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短調など、悲しい曲はなぜ悲しいのか
心理学か音楽かとも思ったのですが、理系的な解釈が欲しくてこのカテゴリに質問します。よろしくお願いします。 悲しい曲はなぜ悲しいのでしょうか。 暗い絵がなぜ暗いのかは、何となく分かります。素人の私の勝手な解釈では、人間は昼行性の生物で季節とともに生きてきたので、動物に襲われる「夜」、食物の得にくい「冬」、あるいは「病気」・「死」などを連想させる主題、構図、色使いなどに、悲しさや暗さを感じるのではないでしょうか。逆に鮮やかな色使いは、花が咲き、実がなり、暖かな、春・夏・秋・昼・命を連想させるので明るく感じるのではないでしょうか。 でも、「音」はどうなのでしょうか。 ゆっくりとしたリズムは、副交感神経に作用して気持ちを沈静させるのかなあとも思うのですが、でも、和音とかメロディーラインとかの明るい・悲しいが今一つよく分かりません。 ・小さい頃にテレビなどで悲しい場面に短調の曲が流れていたので、そのような曲に悲しいイメージを持つようになった。すなわち「すりこみ」である。 ・たまたま、そのような周波数成分の音が、脳の悲しさをつかさどる部分に生理的・物理的に作用してしまう性質がある。 ・ヒトの泣き声、あるいはイヌなどの「クゥウーン」という悲しみや危険を伝える声とマイナーコードの周波数成分が似ている。 などを考えたのですが、どれも思いつきで、学問的な基礎のない私には自信がありません。どなたか研究者の方など、説明していただけませんか。研究者以外の方でもいろいろ意見やお考えを頂けたら幸いです。
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まず短調、長調の違いをはっきりさせるべきではないでしょうか。 12平均律では、オクターブ(周波数が倍になる間隔)中に12の音が均等分布しています。つまり、ある音よりひとつ高い隣の音は、周波数で見れば12乗根倍の周波数を持っているということになります。 その12音のうちの7つから(ドからシのような)音階が作られます。1オクターブ上の基音を入れて8つの音、その相互間の「距離」が長短を分けるのです。 長音階では、基音から順に次の音までの「距離」が、次のように表されます。 全・全・半・全・全・全・半 (半:直前の音の周波数に対して「2の12乗根」を乗じる 全:直前の音の周波数に対して「2の12乗根倍」の2乗を乗じる) 一方で短音階の場合には、 全・半・全・全・半・全・全 となります。 このような各音の間の関係は、いわば「構造」として変化しません。 基音から見て第3音までの「距離」が、長音階では「全・全」なのに対して、短音階は「全・半」と短くなっています。一般にはこの「欠落感、不足感」が短音階の「憂愁感」を生み出すものと解釈されています。 こういった音階の長短から受けるイメージが、文化に根ざすいわゆる「刷りこみ」なのかどうか、という問題ですが、必ずしもそうは言えないのではないでしょうか。 「刷りこみ」は次世代にその感覚(エートス)が受け継がれる理由にはなっても、「なぜそもそも短調が悲しい時、長調が楽しい時に使われるようになったのか」を説明していないからです。つまり世代間の継続を仮に説明できても、その起源、なぜそうなったのかという蓋然性とは無関係でしょう。 音の「高い・低い」という言葉と、(山などが物理的に)「高い・低い」という言葉は、多くの言語で共用されているそうです。山が高いことと音が高いことには実質的に何ら因果関係はないのですが、日本語やラテン系の言語を始め、世界の多くで共通しているということは、音の高低の認識イメージにある程度普遍なものがあることをうかがわせます。 また、メロディ理論の基礎で、音が「低→高」とつながると緊張感をもたらし、「高→低」となると緩和されますが、これは比較的世界的に一般の感覚だそうです。高い音は周波数が高い、つまりより高エネルギーであるわけで、自己の生命維持にとっていろいろな意味で有意な存在に対し、動物としての人間の反応が「緊張」を示すということはむしろ自然な反応ではないでしょうか。 一方、刷りこみ理論の例証として、子供たちの長短の音階に対する反応を調べる実験はよく知られていますが、常に信用性の問題が残ります。というのも、幼児は基本的に快・不快という原初的かつ個人的な情緒は発達が早いけれども、嬉しい・楽しい、悲しい・不安という、ある程度社会性を持つ感情はやや遅れて発達するからで、その感情を有するということ自体、ある文化の影響下にあることに他ならないからです。 逆に、例えば幼児向けのいろいろな音楽教室で、長短を理解させるために「ちょうちょ」など簡単な長調の歌をわざと短調にして子供に聞かせたり(あるいはその逆を)すると、一様に「死にそうなちょうちょ」「暗いちょうちょ」といった反応を幼児が示すそうです。 何百年も前の西洋音楽を聴いて、現代の日本人である私達がその意図に共感できることを考えても、ある程度長短のイメージは普遍的な部分があるのではないでしょうか、というのが私の考えです。 (全く素人なのにもかかわらず長くなって恐縮しております)
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- triones
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下記の回答者です。ちょっと勘違いが1カ所ありました。すいません。 > 参加する和音ですが、たとえば「ドミソ+シ・フラット」は、ト長調の > 「属7の和音」で、4:5:6系の次に多用されます。 フラットのついたト長調? ・・な訳はありません。ヘ長調の間違いです。 すんません。
お礼
ご丁寧な回答、大変ありがとうございます。 楽典?とか音楽理論は全く詳しくないので、大変参考になりました。 数学的にもスッキリしていますよね。 単純な周波数比だと気持ちよく聞こえるということですよね。 これが少しくずれると、不安・悲しいといった感覚になるのでしょうか。 さらに興味が深まります。
- triones
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このことは、私も昔から不思議に思っていました。 はなから、答えになっておらず、すいません。 ただ、長調の方は昔、倍音列の説明を聞いたことがあります。 低い「ド」の音の、2倍、3倍・・・の周波数の音は、 (下から読んでね) ↑ ド(8倍音) ↑ シフラット(7倍音) ↑ ソ(6倍音) << ↑ ミ(5倍音) << ↑ ド(4倍音) << ↑ ソ(3倍音) ↑ ド(2倍音) ↑ ド(元の音1倍音) という具合になっているので、ドミソは周波数比 4:5:6 です。 このくらいの複雑さ、簡単さの周波数比が人間が聞くには適当なようです。 上記比率のうち、素数「5」の「ミ」が重要で、これがなければ ドソは、4:6=2:3 とより簡単な関係になります。 これでは、人間が聞くにはちょっと単純すぎて、つまりません。 和声学上、第3音(長調の場合ミ)の省略が禁忌とされる所以ですが、 例の型破りが好きなベートーベンの第九の冒頭は(短調ですが)これです。 4:5:6より複雑な関係比の和音は、複雑すぎて音が濁って聞こえます。 このような中で、もう少し複雑なのは次の素数「7:シ・フラット」が 参加する和音ですが、たとえば「ドミソ+シ・フラット」は、ト長調の 「属7の和音」で、4:5:6系の次に多用されます。 (・・なぁんてやってると平均率と純正率の違いが目前ですが、また別の機会に) どの程度の周波数比が「程良い複雑さ」かは、時代によって異なるようです。 音程の違う音を同時に鳴らす、つまり和音をつくる、ってことのの起源は、 音域の違う人同士、たとえば男女、大人と子供が一緒に歌を歌う、といった ケースのようですが、最初は容易に想像がつくように、オクターブ上下で 歌います(今も、素人はだいたいそうですよね)。周波数比1:2。 もうちょっと芸がこむと5度(ドーソの関係)ずらして、歌うと オクターブの時より格段に変化がついておもしろい。周波数比2:3。 さらに3度・・・周波数比4:5:6系。 ・ ・ ・ と、理系でも大変納得のいきそうな説明の後に、 「で、この第3音(ミ)を半音下げると短調になります。」 と、今までの説明がぼろぼろと崩れるような話を聞かされ、大変理不尽に 思ったことがあります。 「あの、一見合理的、壮麗な体系は、なんやってん!!」 これ、大げさに言うと私も心のトゲだったりします。 誰か、短調をちゃんと説明してぇ~。
- Saera
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「すりこみ」だそうですよ。 とある学者が、幼児に様々な曲を聞かせて、その曲から受けるイメージを調査したところ、長調と短調でうけるイメージに違いはない=先天的なものではなく後天的なものである、との結果が出たそうです。 初めて聴く曲でも泣いてしまうことがあるのも、過去の経験によるものとのことでした。(以前、悲しい思いをしたときにかかっていた曲と似ているとか、自分の中にある「悲しい曲」のイメージと一致したとか) 以上、先日フジ系列で放送された「音楽狂時代 第4夜」からの受け売りでした。
お礼
ご回答いただき、大変ありがとうございます。 「すりこみ」というのは、考えた私自身、半信半疑なところがありましたが、 かなり可能性が高そうですね。 でも、「短調を悲しいとすりこまれた」ヒトが、 成長して映像や演劇のような仕事に就いて、そのような傾向を拡大再生産していく とすれば、「一番最初に短調を悲しい場面で使った」ヤツは誰なのでしょうか。 もしそいつが、その時、たまたま長調を悲しい場面で使っていたら、 今頃みんな長調の曲を聴いて涙を流すようになってしまったのでしょうか。 考えてみると不思議な気がして、逆にナゾは深まったりもします。
素人です。すいません。質問の考えで2番目が一番「当たり」に近いと思うのですが、(すいません。私も回答は出来ません。ただ、よくこういう事は考えてます) (1) 文化・環境的素因:これがかなり大きいでしょう。よくフィールド・ワークで「アフリカ文化」の土壌で育った人は、短調などに一切反応しません。人間の感覚器官でみると、「嗅覚が先で、次に聴覚、そして視覚」が進化順。視覚に異常に重点を置いて、フルに活かした結果が人でしょう。アフリカ音楽(彼らは、音楽とは『考えてない・生活と不可分』では、「まず、はじめにリズムありき」でクラシック理論でも奇妙に共通してます。また、J・ケージのピアノ作品は、ピアニストがピアノに一切触れず音を出さない事で、問題提起をしました。(今となっては陳腐化し、3楽章あるのもクサイ感じですが)決して「全くの無音、沈黙」を否定したのが、故武満氏です。「一切音の無い状況で、耳を完全に遮断しても残るざるを得ない音がある。それは、心音など自己身体の活動音だ。」) この説は結構多方面にあり、母親が子供を抱く時「心臓が子供の頭の位置に来る向き」を自然に取る。心音が子供の脳に一定の「何か」を伝えるという説。 脳内に、「メトロノームがあるか?」に回答は無いはず。物理学者のファイアマンが「人はなにを基準に時間を感じてるのか?」と天才らしく「心臓ではと推測し、階段を駆け上り鼓動を上げたり」試してます。結論は「心臓」では無いで、そこから一歩も解明が進歩はしてません。 リズムに比べ「音の高低」は結論出済み。脳内に聴覚神経に「ピアノの鍵盤状に対応神経が存在する」という事実。そして、「左右の聴覚神経の末端ではズレがあり感知した音の到達に時間差があり音の発信源をステレオ的に知り得る事」なども解剖学的に事実で「左右の時間差」はフクロウなどでは特に顕著です。では「ホモ・サピエンス」に共通の聴覚神経システムで「何故、感情差が出るか?」 結局元に戻りました。何も答えてませんが、「成長過程の影響」が重要な存在だという事は認めていいのでは? そして全くの私的推測ですが「地殻表層部の周波数=7,3~4kHz位の(忘れた)低周波の存在」が関連してるのでは?と最近思い付きました。「シューマンが発見した、地殻表層部の上記の振動数」は、人間の可聴帯域以下ですが「ステレオ」なる雑誌のオーディオマニアが部屋の天井から「発泡スチロール」の数十センチの固まりを幾つもぶら下げて、シューマン共振を中和してくれる。確かに効果があると取材記者の文章を見て思い付いたのですが… あと、最近LPがブームで可聴音域を「理論上」外れてるが、「実感として音域・音質が豊かに聴こえる」事は、個人的にも感じます。(CD比較でより顕著、パソコンハードに落として保存の夢は、この事実で崩壊しました) 質問文の「悲しみや危険を伝える声とマイナーコードの周波数成分が似てる」説に可能性を感じますが、実験出来ない難点が…(G・GOULDってピアニストが若い頃のビデオ中で『赤ちゃんに、純粋な12音楽派・無調音楽のみ聴かせて育てたら、6才過ぎに口から自然に出る歌声はやはり12音学派の無調音楽のメロディだろうか?』と評論家相手に話すのが印象に残ってます。(グールドはカリスマで音楽を「物理的意味の音」として考慮出来た唯一のクラシックのプロでした。掃除機の中で引いたハイドンの思い出や奇人変人としてのエピソードも今世紀No.1でしょう。勿論作品も。) 結論:短調と感情の結びつきには、文化・生育環境が鍵を握る。よって人間の種に共通のものでは無い。解剖学的に言えば、リズムが世界中に共通する楽論でしょう。ただ、一定環境の人間に、同様の感情を喚起させるのも事実である。環境とある程度無関係なこの結びつきを説明し得る「方程式」は解けない! P.S.文系から理系にばけた立場から言えば「心理学」とは、学問ではありません。また「社会科学」と理系的意味合いの「科学」に媚びる分野は全て「学問」では無い。 フロイト・ユングは私小説作家。ケインズら経済学者は、仮想空間で通用する理論家(経済ゲームならチャンピオンだろう!)新聞に登場する「社会学者」の胡散臭い事、彼らと「文化人類学」(フィールドワークでケーススタディする本当の学者)を混同してはダメ。心理学を頼るなら「生理学者」「神経学者」「解剖学者」「行動生物学者」に!(科学にすりより、お墨付きを貰うのが社会科学系の学問。科学以外の範疇を扱うのが文化系学問だろう、それさえ理解出来ない彼らは「所謂科学馬鹿」より、ズーッと格が低く下品で「頭が悪い」とは彼らの定義と同等である。 すいません。脱線しすぎました。ただ、エセ科学=心理学を宣伝したかったのです。
お礼
回答していただき、大変ありがとうございます。 音楽やその他について、大変お詳しく、とても興味深い話を読ませていただき、 大変参考になりました。 >「アフリカ文化」の土壌で育った人は、短調などに一切反応しません。 これは、大きなポイントですね。やはり「すみこみ」なのでしょうか。 >エセ科学=心理学 大学の教養(今はない言葉?歳がバレますね)の時に、心理学の講義を受け、 (被験者になって、ある音を聞いた後電気ショックを受け、その時の手のひらの 汗の出具合を電気伝導度で測って・・・というパブロフのイヌのような実験も したりした) 充分に科学的だなあ、と思ったものでしたが・・・ 私自身も、いわゆる「心理学」よりも、「生理学」・「解剖学」的な回答を 期待して質問を投稿した次第ですが。 Bareninnoさん、かつて文系人間に理不尽な扱いを受けたことがお有りですか。 だいぶ「脱線」の部分の語調が激しいのでそう感じてしまいました。 でもかなり共感しています。私も、「自然科学的な事実と理論」に基づかない 話には、胡散臭さを感じる人間ですので。
お礼
いえいえ、たくさん書いていただいて、私の方こそ恐縮しております。 大変ありがとうございます。 「ちょうちょ」の話は、なるほどと思いました。 ある程度は、(たんなるすりこみだけでは説明できない) 短調のもつ本質的な問題がありそうですね。 私が本来嫌いな、胡散臭い・思いつきの話で恐縮ですが、 我々は、同じ人間として日常会話の中で知らず知らず 話し相手の声の基本周波数と調和した高さの声で 話していませんかねえ。(ホントか???) 「健康な」ハーモニーは、全・全なのに対して、 若干それを下げることにより、 「オレは病気なんだ」「オレは悲しいんだ」というシグナルを送っているのでは。 とすれば、そのような周波数構成が、寂寥感・憂愁感をもたらしても 納得しちゃいますが・・・
補足
こんばんは。 回答をお寄せいただいた皆様に、この場をお借りして一言お礼申し上げます。 短調がなぜ悲しいのか、という私の疑問に対して、「すり込み説」と「NOTすり込み説」の大きく2つの意見が寄せられ、それらはそれなりにもっともらしいものでした。もうすこし議論を深めたい気もするのですが、最近のこのサイトは新規の投稿(?)がすごく多くて、しばらく時間が経つと大変な「昔のページ」に行ってしまいます。管理者からのメールも頂きましたし、ここはひとまず質問を締め切らせて頂いて、自分でももう少し考えてみることにします。もしまた同じ様な質問をしたときには、またお付き合いいただければ幸いです。 ポイントは、全くの主観です。皆様平等に差し上げたいのですがそういうわけにもいかないようですので。ポイントをどなたにも付けないというのも失礼になると思いますので。回答いただいたすべての皆様に感謝申し上げます。 ありがとうございました。ではまた。