英語の語尾のer、or、arの長音符号を表記するか省略するかは、戦前から議論が分かれていたようです。おそらく明治~大正の頃から様々な表記が行われていたのでしょう。
自然科学・工学系の術語(学術用語)については、戦時中に作成された内閣技術院監修・全国科学技術団体連合会編の『標準用語答申案』は長音符号を省略する方式だったとのことで、長音を省く慣用のある語はその頃に確立したものと思われます。
戦後の第2期国語審議会において、学術用語分科審議会から審議会会長への意見照会に対して以下の回答がなされています。
『原語のつづりの終りのer、or、arなどをかな書きにする場合には長音符号「-」を用いる。ただし、省く慣用のあるものや、これから造る術語では、必ずしもつけなくてよい。』
最終的にこの第2期国語審議会での審議結果は建議にまで至らず下記の「報告」にとどまっています。
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『外来語表記』 昭和29年3月 第20回国語審議会総会 術語表記合同部会報告
外来語表記の原則
16. 原語(特に英語)のつづりの終りの ―er,―or,―arなどをかながきにする場合には,長音符号「ー」を用いる。
ライター(lighter) エレベーター(elevator)
ただし,これを省く慣用のあるものは必ずしもつけなくてよい。
ハンマ(hammer) スリッパ(slipper) ドア(door)
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この「外来語表記の原則」が、その後40年間近く事実上の公的標準となっていました。ただし、文部省の「学術用語」では、長音符号についての全面統一は行われていないはずです。
一般の外来語の表記については、第18期国語審議会で審議され、その答申に基づいて平成3年に正式告示されています。
『外来語の表記』(平成3年内閣告示第2号)
その内容は回答No.5に紹介されている通りです。
ちなみに、内閣告示は一般国民向けの告示、内閣訓令は各行政機関あての実施指示です。告示や訓令の番号は年度毎に1号から始まるので「平成3年」と年度を明示する必要があります。
JIS規格では、「2音の用語は長音符号を付け、3音以上の用語は省くことを“原則”とする」という主旨の規定があります。
ただしその前に、「JIS用語や学術用語に規定されていない用語については」という条件が付いており、すべての用語について統一を義務付けているわけではありません。実際に3音以上で長音符号を付けた用語も使用されていますし、分野によって表記が異なる用語も存在します。
新聞や放送では、前記内閣告示の『外来語の表記』に準拠して、長音符号を付けることを原則としていますが、省く慣用が定着している語は例外扱いになっています。
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『記者ハンドブック 新聞用字用語集 第10版』(共同通信社)
原語(特に英語)の語尾の ―er,―or,―arなどは、
長音符号「ー」で表すのを原則とする。
キャリアー〔保菌者〕 コーディネーター コンピューター バリアー プロバイダー レギュラー
〔例外〕エンジニア キャリア〔経歴など〕 コンテナ トランジスタ ベニヤ(板) ワイヤ
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ということで、
・専門用語はその分野の慣用に基づき長音符号を省く語が多い。
・一般の語や最近の語は長音符号をつけるものが多い。
といえるでしょう。
「コンピュータ(ー)」「プリンタ(ー)」などは、専門分野での慣用と、マスコミの一般向けの表記が異なるケースですが、どちらも間違いとはいえません。
ちなみに、コンピュータ業界ではマニュアルやカタログなどに使用する用語は社内基準を設けて統一しています。(なかにはいい加減なものもあるようですが)
なお、回答No.4の、半角カタカナしか使えなかった時代云々については、ちょっと事実誤認があるかと思われます。
少なくとも、1967年(昭和42年)に制定されたJISコード(当初JIS-C6220、最新はJIS-X0201:1997)には、1バイトのカタカナ長音符号が当初から規定されています。それ以前の主流だったEBCDIKコードにもカタカナ長音符号は存在していたと記憶しています(ごく初期については不明)。
コンピュータ以前のカナテレタイプ時代(6単位テレタイプコードなど)には存在しなかった可能性がありますが、いま手元に資料がないので確認できません。
ついでに、文字の「コード」の問題と、「フォント」「半角・全角」といった字形の問題をごちゃ混ぜに論じているケースを見かけますが、本来はまったく別の概念です。
お礼
丁寧かつ詳細な回答、ありがとうございます。 この問題は、はるか昔から議論になっていたのですね。 長音記号を付けなくなってきたのは、最近の傾向かと思っていました。 いずれにしても、どちらか一方に表記が定まっていない(決められない)のは、この問題の奥の深さを感じます。 大変勉強になりました。ありがとうございました。