- ベストアンサー
殺生について<無邪気な蚊の淡い一生>
部屋の中を無邪気な蚊が楽しそうに飛び回っていました。 突然私の耳元で「ブーーン」と不快な音が聞こえてきたので、 無意識のうちに耳元に手を当てたところ、その蚊は、哀れ にも気絶してしまい、デスクの上に横たわってしまいました。 しばらくの間必死に介抱していたのですが、私の祈りは届 かず、たった今、息をひきとってしまったようです。 私はなんと罪深い事をしてしまったのでしょう。無邪気な蚊が 哀れでなりません。この先私は如何に生きて行けば良いので しょうか‥‥‥。
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
正法に帰依することでしょう。 蚊が命をかけて、諭してくれたとして、自らが成仏して、その縁の功徳力で蚊をも成仏させましょ。 それが、蚊に取っても供養にもなり、回向ともなるでしょう。 食べられる魚にしても、食肉となった動物にしても同様であります。自分が成仏させていただく為の犠牲であり、糧であります。これで、自分が成仏しなければ、報われる事もないでしょう。 如何ですか? 真面目なご質問なら、本当に肝に銘じて下さい。 冗談半分ならば、このような質問はすべきでありません。回答者に対して、失礼であり、侮辱することになります。
その他の回答 (11)
- knj9999
- ベストアンサー率18% (29/156)
ジャイナ教徒は蟻を踏まないよう箒ではきながらあるくそうですが、殺生を戒める宗教もこれでは行きすぎと他の人々から不審がられています。本人たちの真剣な気持ちは尊敬しますし、実際に他の生命を奪わずに生きていければ素晴らしいでしょう。しかし、人間という生き物、神の創造物は光合成して生きていけない仕組みです。他の生命を奪って生きていく宿命です。菜食といっても植物の生命を奪うことに変わりありません。蚊の生命を奪ったことを気に病んでいるようですが、あなたの今までの人生で奪った生命の墓標にひとつ加わっただけです。生命を奪う宿命を心に感じながら道を成すことを心がけてください。それが「人間」の務めです。
お礼
knj9999さん、美しい回答をありがとうございます。 knj9999さんの仰る通りだと思います。私もその事については 弁えているつもりです。 今回の問題は、意識的・無意識的にかかわらず、「無益な殺生」 を繰り返してしまう「人間」という存在の奢り高ぶった「性(サガ)」 について問うているのです。
- 1
- 2
お礼
odd-artさん、ありがとうございます。 宗教色が感じられますが、要領よく的確にまとめられた素晴らしい アドバイスです。odd-artさんのその繊細で美しい心を感じ取れます。 ただ、最後の2文については、とても残念に思います。正法を熱心に 勉強されている方が、何故、疑心暗鬼にとらわれてしまうのでしょう。 人間社会の中で生きていくためには、理屈を考えるよも、まず、行動 する事が必要とされる場面がままあるものです。 自分に信念があるのなら、たとえ裏切られたっていいじゃないですか。