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教育とは?マル、バツ式、丸暗記式のままで、いいんでいようか?。

教育再生会議が、発足致しました。 社会には、想像力、リーダーシップ、包容力等のある方が、リーダーになるのが、望ましいと思います。明治以降、マルバツ式、丸暗記式の教育がなされて来ました。これでは、記憶力のある方のみがリーダー、官僚等になる可能性が多くなり、結果が、今現在の日本の姿だと思います。 今後、このままの教育の有り方でいいんでしょうか?。お教え下さい。

質問者が選んだベストアンサー

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  • lastgame
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回答No.1

想像力というよりは"考える力"を養うことが重要であると思います。 要は答えの無い問いにブレーンストーミングのような形で意見を言い合うトレーニングを、 幼い頃からするべきではないでしょうか。 確かに知識や経験も、考える力の礎になりますが、今までは暗記ありきで、 何よりも暗記力が物を言う教育であったと感じます。 かく言う自分も詰め込み型の勉強で育ってきた者ですが、 自分オリジナルの意見が持てない、人の意見をかいつまんで 模倣した意見しか言えないようになっていました。 是非若い世代には"考える力"を養う教育を受けて欲しいと思います。 ただ考えるとは何か・・・といった哲学的な領域に踏み込んだりすると 厄介ですが・・・。

gange
質問者

補足

確かに、想像力は‘考える力‘の方が適切だと思います。 愚民政策とは、よく聞く言葉ですし、反面、日本は教育レベルが高いとも言われるし、戦後日本人は子供だとも言われたし、官僚は、国のお金の分捕り合戦の様で、国を作ると言うよりも、潰している感じで、一番大事な所が見えてない様です。 考える授業、考えるテストを増やすと言う事ですか?。 有難うございました。

その他の回答 (3)

  • pluto002
  • ベストアンサー率22% (73/331)
回答No.4

中央集権では詰め込み教育が最善ということであると思います。ゆとり教育の理念はまさにご質問者さんの言うような事を実現しようとするものでしたが、ゆとり教育がいつの魔にやらなまけ教育に変わってしまって、最終的には平均点が等の学力低下に繋がっているという批判の下に詰め込み教育に逆戻りとなっていったのは明治期も平成期も同じでした。 道州制や地方分権が進められる事や現在の教育改革と共に新たな教育方法を模索しているのが現在と捕らえるべき状況だと思います。 しかし詰め込み教育はその成果を世界各国でも認められ、取り入れられていっているほど、それなりの成果を収めたという部分は一定の評価する必要はあると思います。しかし同時に、その弊害もあちらこちらで見られる状況であり是正が必要であるという状況である事も厳然たる事実ですね。 これまでのような何でもかんでもではなく、読み書き計算の基本的な部分は徹底した詰め込み教育をするべきだと思います。少なくともこれまでの教育では何でもかんでも詰め込むような傾向が強く、落ちこぼれた子供はそのままほったらかして次へ進んでいってしまうというつまらないお受験競争が教育の軸になっていましたから、まずはここを何と貸すべきでしょう。

gange
質問者

補足

受験競争、一つは大学がどうゆう人間を、学生を取りたいかと言う事、どうゆう学生を主席で卒業させたいかと言う視点があると思います。 高得点のキャリア組みがノンキャリアを、イビリ、イジメて出る杭を打つ様な事が社会全体であり、大きく国力を削いでる面があります。 それと、想像力と申しましたが、個性がある人とか芸術家が、日本では認められなくて、外国で認められて、初めて日本でも認められると言う事が少なくありません。評価基準も問題もあると思います。(いわゆる金太郎アメを好む国問題) 有難うございました。

  • gootttt
  • ベストアンサー率61% (191/309)
回答No.3

『想像力、リーダーシップ、包容力』というのはどうやれば身に付くものなのでしょうか? 自分はそういう能力は基礎をしっかり身に付けさせればその中から勝手に出てくるものだと思います。 国家が国民の全てをそういう人間に育てようとする事の方が問題なのではないでしょうか? また頭を使う仕事をするならば、暗記する能力というのは絶対に必要です。年表を覚えることそのものは社会に出て役に立つ事はなくても、仕事に必要な事を学ぶときに学生時代の暗記の経験が、暗記のトレーニングとしていきるのです。アメリカの士官学校では士官候補生は朝起きて、まずすることが一日の食事のメニューの暗記です。食事のメニューよりは歴史の年号の方がまだ覚え甲斐があるでしょう。 華麗なプレイを見せるプロ野球選手やサッカー選手も、基礎的なトレーニングをしているからこそああいうプレーが出来るのです。 暗記や数学の方程式なんて社会に出ても使わないなどと言う人は、素振りやノックなど実際の試合では使わないといっているのと同じです。

gange
質問者

補足

基礎と言うと、こないだ、江戸時代の寺小屋の教科書で往頼帖と言うのをやってました。社会(職場)での心構えのみを教えるそうです。 有難うございました。

  • kunmie
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回答No.2

 何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。暗記しなければならないこともありますし,考える力を養うことも必要でしょう。バランスが大事です。上級公務員試験や偏差値の高そうな大学の入試問題は,丸暗記しただけではとても解けそうもありません。記憶力のある方のみが官僚やリーダーになっているとは思えません。  問題なのは,一人一人の心ではないでしょうか。人々が住みやすい世の中を作ろうという志が大事なのだと思います。人の心は,教えるものではありません。世の中がそんな志を持った人間を育てていくものだと思います。自分さえよければ,それでいいなんていう官僚やリーダーが増えてきているような気がします。それは,私たち日本人一人一人の気持ちが映されているような気がしてなりません。  自分の子どものことしか考えず,教育委員会に抗議する親,事なかれ主義で保身に走る教師,子どもは大人の鏡です。教育再生会議なんて,私はちょっと違うんじゃないのと思ってしまいます。

gange
質問者

補足

一人一人の心の問題、家庭教育と言うか、親が立派な背中を見せるとか、大人とか社会が、もっと自然を守るとか、・・・ コンクリートばっかりじゃあねえ!。 教育再生会議の先生方、もう一度教育を受け直して下さいと言うことでしょうか?。有難うございました。

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