偽善の意味が分かりません
障害を持った人、あるいは高齢の方などが困った事に遭遇しているとき、私がたまたまそれを助けられる立場にいるなら助けます。
しかし、それを「偽善」と言う人が時々います。
偽善とは「偽者の善」という意味ですが、そもそも私は善をしたとも思いません。仮に善だとしても、当たり前と思ってする行為が偽者と言われる意味も分かりません。
私は、善のイメージのある福祉や親切心という気持ちはよく分かりません。
他者が困る→助けを求められる→実行可能か否か自己分析→可能と判断される→助ける
というような思考で半自動的に動きます。損得も思いませんし、いい事をしたと言われるのも違うように感じます。
偽善と言われる事が不愉快で聞いているわけではありません。
私にとっては、良いことをしたと言われるのも、偽善と言われるのも同じように違和感を感じます。
しかし、「いい事をした」と言われる場合は、その人には「善」を行ったように見えてるんだなと発言の意味が理解できるのですが、
「偽善」と言われる場合は、どういった思考で「偽善」に見えている可能性が考えられるでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 単なる言い間違いならいいのですが、何か特別な意味でもあるのかと思ってしまったのです。