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鬱病の代償
はじめまして。 このコーナーに初めて投稿します。 実は、教授のセクハラによって二年前から鬱病になりました。今は、抗うつ剤は飲まず、精神安定剤だけでおさまるようにはなりました。この病気と闘った二年間はだだひたすらに病気を治すことばかりに専念してきました。そのために好きな仕事もセーブした日々で、今振り返っても二年もたったとは思えなく時間感覚がありません。 また、最大の悩みとして、自分の存在が現にあると自分で認識できないのです。自分が幽霊か透明人間のような感じです・・・。 このような感覚になられた方はいますか?またどのように克服されたかも教えて下さい。不安でいっぱいです。
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- sachihappy777
- ベストアンサー率34% (16/46)
はじめまして。昨年より鬱になり休職後復職したものです。 >自分の存在が現にあると自分で認識できないのです この感覚と同じかどうかはよくわかりませんが、「自分でしたことを自分で認識していない」は休職直前によくありました。 自分で行動していることなのに、人事のように感じてしまうといった感じでしょうか。 自分がでている映画の観客になったように見ているというのが近いです。 思い返すと、当時は質問者様のように不安に感じていました。 私の場合は休職して、いつの間にかそういった感覚はなくなっていったのですが・・ 克服したというよりかは「時間が解決するのをただ待っていた」ですかね。
- pontamana
- ベストアンサー率36% (357/967)
ちょっとだけ書きます。 うつの場合の時間の感覚について、いろいろ研究論文などがあるようですが、主流の考え方は、うつの治療に専念をする=体および心を休めることとなります。そうすると人間の記憶に残すべき事柄が非常に少なくなりますよね。寝てる間に人間は脳への記憶をきちんと記録として残す作業を行うといわれていますが、その際の残す内容が少ないために、その間を短い・・・と感じるのだそうです。 また別に、眠りがよくないために記憶の整理がきちんと行われず、短く感じるという説もありますが、はっきりしたことはわかっていません。 でも、どうでしたか?2年間専念できたことで、短く感じても、いろいろプラスになる発見もなかったですか?僕は病気になってはじめてわかったことがたくさんあり、それなりに感謝している部分もありますよ。 乖離(?)については僕はその感覚はないのでなんとも。解離・・・ならなんどかなりましたけど( ̄ ̄;)同じ読みで意味が微妙に違う・・・なにか繋がりがあるんですかね? 思うに、徐々に生活に活力が戻ってくれば、そのような感覚はなくなるのでは?と思います。すいません、経験がないので推測です。 お大事に。。。
お礼
pontamanaさん、返答ありがとうございます。 うつの研究において、脳がそのように作用している可能性があるというのを初めて聞きました。この内容は、私にとってかなり心強い研究内容です。うつの治療に専念していた頃は、この病気以外なにも考えられない日々でした(考えることができないともいいます)。それだけ脳の思考がうまく作用していないんでしょうね。。。 二年たった今、周りを見渡すと街の様子も人の様子も家族の様子も変わっているのに、自分だけが何一つ変化していないように思っていました。pontamanaさんがおっしゃるように、この病気になってプラスになることもあったような気もします。自分の限界というものを知りました。 pontamanaさんを含め、三名の方にアドバイスを頂いたことで私の心の中の何かが少し良い方へ変化したような気がします。本当にありがとうございます。悩んでいたけれど、投稿して良かったです。 活力ある生活・・・これから少しずつできるようにしていきたいです。活力ある生活をしていれば、自然と元気な私に戻るでしょうか^^。 >お大事に。。。 ありがとうございますm(_ _)m
- takeshibao
- ベストアンサー率49% (58/118)
こんにちは。 質問者様のうつ病はもう完治しているのでしょうか。 今は薬は服用していらっしゃらないでも大丈夫ですか。 >今振り返っても二年もたったとは思えなく時間感覚がありません。 自分も今,心の病を患い、精神の障害を持っています。 もう何年も経ちますが、発病した当時は働いていました。ごく普通の会社員で、その会社には10年近く在籍していました。 発病から今日に至るまで、何年も経っているのに今だに自分は会社に勤めていたような感覚があり、 夜になると「明日はあの仕事・・・」と当時の業務の内容を憂慮している自分の姿を思い描いてしまう時がよくあります。 何時まで経っても、朝起きて食事をし支度をして電車に乗り通勤する事のシンドさ、当時の業務内容に苦心する事、夜遅く帰ってきて夕食を摂り、風呂に入って寛ぐ暇もなく一日が終わってしまう事が当たり前のように頭に浮かんできて、自然とその気になってしまうのです。 でも、朝を迎えれば「出勤しなくていいんだ」と気付かされます。 何年経っても自分の中ではその時間のままなのです。 >自分の存在が現にあると自分で認識できないのです。自分が幽霊か透明人間のような感じです・・・。 これは【乖離】ですね。自分もよく感じます。 ここに、自分の家の中に居る事が判っていない、自分が本当はどこにいるのかよく判らなくなります。 ここが現実という世界であって、そこに自分が存在している事がどういう事なのかが判らない。 でも、実際には現実という世界の中で食事もするし風呂やトイレにも入るし、夜になれば眠り、朝には目を覚まします。 寒さ熱さも感じますし、ものを食べれば冷たいか温かいが、甘いか塩味か、それが自分にとって美味しいのか美味しくないのかも判ります。 自分でが現実に生きている事が認識できなくても、肉体は確実に生命体として生きているのです。 自分が現実に存在していないのではないかと感じたとしても、 実態がそこに存在している事を否定する事は出来ません。 【乖離】感覚を敢えてなくそうとは思わなくともよいのではないでしょうか。 自分で認識が無くとも、人間という一つの生命体として存在し現実の世界で生活してゆけているのであれば。 怪我をすれば痛い、病気になれば辛い苦しい、お腹が空けば何かが食べたくなる、 その様な事を感じれば、 「現実の世界に自分は人間として生きているのだ」と その存在を認識することは出来ると思います。 それ以上に、何か努力をして現実に存在する事を認識する必要性はないと思います。 今の質問者様のままで、「存在していると認識出来ない」という事を認識出来ていればよいのではないでしょうか。
お礼
貴重なコメントありがとうございます。回答を読ませて頂きながら、心が温かくなり涙がでました。この涙はなんなんでしょう・・・。うつ病になり、本当に苦労しました。takeshibaoさんは、お仕事の重圧でうつ病になられたんですね。takeshibaoさんも今に至るまでに本当につらい思いをされたと思います。そして、その経験をこんなに丁寧に書いてアドバイスをして頂いたことに心から感謝致します。ありがとうございます。 私は今は抗うつ剤は飲んでいませんが、うつ状態ではあります。主治医からは、今もうつだとははっきりとは言われていませんが、うつ状態とは言われました。 takeshibaoさんと同じように私も昔と同じスピードで仕事をこなす自分を夜になると想像してしまします。しかし、朝になれば体が思うように動かない現実の自分に気づくのです。自分は、どこかで昔と同じように仕事をこなしたいという希望を抱いているのかもしれません。好きな仕事だったゆえに余計と心に傷が残っているのかもしれません。このお礼を書きながら、また涙が出てくると、ふと現実の私がいるのかな?と思える時があります。心の病気とは色々と変化するので不思議なものですね。。。 乖離症状であると過去に主治医から言われたことがあります。以前は、五分前の記憶さえも残らない状態でした。takeshibaoさんの回答を頂いて、今も乖離症状が残っているんだなと自分で認識することができました。今も自分さえも記憶に残したくないのかもしれませんね・・・。 >怪我をすれば痛い、病気になれば辛い苦しい、お腹が空けば何かが>食べたくなる、その様な事を感じれば、「現実の世界に自分は人間>として生きているのだ」とその存在を認識することは出来ると思い>ます。 >それ以上に、何か努力をして現実に存在する事を認識する必要性はないと思います。 takeshibaoさんのおっしゃるように、怪我や病気で辛い思いをすること自体、肉体は生きているし、私は存在しているんですね。 何か努力して現実に存在していると認識する必要がないと言われたことにも安心感がわきました。 今日は、メンタルへルスの受診日です。自分の症状を主治医に相談してみます。 貴重なご意見ありがとうございました。
- runfaster001
- ベストアンサー率15% (6/40)
世の中には自分と同じ・もしくはもっと辛い境遇の人がいるんだ~ と実感できたとき、私の悩みは晴れました。 人生は短いので、考え込むだけ時間の無駄って感じもしました。 たぶん、必ず治るという方法は無いと思いますが、自分の考え・理想に共感を持ってくれる人間が傍にいるときが人にとっての一番の幸福なのではないかと思います。 克服は難しいかもしれませんが、治そうと考えるのでは無く、 普通に生きて、楽しいことを追い求めていけば、囚われることも無くなると思います。 みんな同じような悩みを抱えながら頑張って生きています。その中で逆境から乗り越えられるか、負けるか、どちらかです。 他人を気にするというのは自分の存在意義を感じない、つまりとりえを持っていないと言う事になります。趣味や自分の精神論を確立することで、他人はどうでもよくなります。 ですが、生きるためには人付き合いも大切であり、一人孤高としていても周りもとっつきづらい。 まぁ、自然体が一番ですかね! 俺には俺の生き方がある!
お礼
即時ご返答ありがとうございます。この内容を投稿しようと思ったときは精神的にかなりきつい状態でした。 runfaster001さんがおっしゃるように、「世の中には自分と同じ・もしくはもっと辛い境遇の人がいるんだ~」と実感すれば自分の精神は少し落ち着いたような気がします。セクハラにあう前は「世の中には自分と同じ・もしくはもっと辛い境遇の人がいるんだ~」のような考え方ができていました。しかし、セクハラをした教授自身が「自分が一番不幸で、苦労した人間だ」と言い続け。聞かされ続けた(パワハラ)せいも私がうつ病になった原因の一つだと思っています。教授は、自分が全て一番でいたいんでしょうね(そんなことできるはずもないのに。教授が憎いです。)。runfaster001さんのアドバイスではっと気づかされたことがあります。教授の怨念のようなものが私にもとりつき、私まで自分が一番不幸な人間だと思いこまされていたのかもしれません。はやくこのトラウマから逃れたいです。 >人生は短いので、考え込むだけ時間の無駄って感じもしました。 体調の良いときは、こう考えられるのですが、悪いときはなかなかその発想がわいてきません。 私、最近結婚して、世に言う身内というものが増えました。それに仕事場でも多くの人間と関わります、皆自分が一番不幸で苦労した人生をあゆんでいると思いこんでいる人ばかりの中にいると、段々と普通の感覚が麻痺して、分からなくなっていたような気がしました。 欲の多い人(お金・地位・名誉)ほど、自分は不幸だと思っている気がしてなりません。 私は研究の世界に従事しています。研究の世界は、欲と競争の世界です。正直、研究は好きだけれど、しんどいです。 貴重なご意見ありがとうございました。
お礼
返答ありがとうございます。 >自分で行動していることなのに、人事のように感じてしまうといった感じでしょうか。 >自分がでている映画の観客になったように見ているというのが近いです。 sachihappy777と同様にうつ病と診断される前に私も同じ症状になりました。このような感覚は、うつ病になる人にはよくあることなのでしょうかね。。。 >克服したというよりかは「時間が解決するのをただ待っていた」ですかね。 時間が解決してくれる・・・そうかもしれません。焦りがあります。 この質問をした日から、カウンセリングを受け始めました。 段々とよくなればいいのですが。。。 ご返答ありがとうございます。