもしれません。
人をいれると頑固とも言えるかもしれませんが、そうすると必ず頑固等といった、それこそいろいろな見方ができてしまうと思います。良いのか悪いのかという、どうどう巡りが繰り返されると思いますので、まずはむしろ自分だけの中で考えたほうが、いわゆる自分探しが可能になるような気もしますが、でももし本当に人を無視して考えられるなら、それこそ単純に人ではなくなり、自分ではなくなる気もします。難しい。。。というか自分の中にもあらゆる自分がありますね。むしろあらゆる自分という全体観に立つとこれといった自分はない。そういう意味で結局は、この世界といういろいろな縁の中や縁の影響から自分で自分を選ぶ事になるので、自分探しをしている人というのは、これが自分だと納得できる自分を主体的に自分で探しているという事ではないでしょうか。いわゆる自分探しをしたことない人でも、人生を歩んでいくと誰でも自動的に自分の思考を持っていき、大小はあっても信念と化していく(だから年をとればとるほど頑固な人が多くなっていく)ので、結果的に結局は自分の信念を持っていく。
要はどうあれ大小あれ結果的にであれ、結局は自分で自分を決める事になっていると思うので、「自分探し」は「信念探し」かな。
書き込みながら思ったんですが、どうせ信念を持っていくなら、それがビックリするくらい頑固であっても自分が一生涯かけてもいいという信念であれば、それを持つ自分になりたいと思いました。悪は別ですが、一生かけられる信念を持つって簡単な事ではないと思うし、ある意味そういう人って幸せな気もします。
お礼
お返事が遅れてすみません。 自分探しって昔は無かったですよね。 それだけゆとりが出来たってことでしょうか? 自分探しは哲学の扉のような気がします。 結局、自分探しに終わりは無いような気がするんです。 どうもありがとうございました。