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中仙道について

こんにちは 今NHKで京都から日本橋まで中仙道を歩くという番組をやっていて興味をもったんですが、 中仙道って下諏訪から軽井沢を通っているんですね。 甲府から八王子に抜ける道とばっかり誤解していました。 ここで疑問なんですが、塩尻あたりから、江戸に行く時、 冬は寒いし、険しい山道を通って、わざわざ軽井沢方面に行ったんでしょうか? 甲州街道より、中仙道の方がメインだったんでしょうか? それとも意外と甲州街道の方がきつかったんでしょうか? 政治的な理由などなんでしょうか?

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  • ベストアンサー
  • buchi-dog
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回答No.4

東海道ですが、東京23区に入るまででも、途中に 「尾張・美濃・伊勢国境の湿地帯」 「天竜川や大井川などの大河」 「静岡県から神奈川県にかけての険しい地形」 の3つの障害があります。 「尾張・美濃・伊勢国境の湿地帯」 陸上は通行困難なので尾張の熱田から伊勢の桑名までは海上を船で渡る。羅針盤も竜骨もない江戸時代の外洋船は安全性が低く、海が穏やかでないと通行できない。紀伊藩主が時化を押して桑名から熱田へ渡海しようとし大変な目に遭ったという話もあります。 この地域の治水が充実して陸上を愛知県→岐阜県→滋賀県と通行できるようになったのは明治に入ってからのことです。 「天竜川や大井川などの大河」 明治時代以前は、こうした大河への架橋は軍事的理由より技術的理由で困難であった。水量が少なければ川を歩いて渡れるが、増水すれば渡河不能。川を船で渡るのも不可能。海の難所である遠州灘を船で渡るのは全く不可能。 「静岡県から神奈川県にかけての険しい地形」 「箱根の山は天下の険」と歌われたことはご存知ですね。長く険しい峠道です。 さらに、静岡県内の薩た峠は、海沿いの険しい道を荒波に攫われる危険を冒して通るしかなく、箱根峠以上の難所とされていたようです。現在の東名高速は、海の上に張り出す形で道路を通しています。江戸時代には想像も付かないことです。http://www2s.biglobe.ne.jp/~ja1klb/tabi/kaidou/satta2.html 江戸時代中期に、薩た峠の辺りでは山の中を切り開いて安全な新道を通したそうですが、箱根峠に負けない険しい山道であったでしょう。 http://doraku.asahi.com/earth/japan/hiroshige/060824.html 同じく静岡県内の宇津ノ谷峠も難所でした。現在の東名高速はこの付近では長大な日本坂トンネルを通しています。 というように、東海道が安全かつ容易に通行できるようになるには、ヨーロッパから土木技術と鉄道技術を導入した明治時代になってからのことです。 中山道が、土木技術が未熟な江戸時代以前の人にとって一番頼りになる道であったということがお分かり頂けたでしょうか。中山道は、山の中ではあっても道はそれほど険しくなく、架橋できない大河も、荒波の寄せる海岸の絶壁も、大河が蛇行氾濫する湿地帯もありません。 関ヶ原の合戦の際に、家康の率いる先鋒軍は東海道を、秀忠の率いる徳川主力軍は中山道を通って上方へ向かっています。これも、「中山道のほうがメインルート」だったことを示すものでしょう。

hwy101
質問者

お礼

東海道は、いくつも難所があったんですね。よくわかる説明でした。ありがとうございます。

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その他の回答 (3)

  • torauma
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回答No.3

>どれくらい、きつそうなのか体験して見たい 体験できるというのが羨ましいので、回答参加します 一般道利用した場合: 中仙道の場合ですが、実は私は諏訪-東京を移動する際にバイクを使用して和田峠と碓氷峠を越えた事があります(朝から好天気の日でした)。 和田峠のバイク走行は疲れた記憶がありません。 登りでゆっくり走ったせいか楽しかったですよ。 碓氷峠は面倒なので休憩を入れてから下りを一気に走り抜けました。 ここは下りタ-ンの連続が単調に続くので疲れた記憶があります。 峠を抜けた時はホットしましたね。 まあ対向車に十分気を付け安全運転して下さいね。 中仙道は、下諏訪・和田・軽井沢・高崎までが山岳道ですよね。 甲州街道は、下諏訪・甲府・大月・八王子まで山岳道になりますよね。 比較すると、中仙道は高崎-江戸が長いけれど山岳道で比べると甲州街道より短いと思います(実際どうかは知りません)。  中仙道の一般道路はきついけれど険しいという程ではありません。 女性バイク乗りでも諏訪-東京移動で十分走行が可能と思います。 一方で、甲州街道の一般道を使用した諏訪-東京移動は・・お奨めしません。 高速道路を使用する場合は、松本-新宿間高速バス(中央道)があってこれを利用すると楽ですよね。 けれど中央高速道を自分で自動車運転すると非常に疲れます。 ましてや下の一般国道は走る気になれず、走った事はありません(なので走行比較した回答ができません)。 ここはやはり高速道路を使うべきルートです。 それとついでに、参考URLですがここの記述に 『幕府の旗本などで大阪勤番の者は、往路は東海道、帰路は中山道を利用する例が多く』とあります。 最大の理由は天候で、東海道は好天気が続いた”時を狙って”江戸-大阪移動するため男性が利用できた道ですよね。 帰りは”さっさと帰りたい”ので天気の影響で足止めを喰わない中仙道を利用したと予想します。 問題は天候です。 特に『雨天時夜や冬の碓氷峠は危険』です。 現代ではこの碓氷峠道路状況の問題があるので甲州街道一般道の方がマシかもしれないと考えさせられるんですよね。 この点は地元周辺の人達が道路事情に詳しいと思います。 それと政治的な理由ですが、江戸時代は幕府の策・軍事的な理由で東海道に橋やトンネルを架ける工事はやらなかったと聞いています(西軍から攻められ難い)。 一方明治維新以後は東海道整備に懸命で中仙道・甲州街道は両方共に整備するための費用・予算(国費)に戦前軍部が否定的であった事があります。

参考URL:
http://www5.big.or.jp/~ejiri/nakasen/about.htm
hwy101
質問者

お礼

今度一度、和田峠を走ってみます。ありがとうございます。

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回答No.2

以前も書いたことがあるのですが 自動車で次のルートを走ってみてください。    中仙道ルート 関越・上信・長野・中央・名神    甲州街道ルート 中央・名神    東海道ルート 東名・名神 中山道ルートが使いやすいし疲れません。私は年3回ほど車で京都に行くのですが大概中仙道ルートです。

hwy101
質問者

お礼

東海道、甲州街道は、自転車、原チャリ、バイク、車で走った事がありますので、 一度、下諏訪から軽井沢方へ、和田峠を走って見て、とれくらい、きつそうなのか 体験して見たいと思います。ありがとうございます。

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  • buchi-dog
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回答No.1

甲州街道は、武蔵と甲斐の間の峠がきつかったようです。甲斐の中でも、甲府周辺と都留周辺の間の峠がこれまたきつかったようです。中山道は、全体としては古い時代から通行しやすかったようです。この時代、関東地方の玄関口は「上野国」でした。名前からも分かりますね。 古代から中世に至るまで、関東と上方の往来は東海道でも勿論甲州街道でもなく中山道がメインルートでした。 現在は日本の最重要幹線である東海道は、 * 静岡県と神奈川県の境あたりで、箱根山が直接海に落ち込む地形であり、古代には通行が難しかった。 * 相模から先、今の東京23区の辺りは大河が蛇行する湿地帯であり、通行も居住も困難であった。東海道から来ると、三浦半島から船で木更津あたりに渡るしかない。「上総国」という名称の由来です。 というわけで、江戸時代に至るまでメインルートにはなり得ませんでした。

hwy101
質問者

お礼

徒歩だと甲州街道の方がきついということですか。 そういわれれば、笹子トンネルなどは、昔はなかったわけですし、 車で走った印象じゃ昔の感覚は理解できないですね。 相模から先が通行困難だったんですか。意外な話で驚きました。 ありがとうございます。

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