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精神的に強い人という言葉の真髄は?
鬱や落ち込んだりしない、気がめいったりしない、してもすぐに元に戻るいわゆる打たれづよい人、ポジティブな人という言葉がありますが そういう方というのはストレスをさっさと発散するのが上手なのですか? つまり心にそういうストレスを入り込ませない、入り込む環境にしない、 仮に入ってもそぐに追い出す人なのですか? 異性に振られても「自分を振るなんてバカだな、こっちこそセイセイしたよ、はじめから縁がなかったんだよ」 なんて合理化したりすることで。。。 たとえれば異物を口に入れない、口に入れてもせいぜい食道までで、それまでに 口外に追い出す人のことなのでしょうか? それとも体内に、心内に入り込ませない水際防止作戦というより 真正面から追い出すことなく異物を飲み込みはするのだが そのストレスとうまく共存できる、ストレスを抱え込んでもうまく食あたりを おこさないように消化させていくのが上手な人、「強い胃酸」を持った人、 強い胃壁をもった人のことを指すのですか? 日ごろポジティブでくよくよ悩まない落ち込まない人というのも じつはそれは水際防止作戦で心の中に入り込ませなかったゆえであり、もし逃げようのない、 かつ長期間継続してストレス環境が囲い込む アウシュビッツ(つまりストレスを外に追い出す合理化などの水際防止作戦がまったく無意味な環境)に入れられたら あっけなく発狂するのかもしれませんね? 逆に日ごろはちょっとしたことですぐ落ち込む人のほうが 耐性あるぶん、大きなストレスに対してはめっぽう強いのかも? とうことで、アウシュビッツ内でも鬱屈しない精神性を崩さない 人というのは日常においてはどういう人に該当するのか、 というテーマにも敷衍させて教えてくださいませ。
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精神的な強さについて自分の主観的意見を述べますと どのような状況下でも乱れない心といったとこでしょうか 心頭滅却すれば火もまた涼し、という言葉があるが実際は火は熱いのだけれども、ギャアギャア騒ぐ事ではないという意味だったはずです。 異性に振られても「自分を振るなんてバカだな、こっちこそセイセイしたよ、はじめから縁がなかったんだよ」という風に合理化するのは自分が傷つきたくないから理由を付けているだけですね なのでポジティブ=精神が強いというこは、あくまで主観的意見ですが違うと思います。 >日ごろはちょっとしたことですぐ落ち込む人のほうが耐性あるぶん、大きなストレスに対してはめっぽう強いのかも これは違います。鬱状態の人を見ればわかりますが、日頃ストレスを抱えている人は、ストレスに対する感受性が強くなっているのでよりいっそうストレスを感じてしまいます。
- baka_inu
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はじめまして。 打たれづよい人、ポジティブな人を「精神的に強い人」ということで捉え、それとストレスを関連付けて考えます。 ストレスを流れ落ちる水に例えると、ストレスマネジメントの上手な「精神的に強い人」は、以下のような人かと思います。 ・ストレスを溜めるバケツが普通より大きい人 ・ストレスを溜めるバケツに蛇口がたくさん付いている人 ・ストレスをバケツに溜めないような場所に動くのが上手な人 ・ストレス自体を別の価値観に変えてしまうことで、ストレスじゃなくしてしまう人 ・ストレスをすくい取ってくれる仲間が多い人 もう少しあるかもしれませんが、こんなところで止めておきます。何が言いたいかというと、ストレスの解消法は様々だということです。質問者の方がおっしゃっている水際防止作戦は、いくつかの方法のうちの1つに過ぎません。ある方法が得意な人がいれば、別なのが得意な人がいたりして、個性は様々です。多ければ多いほど、処理が上手にできる人、ということになるのでしょう。 究極的には、自分を知っている人こそ、精神的に強い状態を作れる人だと思います。自分の限界以上のものは背負い込まないし、人に何を言われても傷つかないし、そもそもストレスになりそうな状況に自分を追い込むことはない。自分にも他人にも無理を強いない人が、強くいられるのだと思います。 ある小説の一説です。 「強い人間なんてどこにも居やしない、強い振りのできる人間が居るだけさ。」 最後に、 >アウシュビッツ内でも鬱屈しない精神性を崩さない人 「ライフ・イズ・ビューティフル」という映画をご覧になったことはありますか? そこに全て描かれています。 守るべきものがある人が、一番強いのかも知れません。 失礼しました。
- hakobulu
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「本当の意味での精神的強さ、とは何か。 また、それを形成するため日常的にはどのような姿勢が有効か。」 というご質問として私見を述べてみます。 まず、「精神的強さ」というのは「しなやかな強靭さ」であろうと考えます。 あまりに弱く柔すぎるだけでは当然ダメですが、硬いだけでも恐らくダメでしょう。 つまり、柔剛のバランスのとれた精神が最も強いと言えるように思います。 バランスのとれたものが強いのは精神だけに限ったことではありません。 なぜバランスのとれたものが強いかと言えば、そもそもこの世界自体がバランスによって成り立っているからです。 「拮抗」と言っても良いでしょう。 地球は公転と自転で、太陽との間に生じている引力と遠心力(斥力)のバランスをとることによってこの宇宙に存在できています。 人体には運動神経(意識)と自律神経(無意識)があります。 自律神経には交感神経と副交感神経という矛盾した神経があり、それらが調和して成立しています。 また、男女の性差、ホルモンの違い。 などなど、人体を含めてあらゆるものがバランスをとりながら存在しているわけです。 これは、取りも直さず、存在するということが矛盾的調和の顕現であるといいうことになろうと思われます。 ご質問の意図に近い例としては、ウィルスなどが体内に入り込んだ時にそれを斥ける役目を果たす免疫という機能があります。 ウィルスを体内に入れないということではなく、入っても安全なものに変質させる機能と言って良いでしょう。 この免疫というものも、ウィルスが体内に入ってくることによって形成される機能ではないかと思います。 生まれてすぐから無菌室だけで過ごすとすれば、免疫が作られる機会に恵まれないでしょうし、一旦菌が体内に入ってくれば負けやすい脆弱な体質になるでしょう。 かといって、最初から強すぎるウィルスが入ってくれば、これはまた致命的な脅威となる可能性が高いはずです。 つまり、この場合においてもバランスが重要で、 ある程度のストレスは大いに受け入れて立ち向かうことによって強い精神性を作る一貫になり得るが、 過剰なストレスは危険である、ということになるでしょう。 ただ、適度か過剰か、という基準は人それぞれ異なります。 相手の、あるいは自分の基準を的確に判断して対処することが肝心である、という結論に至るしか無いように思います。 日常的姿勢としては、 他者に対する場合は、「毅然としながらも(または、自然でありながらも)、思いやる気持ちを忘れず」、 自分の言動に関しては、「逃げはしないが、無理もしない」、 といったようなバランス感覚を十分に発揮できるか否か、によって強い精神性の構築が左右されるような気がします。
- cse_ri2
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アウシュビッツ内でも鬱屈しない精神性を崩さない人として、心理学者のE・フランクルが最も適切な事例でしょう。 彼の著書『夜と霧』に、彼の体験が克明に紹介されています。 参考:『夜と霧』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622039702 質問者の方には、是非とも書籍を読んで欲しいのですが、以下のURLに夜と霧の簡単な紹介がありますので、まずはそこから目を通してください。 参考:読書ノート 『夜と霧』 http://www.din.or.jp/~honda/tokio14g.htm 私の考えでは、内面的な勝利こそが最も大きな鍵ではないかと思います。 収容所のような極限状況において発揮される人間の真価。言葉でいうのは容易いのですが、これが得られるかどうかが生死の分かれ目となったように思えます。
- 阿加井 凛悟(@neutral)
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こんにちは。 「精神的に強い人」ですか・・。 人によって「強い」という言葉に対して持つイメージが違うと思うので、いろいろな意見 が出るかと思いますが・・私の思う「強い人」は、(自分も含めて)人間を直視することが できる人、直視したものを受け容れることができる人、受け容れた上で、(自分も含めて) 人間を愛することができる人、(自分を含めて)人間を幸せな方向に導くことができる人・・です。 >心にそういうストレスを入り込ませない、入り込む環境にしない・・ :これは「強い」というのとはちょっと違う気がします。 ある程度、ストレスから身を守ることは大切なことですが、ストレスから身を守る、とい うことは、外部からの情報を遮断することになります。つまり、見たくないもの・自分に とって都合の悪いものから逃げている、ということになります。なぜそうするかというと、 自分を訪れたストレスを、自分で抱える「強さ」を持っていないからです。 ただし、ある程度、ストレスを回避することは、個人的には悪いことではないと思います。 >異性に振られても「自分を振るなんてバカだな、こっちこそセイセイしたよ、はじめか ら縁がなかったんだよ」なんて合理化したりする・・ :これも「強い」というのとはちょっと違う気がします。 「合理化」というのは、自分が傷つかないための、「自己防衛」の一種です。 なぜそうするかというと、振られた「悲しみ」「悔しさ」「淋しさ」などの感情を抱える だけの「強さ」や、「愛されたかった」という欲求を自分が持っているということを認める だけの「強さ」を持っていないからです。「強い」人は、素直に「悲しみ」の感情や 「愛されたかった」という欲求に、どっぷり浸かり、その感情や欲求が、自然に流れて 消えて行くのを待つことができるのではないかと思います。 もちろん、こういったことを「一人で」できる人だけが「強い人」ではなく、人の助けを 適切に求めることができる、というのも「強い人」の条件の一つではないかと思います。 はあ?と思われるかもしれませんが、これは、自分が「助けを必要としている」ことを 認めることができる、というのが前提ですし、自分や他人を信用する勇気がないと できないことですし、「欲求や感情に捕えられた状態」からスムーズに抜け出すために 必要なことは何なのかを考える力・それを表現する力がないとできないことです。 別の言い方をすると、「強い人」こそ「甘え方」が洗練されていて、甘えることができる 対象を広げることができるのではないか、と思います。 アウシュビッツに関しては、刑務所に入ったことがないので(笑)どのような環境なのか・ どんな精神状態になるのか、うまく想像できませんが・・・ >アウシュビッツ内でも鬱屈しない精神性を崩さない・・ :これ、ものすごく難しそうですね。 ただ、日頃、質問者様のおっしゃる「合理化などの水際防止作戦」をして、ストレスを 避けている人よりは、自分の目の前にある環境を受け容れストレスを受け取って抱えて 処理している人の方が、健康な(?)精神を保つことができるのではないかと思います。 もうひとつ、「強い人」は、自分の(弱い部分も含めて)いろいろな面を受け容れている と思うので、「強い人」は、「強い人であること」にこだわらないのではないかと思います。
- kamikazek
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強くなるのは簡単です。 自分が原因と思えるものは ちゃんとその非を認めることです。 他人のセイにしないこと。 自分にふりかかる、幸せはもちろんのこと 不幸も「自分のものにする」ということ。 自分で全部、しょいこむのもよいでしょう。 しかし、勘違いしてはならないのは、 それらの返しは、時間をかけてよいということ。 不幸も幸せも自分のためにあります。 両方「楽しんで」ください。 なにもかも背負って、引け目になって 生きることなんてありません。 じっくり解き明かしていけばいいのです。 生きるって、そのぐらいがちょうどいいですよ。 宇宙の歴史に比べれば 人がひとりでできることって たかが知れてますから。 微々たることしかできません。 しかし その「微々」がなにより大事なことも 確かです。 自分の足下を毎日勉強していれば 弱いとか、強い 迷うとか 迷わないとか そういう考え方も なくなりますよ。
ストレスもまったくなければ、向上しない怠け者(?)になるかもしれません。適度なストレスは必要かもしれません。あなたの例で言えば後者の共存(あるがまま受け入れる)ということでしょうか。ただし体内にいる良細菌のように酸で殺すのでなく仲良く付き合うことでしょうか。といっても理屈ではありませんね。いやなものはいやです。感情は慣れますが、行動は意志の力ででできると思います。