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昔の人は甲州街道をどのくらいかけて歩いたのか?
おはようございます。 今、仕事先は新宿で甲州街道の間近です。 ぶらぶらするのが好きなもので、この道の先はどうなっているのだろうと思い、八王子や、相模湖、山梨の笹子、大月、甲府あたりの甲州街道を電車でみにいったりしています。 そこでふと思ったのですが、昔の人たちはこの街道をどのぐらいかけて歩いたものなのかということです。ちょっと難しい質問に感じますが、ご存知の方、あるいはこれぐらいはかかるはずだというご意見をお待ちしています。
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甲州街道と特定する訳ではありませんですが、 昔の人は歩くことは速かったと聞きます。 ある本で武士は日に30里(120km)以上、忍者は40里以上歩けなければ役に立たないと書いてあるものがありました。 小説や演劇などでは歩くことが容易でないことが表現効果に扱っているので照準にならない点があります。 現代スポーツの競歩は10km50分台の記録がありますの 比較で考えてみてください、
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資料が見つかりませんので推定です。 昔の人は現代人より健脚だったことは疑う余地がありません。一方、現代人ほど忙しい生活を送っていなかったと思われるので、昔の人の平均歩行速度を想定するのは難しいですね。(一日に何時間歩くかによって 変わってくる) 甲州街道は約200キロとして、 時速4キロで5時間歩けば一日20キロ→10日間 時速4キロで8時間歩けは→7日間 となりますが、平地、山間部によって変わりますね。又婦女子が加われば遅くなるでしょう。藩命を帯びた 若い武士なら3~4日で走破したかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 >昔の人は現代人より健脚だった そうですね。 1日に何時間歩くか、ということも重要な要素ですね。 特に現代人は、歩く、ということすらなかなかしないですからね。 日ごろから散歩が好きな私でも10キロ近く歩くと"かなり"歩いたように感じます。 あの甲府までの道を歩く・・・そう考えただけでもすごいことです。
- telescope
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平凡社世界大百科事典には 『江戸・甲府間の旅程はほぼ2泊3日』 とあります。 参考URLでは 甲府を通過するのは6日目ですので、昔の人は足が速かったのでしょうね。 ほかにも街道を歩いている人はいるようです。 http://oguri.cside1.jp/mypage1.htm 新宿から青梅街道を青梅をめざして歩いたことがあるのですが、福生あたりでへばってしまいました。 私も、いつか東海道を踏破しようと毎日ウォーキングをしているのですが、いつのことになるのやら。
お礼
回答ありがとうございます。 >昔の人は足が速かったのでしょうね 山道などで、今より歩くことが容易ではないと思うのですが、そうでもなかったのでしょうかねぇ・・・。 >新宿から青梅街道を青梅をめざして 青梅街道も、東海道もいいですね。 私は、川崎~横浜と、ほんの一部分だけですが東海道を歩いたことがありました。 あとは北品川あたりの旧東海道も、昔ながらの商店街がなかなかいいですよ。
お礼
回答ありがとうございます。 >武士は日に30里(120km)以上 これでは太った武士はいなかったんでしょうね。当たり前でしょうが。 歩くのも、新宿から八王子あたりまでは、関東平野なので歩く距離などが一番の課題でしょうが、そこから先は基本的に山道になっていたはずですよね。 今も、高尾から相模湖に抜けるには高速、電車でない限りかなりの坂道ですし、かなり大変な道中であったことが想像できます。 歩くのは容易でなかったはずですよね。