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「偽善」て言葉はどういう時、使うのですか?

よく「偽善」という言葉を使う人がいます。 人から善く思われたい気持ちや、下心や見返りを期待する気持ちが少しあった場合も「偽善」になるのでしょうか? そう考えると、全て「偽善」のような気がするのですが。

みんなの回答

noname#9014
noname#9014
回答No.24

再び失礼します。#6から何度かお答え(議論)させていただいたものです^^ もうこうなったら私も確信犯、やけっぱちです 今度は回答としてでは無く、質問者様への補足要求として、 "よく「偽善」という言葉を使う人は「偽善」て言葉をどういう時に使うのか?"なのか、 "「偽善」て言葉を(普通は)どういう時に使うのか?"なのか "「偽善」言葉を(正しくは)どういう時に使うのか?"なのか "あなたの友達があなたに対して「偽善」て言ったのはどういう意味だったのか?" のどれなんでしょうか? 私にはいまいちよくわからなかったので、 「個別的な問題については(言葉の使い方は場面や文脈、人にもよるので、)結局は本人に尋ねてみないとわからない」 と前置きした上で、 『広辞苑』に載ってる言葉の定義をたたき台にして、 「広く一般的には(正しくは)こういうことなんじゃないか」とお答えしたわけです。 もしも個別的な状況についての質問なら、その言葉が使われた状況や文脈を簡単にでも構わないから説明してもらわないと、回答しづらいのではないかと思うのですが…^^;

noujii
質問者

お礼

みな様ありがとうございました。

noujii
質問者

補足

技術的な質問でなければ、状況を細かく説明する必要ないと思っています。(キリがないし、気軽に利用できなくなりそう。) たまに状況説明が足りないと叱り口調で回答する方も見受けられますが。無理せずに、ピンとくる・回答できると確信した時だけ、回答すれば良いのでは? でも、今回の私の文面は、自分に酔ってる風な詩的な文面でもないですよね? bigskull様からも、十分、参考になるようなご意見を頂戴することができました。ありがとうございます。

  • o24hi
  • ベストアンサー率36% (2961/8168)
回答No.23

>前にある質問をしたらカキコんだ質問文・お礼文から「討論を目的とした場ではない。」との事で、管理者様に質問回答全て削除されたことがあります。  私も、この手の質問の回答が好きなので、たまに見つけると書き込んじゃうんですが、大抵消されちゃいます。  あと、相手に回答を求めるような書き込み、中傷するような書き込み、詰問するような書き込み、個人情報が書かれた書き込みは、全て消されるか、部分的に削除されちゃいます。  あくまでも、回答者さんとのやり取りがこのサイトの本来の目的なんですね。明らかな事実が間違っている書き込みがあれば教えてあげるのはいいかもしれませんが、自分の主張を言い張る場ではないと言う事は、今迄、このサイトを使っていてよーくわかっています。質問者さんにも、迷惑がかかることですから(自分の質問から外れて、別の観点で勝手に議論されちゃうわけですから。)。  noujiiさんはその点を良くご存知のようですが、のこの質問は、討論の対象になるような質問ですねー。もしかして、確信犯ですか(笑)  あ、私も確信犯ですよね。分かっていながら、議論を吹っかけるような書き込みをしちゃったんですから。でもまさか、引っかかる人がいるとは思わなかったもので。noujiiさんにはご迷惑をおかけしました。m(__)m ------------------------  原点に返りますが、偽善とは、その字のとおり「善」であると「偽」ることですよね。これ以外の解釈を主観で加えると、いろいろな解釈が出てくると思うんです。  ですから、シンプルに「外面的には善い行為に見えても、それが本心や良心からではなく、虚栄心や利己心などから行われること」を指していると考えればいいと思うんです。  そう考えると、 ・「粗品進呈」で、お年寄りを新聞チラシで集めて、結局、何かを買わせるような商法 ・笑顔の店員さんも、福祉・医療関係の人 も、偽善ではないですね。これは、「善い行為」ではなく「仕事」です。  まず、自分のことを「偽善者」だと思う人は、外面的には自分を善と見せかけていても、じつは内面的に悪(「悪」と言うとキツイ言葉になりますが「利己心とか虚栄心」の事です。以下同じです。)であると知っている人なんですね。  ですから、「偽善」とは、自己の悪の自覚を含む、すぐれて主観的な事柄であると言うのが本来の考え方だと思うんです。つまり、人の心の中は他人には分かりませんから、人から「それは偽善だ」と言われる筋合いは無いということです。    一方、noujiiさんもご経験があるようですが、自己ではなく他者を「偽善者」と非難する人もいますよね。この場合、外面的には善と見せかけているが、その他者の内面の悪を見抜いてしまっていると言うことになりますよね。しかし他者の内面というのは外から簡単に分かるものではありませんから、その他者の中に悪を推定しているだけで、善行に対して猜疑心を向けているにすぎないことが多いと思います。  人から見れば明らかに「偽善」と思われるようなことをしている人がいても、本人に悪の自覚がなければ、いくら「それは偽善だ」とその人に言ってみても、議論は噛み合わないでしょう。何しろ本人は、悪の自覚が無いんですから。  一番たちが悪い、「偽善」の使い方もあります。  よい事をした人に対するを非難する時に発せられる「偽善だ」の声の中で、内面的な悪を問題にするのではなく、人から突出した行為への嫉妬から発せられる場合ですね。つまり、自分では結局は何もできないでいる人たちが、目立った行いをする人を「偽善者」だと嘲笑することです。  ボランティア活動などは常にこうした困難に直面しますが、常に自分の行為の及ぼす影響に留意してなされる行為は、主観的な善悪の次元を超越(つまり「利己心や虚栄心」があろうがなかろうが)したものになりうると思います。    と言う事で、 ・今は、ボランティアとは「人に(楽しかった)と思ってもらえるような能力を磨く趣味」と考えています。 もありと言う事だと私は思いますよ。  では(^^)/~~~

noujii
質問者

お礼

話題が広がってしまったのは、私の回答・補足文のせいかもしれません。 個人的には、もっと討論できるような場でも良いのでは?とも思っています。他者の意見を著しく止めた方がいいアドバイスと思わない限り、他の回答についての意見はしないようにしています。 (補足はストップするキッカケになればと。) 今回、寄せていただいたご意見は、全て参考になっています。 ありがとうございます。

  • Bouquet12
  • ベストアンサー率42% (84/196)
回答No.22

なかなか奥深い言葉ですよね、偽善。 質問者さんが「偽善」とお友達から言われる時は「きれいごと」を述べた時とおっしゃっていますが、それを言い出すと「全て偽善」になりますね、確かに。 「偽善」と言われれば誰もが気分は悪いですし、ちょっと腹が立つのも当然です。 私は「偽善」というのは、内面の心持ち、「善」というのは行動、であると考えています。 その面から見ると、人間というのは、皆偽善者であるのかもしれません。あなたに「偽善」と言い放つ人も立派な偽善者ですし、あなたも、そして私も偽善者と言われればそうなのだと思います。だって、人はうわべを取り除いて本性のみで言動を発していたら、人間関係など成り立たないからです。 人間は両面の顔を持ちます。 人の為に尽くしたい、という気持ちに偽りはなくても、やはり何らかの計算が必ず入るものです。人から善く思われたい気持ち、見返りを期待する気持ち、どんな小さな行為にも働くものです。そしてその「気持ち」が偽善と言われるのでしょう。 けれども、私は「偽善も善の一種、善は偽善の一種」と思っています。 下心があっても、何か行動を起こして役に立てばそれは善なのです。 内面での葛藤や欲求など本人の気持ちなぞ関係なく、本心では善の行為によって自らが恩恵を受ける事を下心に持っていても、自分の自腹を切り、自分自身の時間を差し出す事で相手が喜んでくれれば、やはり善だと私は思います。 人間である以上、誰もが偽善者です。 けれども、何もしない人より何か行動をする人を何もしないで見ているだけの人が非難する資格はありません。 動機や下心なんて関係なく、誰かの為に自分の体と時間、時には金銭を差し出す行動そのものは、偽善ではなく、それは善であると私は考えます。

noujii
質問者

お礼

大変参考になりました!ありがとうございます。

noname#9014
noname#9014
回答No.21

本当にすみません。心からすみません。 が、だいぶ議論になってしまい、こんがらがってしまったので、私の見解をまとめておきたいと思います。 本当にこれで最後にします^^ ・「偽善」という言葉はどういう時に使うか? (1)言葉の使い方は人それぞれなので、結局は本人に聞いてみないとわからない (2)その事をふまえた上で、辞書的な意味での「偽善」という意味を考えれば「全て偽善」と言う事は限りなく不可能に近い。(本心からでない、うわべだけのものが偽善だとすれば、本心からでさえあれば動機不純だろうが何だろうが偽善じゃないですよね?) ・ボランティアは偽善か? (1)必ずしも「偽善」とは限らない。本心からやっている人もいる (2)「偽善」である場合もあるかもしれないが、純粋な意味での「ボランティア」なら偽善ではない(と私は思う) (3)「偽善」である人たちがいたとしても、noujiiさんがそうでないのなら、何も問題ない。気にする必要も無い。 何か不明な点があれば聞いてください。その時はお答えします(noujiiさんからの求めがあった場合のみ)。 ご迷惑をおかけして本当にスミマセンでしたm__m それでは。お粗末さまでした^^

noujii
質問者

お礼

自分の活動を「偽善」か否かは、、、ちょっと分らないですね。 質問文や回答文も簡潔にまとめようとすると、思わぬ解釈されたりすることありますよね。 読み手の先入観とか。 ありがとうございます。

回答No.20

 補足ですが、 私の言っている自主性とは、 人とのむすびつきに対して「何かしたい」 という意味での自主性です。  現在では人間関係が商売の取引のように、 何かしてあげることが足し算引き算で 「自分の損」だと思う感性が増えていますが、 (だから「損なのにやってる>偽善だ」 と感じることも多くなるのでしょうが。) 本当は違うのではないのでしょうか。  何か相手を手助けすることで、共生することで、 意味ややりがいを得られる、自分も学べる、 必要としてもらえる、 人との豊かな結びつきを得られる、 (理想としては)お互いにとってプラスになれる。 その「自分からしていこう」という積極性、自主性だから ボランティアとなっているのだと思いますよ。

noujii
質問者

お礼

ありがとうございます。 ほんわか見えてきたような。 PHP研究所の本を読んでるような気分に。。

回答No.19

 質問自体に対しては。 何にでも、「それは偽善だよ」と言う人、 その人が…なんらかの裏切られた傷を負っていたり、 自分が善意で行うことができなかったりと 屈折してることだと思いますね。  私は、偽善というのは、相手を裏切る、傷つけるのが 目的だけれど、それを善意のようにして行う、 そのようなもの意外は、そう言うのは難しいと思うのです。 もちろん相手に迷惑はかけてはいけないけれども、 結果が出なくても、その人なりの善意でしかなくても、 向上の余地が多分にあっても、 その人なりの想いは大切にするべきものだと思いますよ。  ボランティアという言葉についてですが、 語源的にはラテン語の自主性という意味から来ています。 本質としても、 奉仕や善意より「自主性」でいいのではないか、 と私は思いますよ。 自分がやりたいからやるので、自分に責任があるし、 だから、相手に報酬を求めないというもの。 創造性がある、活気が出る、人をむすびつける。 元々、近所の掃除をする、近所の子どもの面倒を見る、 血が繋がって無くても、お年よりに配慮する介護する、 イベントを起こす、病人を見舞う。 昔は共同体として普通にやっていたものが やられなくなった現在の日本、 あえて西洋の概念のボランティアと意識してやられている。 そのようなことだと思いますよ。

noname#9014
noname#9014
回答No.18

国語の辞書に載ってる「意味」というのはわりかし一般的な「意味」だと思っていたのですが、もしかして違っているのでしょうか^^ 私はそういうつもりで言ったのです。

noujii
質問者

補足

前にある質問をしたらカキコんだ質問文・お礼文から「討論を目的とした場ではない。」との事で、管理者様に質問回答全て削除されたことがあります。 (でも、締め切りまで待ってから削除してくれたのかなとも思えます。) その後、この場で、意見を交わし合いたい時、すごくあるんですが、その辺、注意してます。

  • o24hi
  • ベストアンサー率36% (2961/8168)
回答No.17

 暇人ですいません。続きです。  仕事の関係で色々な相談を受ける部署にいたことがあります。たまに、ボランティアをしたいから、どこへ申し込んで、どんな事をしたらいいかと聞いてくる方が、時々いらっしゃるんですねー。  その心根はいいと思うんですが、自分で何をするのか決められずに、何のボランティアをしたらいいのか聞くと言うのは、何か本末転倒のような気がしましたね。ボランティアをするのに、自分の汗をかかず(自分で探さず)人の手を煩わす(人に捜してもらう)ということですから。   ======================= (おまけ)  えーっと、と言うことで結論は、辞書によって同じ言葉でも解釈が微妙に違う、つまり、編集者の主観も入るわけですから、「国語の辞書でも引いてみてください。」ということは、意味が無いということなんですねー。はい。

noname#9014
noname#9014
回答No.16

>自発的にある事業に参加する人。特に、社会事業活動に無報酬で参加する人。 一般的に、日本語で「ボランティア」というと後者の方を指すんだと思います。「自発的にある事業に参加する人。」と言う意味でも使うけど、一般的には後者の意味で使われる事の方が多いんじゃないでしょうか?だから「特に、~」と書いているわけですよね? 「有償ボランティア」という言葉はあっても、「ボランティア」の意味自体はそれ程変わっていないと思います。一般的には(全部が全部という意味ではありません)。 ちなみにこんなサイトもあったので参考にしてください。 ちなみに私の辞書には ボランティア:「自ら進んで社会事業などに無償で参加する人」 助ける:「(2)力を添える、助力する」「(6)ある物事や状態を促進する」 と書いてありました(以上、『広辞苑』より引用、一部省略) 私は「見下す」ようなニュアンスは入れておらず、「互助」「補助」等の言葉に代表されるような、対等な立場から「助ける」という言葉を使ったのだと言いたかったのです。そういう使い方は一般的にも可能なはずです。

参考URL:
http://www.geocities.jp/toto2000bbc/sub06.htm
  • o24hi
  • ベストアンサー率36% (2961/8168)
回答No.15

 私も何度もすいません。  すぐに返事がもらえる質問者さんですと、何となく書きたくなっちゃうんですよねー。  毎朝、駅の裏の道で、もくもくとゴミ拾いの清掃をしているおじさんがいるんです。  夏場は、朝から額に汗して雑草の草刈もされてるんです。  誰に褒められる訳でもなく、褒められたくも思わず、たんたんと自分のやりたい事をやって、その結果人に感謝される。これがボランティアなんでしょうねー。頭が下がります。 ======================= (おまけ)すいません、又余計な事書いちゃいます。 >試しに国語の辞書でも引いてみてください。  引いてみました。 ・ボランティア  自発的にある事業に参加する人。特に、社会事業活動に無報酬で参加する人。篤志奉仕家。  自発的にある事業に参加する人。んー。無償・有償より、自発的であるか無いかにまずポイントがあるみたいですね。何となく私の考え方のような気がするんですが。私だけ?  公平を期するため、「助ける」も引いてみました。 ・助ける 1 力を貸して、危険な状態から逃れさせる。救助する。「おぼれている子を―・ける」「命を―・ける」 2 経済的に困っている人などに金品を与えて苦しみ・負担を軽くする。救済する。「被災者を―・ける」 (以下略します。全く別の意味で使う例ですので。)  互助とか補助とかそういう「補い合う」と言う意味は無いですね。  ちゃんと両方とも辞書を引いてみましょう。前者は辞書の意味に忠実に、後者は辞書の意味を自分流に解釈というのは、自己矛盾では?  

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