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自殺を助ける行為について
皆さんは自殺しようとしている人を助ける行為をどう思いますか? 例えば今この瞬間に飛び降りようとしている人に「自殺は良くないよ!」「死んじゃダメだよ!」などと声をかける事、入水自殺を図った人を水中まで行き救助するなどです。 一見良いことをしているように見えますが、実際その助けられた人は嬉しい、良かった、助けてくれてありがとうなど思っている人は少ないのではないでしょうか。 何かしらの問題を抱えていてもう死ぬしかないとなった時に、無責任にそんなこと言われたりされたりしたら直後は死から逃れられたことで本能的に安心するとしても後から後悔と助けてくれた人のことを少し考えると思います。その後の人生を援助してくれる訳でもないのにある意味生き地獄に引きずり戻すおぞましい行為だと考えるのですが みなさんはどう思われますか? 乱文・長文申し訳ありません。 ご回答よろしくお願い致します。
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- hgmg__
- ベストアンサー率33% (1/3)
自殺しようとする人の目的も経緯も全然違うので正義感でとか、ただ生かしたいだけなら止めるべきではないなと思います。生きる事が正しさでもないですし。 でも、仲良かったり知り合いに未遂した事ある人が多いのですが、自殺を選ぼうとする人ってしたくてそれを選んでる訳ではなく、選ばざるを得ない人が大半だと感じます。 色んな事に疲れていて希望を見出せない状況が続いて、意欲もなくなり、全てを辞めようみたいな。 原因によっては本人や周りの環境次第でいい方向に進む場合もありますし、長い間幸せを感じられる状態になればあの時死ななくて良かった。と思うんじゃないでしょうか。(その時点で生きる方に魅力を感じてるので) 逆で、誰かに止められたり踏み止まった後も生きてても辛いとしか思えなかったら後悔する瞬間はあるだろうなとも思います。 なので、感謝されたり生かすのが助ける人の目的なら本人に余裕が出来るまで面倒見る前提になるだろうな、安易に助けるのは良くないなって思います。
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6876/20336)
本当に死にたい人は 誰もいないところに行きます。 人がいるところでは 助けて欲しい意識が働いています。
- karawane
- ベストアンサー率18% (263/1393)
某国の精神科医さん達は、 日本人のクライアントに良い印象を 持っていないそうなのですが……それは、 なにかと云うと《死にたい》と云うからなのだそうです。 〈死にたい〉は、現状とは違った生き方が可能ならば 生きていたいという意味であると解釈しても 宜しいのではないかと思えるケースが あったりします。 希死念慮が 自己制御不全に起因するケースも 多々あったりしますな。 絶望・幻滅・失望・失意・(堂々巡りという)思考停止状態に 至りがちな垂直思考で、極端に狭小な選択肢に 起因する自殺願望もありますな。 ふろく: レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』冒頭の言葉: [幸福な家庭はすべてよく似たものであるが、不幸な家庭は皆それぞれに不幸である] [幸福はさまざまだが、不幸は驚くほど一様である。 (『天声人語』2002/11/19)] 私個人的には、自殺希望者の心的状況は、後者ではなく、 トルストイの言葉にマッチするような印象があります。 私自身は《助ける》ことは無理ですが、 経緯を聞いて、先延ばしして貰った機会が 複数回ありました……但し《自殺は良くないよ》とか 《死んじゃダメだよ》等の類は、1度も 云ってません。 法曹関係者・医療関係者・宗教関係者であると 救える機会があるケースもあるでしょうな。 但し、中学生や高校生、稀に小学生の自殺を 教育委員会・教師たちは、救えないのは 哀しいのですが……若年で自ら逝かれる人たちの殆どが 垂直思考で選択肢が狭小であることも 残念です。 私は、此処のその種の質問者様には、 これまでの人生体験を題材にして「小説」「童話」 「絵本」「エッセイ」etc.を書き遺して逝って くださいという一文を添えた回答を行って おります。 以上、お望みの回答になりませんでしたが、 参考まで。 All the Best. Adieu.
- JP002086
- ベストアンサー率34% (1535/4403)
この手の相談内容に関して言いますと「感情論」と「法律」での議論になります。 でも、法律にあるからと言って「では、どの範囲の方が?」と、さらに議論になり収集が付かなくなります。 法律的に言うと黙って観ていたのでしたら「幇助(ほうじょ:手助けした)」と判断される可能性が有ります。 その場面で、どの様に助けるのか?と言う方法を知らなければ、立ち尽くすか? 警察に連絡をするか?になるでしょう。(その場だけ) でも、物事には時間経過がありますので、そこまでに至る(今回で言うと入水)までに周りに支援を求めたのか?まで遡らないといけないかと思います。 入水し結果的に助けられた場合、そこから行政的に支援を入れるかどうか?が判断されるかと思います。 私が良く言っているのは「良く「がんばれ」と言うのは、無責任な言葉なので、単語として有っても使うな。同じ言うのであれば的確な指導と情報を言葉で伝えろ」と後輩には指導しています。 >みなさんはどう思われますか その場の状況判断によります。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
>実際その助けられた人は嬉しい、良かった、助けてくれてありがとうなど思っている人は少ないのではないでしょうか。 救急隊員みたいな人たちが全員口をそろえていうのは、自殺未遂で死にきれなかった人って必ず「助けてくれ」というそうです。 SNSで一緒に自殺している人を募集して連続殺人をしている人がいました。座間の連続殺人事件です。犯人は「自殺願望を持っている人をSNSで募集したが、本当に死にたがっている人は一人もいなかった」といっています。みんな本当に殺そうとすると命乞いをするんですって。 本当に死ぬ人ってね「ありがとう」っていうんです。これで自ら亡くなってしまった人を2人知っています。直接に知ってる人じゃなくて周囲にそういって亡くなったという話を2件聞いたのです。 「これから死んでやる」といって死んだ人って聞いたことがないです。「これから死んでやる」ってのは「止めてくれ」って意味なんですよ。 死ぬ人ってね、「今までありがとう」といって死ぬんですよ。覚悟ができたから。 そんなの、止めなきゃいけないじゃないですか。自分に対して「今まで俺と仲良くしてくれてありがとうね」といって死んでくやつは止めないと。それを「君が決断したことだからそれを尊重する」なんていってられないですよ。 あのね、大事なことだから覚えておいてください。「死ぬ権利」なんてのは存在しません。権利ってのは使うこともできるし、使わないこともできることに対して使います。 でも死は、誰にでも必ず訪れます。だから死ぬことは権利ではなく「義務」なのです。いつかどこかで人は(人に限りませんが)必ず死にます。いつか必ず死ぬものだから、今慌てて死ぬ必要はありません。 質問者さんだって、今日宝くじに当たって何億円ものお金が手に入ったら、とりあえず今日は死なないでしょ。そのお金を使い切ってから死ねばいいとなることでしょう。人間の「死にたい」って願望はその程度なんですよ。 駅にホームドアがあると、自殺者がほとんど出ません。ホームドアって高さは1m程度で、大抵の人なら乗り越えることができます。でもたった1mの高さの障害物で自殺を思いとどまるのです。死にたい願望なんて、そんなもんなのです。
- habataki6
- ベストアンサー率12% (1182/9781)
困っている人助けるのは、政治家の仕事といいます、根拠は 憲法見れば、そのように解釈出来ます。