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自殺は悪いことじゃない?
主体的観点において神がいないとしたらどうやって説得しますか? また説得しますか? お前を大切にしてる人がいるんだぞ!ってドラマで聞いたりしますが死んだあとには何も残らないし、悲しいのは周りの人で主体個人を見た時にはただ何もなくなるだけなのではないか。 条件・前提 上記のようなことを考えぬいた結果死んだものとする。
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善悪は、自己中心的に発生する個人の意識に社会行動をとらせるために、社会が付与する足かせであり、社会が社会の原動力である個人の自殺を善とする事はありません。 一方、個人の生きる目的である「精神的充足量の最大化」において、生きる事は最重要の関数である。 しかしそれは、生物としての生きる意志においてであり、生物として生きる意志は任意であり、もし本当に死にたいのであれば死ねない事が苦痛であって、自殺を止めるものはない(自殺した者を罰する事はできない以上、法的には罪ではない)。
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- yukiyama20
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なんとなく思いついたので書き込みます。連投すみません。 死は私有財産なんでしょうか? 死にたいという気持ちというか願望も経済に左右されるのでしょうか?
お礼
わかりませんがこの質問の前提において話すとすれば 死にたいというのは個人の自由だと思います。死んでしまえば生前ことは関係ないですから。 ただ経済状態において死にたいという場合は突発的な感情的な物による自殺願望ですので十分作用されると思います。
- yukiyama20
- ベストアンサー率0% (0/6)
経済苦で自殺する人が増えているようなので毎月100万円配れば自殺する人はかなり減るのではないでしょうか?
お礼
現実にはそれが即しているかもしれませんが、この話の場合は虚しさによって死んでいますからね。。。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
もう一つ言っとくよ >金返せ。 改めて、 死ぬ前に金返せ。 借金取りは執念深いのだよ。 君を地獄に落とそうと呪い、さらにはその地獄にまで借金の取り立てにおもむくよ。 恨まれてたまま死ねば生き先は地獄だろうよ。 天国に案内しようと祈る遺族はいない。 すなわち究極の夜逃げは祝福される死ではない。 「そんなのかんけーね」と、踊ってみたまえ。 少しは気が晴れるだろうよ。 死んでもいいがその前に金返せ。
お礼
あなたは地獄について論じていますがそれは神様が存在することになるんじゃないですか? 神がいない主体においての質問ですよ。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
私が君に金を貸しているとしたら、君の自殺は究極の夜逃げであり、私にとっては損失の発生する悪だ。 君にとって誰かが君を愛している事はどうでもいいだろうが、誰かに借りがあるなら、借金を全額返済するまでは自殺する自由も無い。 愛されたならそれが借金だ。 返済は愛した人に恩返しするだけでなく、君自身が誰かを愛することで返済する必要がある。 君は愛される事を憎むゆえに死んで夜逃げをしようとたくらんでいるのだろうよ。 それは悪だ。 愛は無償ではない。 金返せ。
お礼
客観においてはそうかも知れませんね。 ご回答ありがとうございました。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
他者の為に役立つ者なら自殺はしない方がええな。 他者の為にまったく役立たぬ者なら、本人の意思を尊重したい。 大抵の人間は他者の為に役立つもんじゃけどな。
お礼
彼が主体のみを考えているという前提ですよ。 ご回答ありがとうございます。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 自殺は 人殺しですが じつは 人間にはそれをもおこなう自由意志があります。負の意志ですが あり得ます。 もし神を持ち出すのならば この自由意志をあたえたのが 神です。 人間どうしで考え合って行きなさいというわけです。 No.5さんの見方に重なります。 つまり それまでまじわった人びとすべてに その自死の《条件・前提として考えぬいたというその内容》を伝え しかもそれらの人をみな 説得し得たとき ぢゃあ 好きにしなさいとなりましょう。 つまり おれとのまじわりの歴史がある。それをおまえの一存で消すというのも分からないではない(つまり 絶交するというのなら それはそれだ。おまえの側の問題となる)。けれどもその存在じたいを自分で消すというのは どうしたわけか? つまり おれとの共生の歴史が 挫折するというのなら おれ自身にも問題がかかわってくる。それでもすべてをなかったことにしたいのか? そのことについておれを説得してから逝ってくれと言って 説得します。
お礼
この人が考えぬいて主体にのみ価値をおいてなければ有効かもしれませんね。 ご回答ありがとうございます。
- entap
- ベストアンサー率45% (78/172)
独我論的な主体性を中心にすえるなら、そしてその人間が、己の主義に沿った予測を十分に行いえるなら、自由意志に対して抗い得るものはないと思います。だって、その人間にとって、自分の主義と行為だけが絶対なのですから。 この基準の下で、「上記のようなことを考えぬいた結果」、とするならば、あらゆる行為は正当化されます。勿論、十分でない可能性は存在するため、そこが突き詰めるべき点となるでしょうが、その突き詰めるべき個々人の主義、なんてわかんないですからね。 現実的には、「まぁメシでも食ってから考えようや」という形で意識をそらすのが有効なようです。あ、美女がキスして止めたって例もありましたね。
お礼
ふむふむ、少し見えてきた気がします。 その人の考えきれていない考えを提示できれば一時的にしろ抑止可能ですね! 一般的な自殺は思考からくるものではないですし、キスしたりしてささやかな幸せのほうが抑止力ありますよね。(笑)
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
1,法的には悪いことだ、とされています。 刑法には自殺教唆、自殺幇助という犯罪があります。 これは自殺が悪いことだということを前提にしています。 2,自殺は悪いことです。 なぜなら、命は、自分で創ったものでは無いからです。 産んだのは親です。 育てたのも親。 人の人格は、親などから始まり、多くの人間やモノと 接することにより、構築されます。 つまり、色々な人、色々なモノのお陰で、今日の 「そのひと」が存在する訳です。 そういう人たち、モノたち、総ての了解をとった訳でもない のに、己の命を、あたかも自分のモノだけのように考えて、勝手に 処分するから、悪なのです。 生き生き生き生きて生の始めに暗く 死に死に死に死にて死の終わりに冥し
お礼
ご回答ありがとうございました。
補足
親からの命令は絶対服従だとお考えですか。 それと代理出産かつ養護施設転々といった特殊な場合はどうなるのかイマイチわからないですね。 質問からそれましたが結局主体的な観点においた場合抑止力にならないと思いますが、、、
- k_kota
- ベストアンサー率19% (434/2186)
善悪で言えば悪。 私の気分を害するので悪です。 んで、説得ですが、一般的には「先伸ばし」を勧めます。 突発的なことが多いと思うので、落ち着けばどうにかなるかもしれない。 それ以外の場合については一般論が通じないと思いますが、 多分話を聞くしかないと思います。 >お前を大切にしてる人がいるんだぞ!ってドラマで聞いたりしますが死んだあとには何も残らないし、悲しいのは周りの人で主体個人を見た時にはただ何もなくなるだけなのではないか。 まあ、それで止める場合もあれば関係ない場合もあるでしょう。 死んだら意識も何も無いですけど、説得にも善悪にもそれは関係ない話です。 まあ、宗教的にはダメと言う場合が多いですが、大事なのは本人の納得でしょう。 切腹出来ない武士はつらそうです。
お礼
本人の意思が重要だとお考えですか。 ご回答ありがとうございます。
補足
少し語弊があったのですが彼は自分に虚しさを見出し、絶望し、思考の末に死のうとしてるのです。 決して突飛な考えではないと前提したつもりでしたが伝わりづらく申し訳ない。
まず結論から言うと、私は神は関係ないと思うのです。というのも、キリスト教などで自殺が悪である理由は、「神が禁じている」というだけのことでしょう。神が機能しない。では、神を他の何かに置き換えてみましょう。 「お父さん」が禁じている。これでも子供に対しては機能します。 「恋人」が禁じている。思春期の子供から、大人まで機能します。 「家族」や「友達」が禁じている。大体は機能します。 自分にとって大切なものがある人は、これで説得が十分にできるものです。(※「禁じている」と書きましたが、実際は、「あなたに死んでほしくない」などと語るのだろうと思います。それこそドラマみたいに)。 もっとも、神の場合、死後まで追ってきて、懲罰を加えるかもしれません。自殺者は天国に行けないそうです。しかし、誰であれ、懲罰はできるのです。自殺で子供を失った親が自暴自棄になれば、十分に悲しいことでしょう。恋人は誰か別の方を見つけるかもしれないが、一生、トラウマを背負っていくことになるでしょう。その方に子供がいたとすれば、子供はずっと「自分は親のように自殺するかもしれない」とおびえる訳です。こうした可能性は、どれも懲罰的な苦しみを自殺者に与えないでしょうか。上記のような次第で、私は神だけが自殺を引き止められる訳ではないと思うのです。これが私の小結論です。 しかし仮に、魂も何も無くて、残されたものたちがどうなるかを考えることも無いだろう。周囲は自分が死ぬことで、かえって喜ぶかもしれない、などといわれてしまったらどうなるか。これは本当に、自分以外のことに関心が無くて、自分一人で生きている人なのでしょうね。しかしこういう方は、自分の快楽に強い関心を抱いているでしょうから、死んでしまって得られない快楽を思い出させれば、自殺を思いとどまらせることはできるかもしれません。要するに損得勘定をしているだけなのです。そして、この場合も神とは関係ない議論であるといえるでしょう。 仮に神がいなくても、いくらでも説得の仕様はありますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。
補足
自分には何もないと考えぬいたという前提を読んでいただけますか。 ここに神がいたとすれば考えぬいた上で救いがあるかもしれないので神がいない前提にしたのです。 無神論を突き詰めて考えたことがありますか?そうすると結局愛にしろ友情にしろそれに対して自分が今現在どう感ずるかが一番のことになってくることはご存知だと思います。 そのことを彼は考えぬいているのですよ。 そんな人に今更今までの大切だったものを言ってもなおさら今死ぬことによってそれがすべて主体的に無になろうとしていることを悟ってしまい悲しくなるだけでしょう。 自己中心的=一人で暮らすようなものとお考えのようですが、長期的自己中心を突き詰めると人に対して親切に接してこそ初めて自分が何者にも代えがたい幸せが得られるとわかるはずです。 そしてそれすらも虚しさを見出して彼は絶望と思考と理性の末に死のうとしているとすればどうでしょうか。
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お礼
精神的充足量の最大化ですか、神がいようといなかろうとしっくり来る言葉じゃないですか! 素晴らしい定義と演繹的答えをありがとうございます。