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基本的に、
「ラララ」は明るい活動的な感情。
「ルルル」は(基本的にはしんみりとした)緩やかな感情。
と考えて良いでしょう。
[La]と[Lu]の[a][u]という母音を発生する時の口の開け方がその差に関係しているように思われます。
「ルララ」などのように連続して使われる場合は、上のような感情の変遷を表わしていると私は感じます。
スピッツ(というグループ?)は知りませんが、無意識のうちに、
「ル」でゆっくり空に浮かぶまでを表現し、「ララ」で宇宙の風に乗ってリズミカルに流れていく様を表現しているのでしょう。
◆{また、「ルララ」に会いました。}
という文が唐突に挿入されたという印象を与えます。
「また」をお使いになった理由は良くわかるのですが、
直前の文で【「ルララ」に会ったこと】は既に述べられています。
次の文では、【この歌の中でまた出会ったこと】を言いたいわけですから、前の文との関連を示す言葉を何か使うのが自然です。
例えば、
『ここでもまた、「ルララ」に会いました。』
『ここでまた、「ルララ」に出会いました。』
などとすると自然に聞こえます。
ただ、原文のような文の継続は余韻を含んだ表現としては有効ということは言えます。
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(ex 1)
彼の笑顔はいつも私を励ましてくれる。
今回の事件で私はとても落ち込んでいた。
彼が気遣って遠方からわざわざ訪ねてきてくれることになり、駅まで迎えに行くことになった。
彼は、あの笑顔を湛えながら列車からおりてきた。
また、私は癒された。
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最後の文は本来であれば、
「それを見てまた、私は癒された。」
とすべきところです。
「それ」が「彼の笑顔」であることはご理解いただけると思います。
しかし、「それを見て」と敢えて明示しないことによって余韻が残ることになり、その余韻を読者が噛み締めることができるようになるわけです。
くどくなるかもしれませんが、もうひとつ例を挙げてみます。
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(ex 2)
ビル街で彼を最初に見かけた時、私はハッとした。
あまりにも、亡くした過去の恋人Tと似ていたからだ。
しかし、仕事に没頭する中でそのことは次第に記憶から遠のいていった。
しばらくして、私は社長の指示で、あるプロジェクトをまとめるためお得意先へ出かけることになった。
通された部屋には一人の男性が背を向けて座っていた。
「遅くなりました。」と声を掛けると、その男性は椅子を回転させてこちらを向いた。
私はまた、過去の恋人と出会った。
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最後の文は、通常の表現であれば、
「その顔を見て私は驚いた。それは以前ビル街で見かけた、あの彼だった。」
などとなるところでしょうが、
前の文との関連を表わす言葉を敢えて使わず余韻を含ませたことによって、その驚きと切なさがより強調的に表現されているのではないかと思います。
因みにこの(ex 2)は、以前日本でも大流行した韓国のドラマ「冬のソナタ」バージョンを想定してみました。(^^;)
お礼
hakobuluさん、いつもお世話になります。ご回答ありがとうございます。「ルルル」は(基本的にはしんみりとした)緩やかな感情なのですね。大変助かりました! 「ル」でゆっくり空に浮かぶまでを表現し、「ララ」で宇宙の風に乗ってリズミカルに流れていく様を表現しているという解釈もとても納得できます。「ルララ」の部分はさわやかで、気持ちよかったです。スッピツは四人組のバンドで、時々聴きます。淡い暖かさが感じられます。「また」のすてきなラブ小説の一節も読ませていただきました。余韻を出すのに工夫しなければなりませんね。 本当にありがとうございました。