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男と女の友情が普遍的なテーマなのはなぜか?
それはセックスという欲望が形としてあまりにも端的に現れているからなのでしょうか? 欲望は男と女にもあるはずです。そして男も女もそのリクツはわかっているはずなのですが、一般論では関係を一度持ってしまうと友人同士にはなれない」といいます。 特に男側の欲望はわかりやすい。女は「逃げる」という武器をもっています。男と女の間で「理論と方法」の壁は常に存在している。・・・ 仮にセックスが介在しないで友人同士でいられてもそんな緊張感の中で関係を保つのは偽善的だとも思えるのですが・・・。 以上は個人的な意見なのですが、カテゴリを越えた様々なアプローチからのご回答をください。
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こんにちわ。既婚の♀です。 >男と女の友情が普遍的なテーマなのはなぜか? 需要が多くて供給が少ないからですかねえ。 男女の友情がごく自然に成立するのは、生殖機能が発達するまで(8歳ぐらいかしら)で、 それ以降は、きわめて困難だと思います。でも個人的には成立しなくもないと思います。 >関係を一度持ってしまうと友人同士にはなれない そうでもない気がします。 多くの日本人夫婦は(欧米はそうでもないようですが)、ラブラブ期が過ぎて子どもを 授かってしばらくすると、友情に近い感覚が強くなっているような気がします。 境界侵入し合う相手が、配偶者から子どもに変わるからかな~と思います。 私は、カラダの境界侵入よりも、精神的な境界侵入のほうが、ずっと、いやらしくて、 友情からは遠いと思っています。 カラダの境界侵入が日常的に行われていても、その他の部分の境界侵入をし過ぎない 距離をお互いが心得ていれば、利害関係の少ない、友情らしきものは成立するのでは ないかと思います。
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性欲のない男女というのは愛の欠陥品、売り出されない在庫なのです。 よって往々に存在します。
- rosquilla
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rosquillaです。 失礼しました!同じく女性だったんですね^^; >特に西洋人は東洋人の神秘性に憧れを持っているとききますが、プラトニックに転化している状態では?と思います。 現代では多くの外国人は『日本人とは遊べる』と思っているようですが『昔の日本人女性は違った』ということも理解しています。ですので軽い気持ちで寄ってきてもこっちがそのような女性とは違うという態度でいればわかってくれます。 個人的には外国人男性の方が相手の意思を尊重してくれていて、その為にこちらの意思を明確にさせすれば男女関係なしに付き合っていけると思っていました。 それからあきらめが早いのか、思い入れが薄いのか、はたまた極度に軽いのか、付き合って欲しいと言っておきながらこちらが断ると普通の友達になれましたね。 >これは二人きりで泊まっても・・・ということでしょうか? 以前にルームシュアというか転がり込んだというか、外国人の友人5人で生活していました。(女2人男4人) それぞれが自由気ままな生活をしていたので1晩2晩男1人女1人となることも多かったですが変な関係になったことはありませんでした。 それ以外にも男友達の家でパーティーをして朝まで2人でいたりもありますし、終電を逃して安いラブホテルに泊まったこともあります。 もちろん本当に信用の置ける友達としかそういうことをした事はありませんが1度もやばかったことはないです。 そもそもみんな私の凶暴性を知っているということもあるかもしれません。女子プロレスラーを襲うくらいの気合がある人なら襲うかもしれないですね。(笑) (相手が好意をもってるであろうときは絶対にしません) ま、自分でもまれだと思っていますので他の人には絶対に男と2人で泊まるなんてとメクジラたてていますが。。。 何度も男女間に友情は成立するといっていますが、あくまでも私のようなまれな人間の場合はでしょうね。
お礼
まぁ女同士の話ということで(笑)。 >外国人男性の方が相手の意思を尊重してくれていて これはいいですね!外国人の男性は女性のそれぞれの年代の美しさを尊重しているとききました。日本人男性は若くなければ女は終わりという考えですよね(苦笑)。 あ、話がずれてきました。 rosquillaさんの場合は本当にまれなケースだと思っています。 私的にはこのテーマの結論は出せません。世の中にはいわゆる「ノンケ」であっても限りなく性欲に遠い男性もいますから。 そしてhakobuluさんの回答にあるように強い性欲があっても「意志」で昇華し友情を育むことができるのなら、それは「強い男女の愛情」に転化するのではないかと思います。このリクツが現実として可能なら「マレ」といわれるrosquillaさんのケースのような希少価値となるのかもしれませんが・・・。そこまで至るには、出会い頭には何か強いシンパシーやインスピレーション、絆が深まれば関係においてそのような背景がないと難しいと思います。
- rosquilla
- ベストアンサー率35% (261/740)
No.1ですが、すいません、女です。 ^^; 女同士で男女間の友情について議論する時には意外と性欲の話が出にくいのかもしれませんね。 この質問&回答で思ったのですが、やはり男と女の感覚の違いかもと思いました。 もちろん全ての人に当てはまるものではありませんが、女の方が 『好きだからやりたい』 と直結しにくいのかもしれません。 好きだからそばにいたいと思う気持ちのが大きいように思います。 私的には男性と関係を持つのは (1)好きな相手が望むからその気持ちにこたえる (2)友達以上の関係という証 の2点が大きく自分自身の欲求はあまり重要視していません。 ですので自分自身では男女間の友情は成立すると思っています。 自分の愛していると思う相手にしか受け入れ体制を持っていませんので。 私は10年以上の友人付き合いの男性がいますがお互い全く異性として意識していません。お互いに好みでもありませんし相手の異性との交際に嫉妬したこともありません。いいたいことがいえる仲で彼氏といるより楽です。 これこそ結婚相手だったら最高といえるくらい楽ですが、全く愛情はありませんので付き合うことなんてありえません。(笑) この男性以外にも何年も友達関係を保っている友人はたくさんいます。 お泊りしても全く何事も起こらない関係です。女としての魅力がないのかな(苦笑) 私がまれなケースかもしれませんが男性とも女性の友達同様に友情でつながっています。 これは関係があるかはわかりませんが、長く友人関係を保てている男性のほとんどは外国人男性です。日本人男性とは相手が好意を持ったり性的感情を持ったり、相手の恋人に仲を裂かれたりであまりうまくいきませんでした。外国人男性でも性的感情を持って接してきた友人はいましたがこっちがその気がないと伝えるとその後はまったく問題のない付き合いが出来ました。
補足
rosquillaさんは女性でしたのね!当方も女・・・でございます。 >長く友人関係を保てている男性のほとんどは外国人男性です。 これは新しいテーマですね。特に西洋人は東洋人の神秘性に憧れを持っているとききますが、プラトニックに転化している状態では?と思います。 少々補足要求なのですが・・・。 >お泊りしても全く何事も起こらない関係です。 これは二人きりで泊まっても・・・ということでしょうか。仕方なしそのような状況がおきた(例えば終電が終わってどちらかの部屋に泊まらざるを得なかった)という場合か、旅行など計画的にひとつの部屋に泊まった、あるいはそのような場合ででも雑魚寝のように男女混同であった・・・どのようなシチュエイションでしたか?
- hakobulu
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「友だち」を辞書でひくと、親しく交わる人、同士、同志などとなっています。 つまり、あくまで「対等の関係」であることが大前提になっている定義のように思われます。 セックスは、いくら男女同権とはいっても明らかに男側の【攻撃】を女性側が甘んじて受け止める、という能動・受動の関係においてより成立しえません。 いくら否定する方がおられたとしても、勃起したもので「攻める」というファクターを無視することはできないでしょう。 また、勃起するということ自体がまさに攻撃性そのものと言うこともできます。 しかも、男側が放出したものを女性側が(形としては)全面的に受け入れる、という支配・被支配の形式に則っていることも明らかでしょう。 かくして、セックスは友達の定義とは根本的に相容れない要素を含んでいるわけです。 また、セックス面における能動性・受動性は男女それぞれの本能に基づいているわけですから、この根本的な属性を無視して友達であろうとするためには、この本能を打ち消すという意志が多かれ少なかれ必要になってくるでしょう。 ところで、意志というのは『あえて思慮する、決断する』ことであろうと思われるので、どうしても無理が生じるはずです。 しかし、無理を承知でチャレンジしようとする人がいてもおかしくはありませんし、それが成功すれば本能を押さえつけたことになるわけで、それはそれでまた趣の深いことであるのかもしれません。 >男と女の友情が普遍的なテーマなのはなぜか? のひとつの答えとしては、 「本能を屈服させることは可能か、というゲーム性に富んだテーマだから」 ということになるでしょうか。 「彼女を女性としては見ていないから友情が成立する」という見方もあるかもしれませんが、 これは友情以前の問題で、人間関係の深さという点において不満を残しているのではないかと思われます。 「彼を男だとは思っていないので友情が成立している」と言う女性と相手の男性の間に本当の友情が成立しているだろうか、と考えてみるとわかりやすいでしょう。 人間であるということは男か女かしかないわけですから、セックスに拘る必要はありませんが(無意識にせよ)性的な感情を伴わない男女間の友情は、相手を本当に理解したことにはならないように感じます。 結局、frauさんも触れておられるように、 「男女の友情」は心理的に解釈すると、 【緊張関係の反動としての増幅された快感】を予感させるものであり、それゆえに永遠のテーマとして人々の話題として取り上げられるのではないか、と推測します。
お礼
>男側の【攻撃】を女性側が甘んじて受け止める、という能動・受動の関係においてより成立しえません。 なるほど!形として凸と凹です。確かに「身体の構造上、傷つくのはいいつも女」という一般論があります。しかし女性も欲望は存在し、ある種の心理状態(例えばセックス依存など)では性への枯渇は男性以上だと思います。 または本当にセックスが好きでたまらない女性、風俗嬢の方などは「男女同権」という概念などぶっとんでいるのでしょうね。そんな意味でも女性のサガというのが凄みがあると思います。 こんな話もあります。 女友達から「私を女として見てくれていない」と言われたことがあるとある男性から聞きました(笑)。これもある意味普遍的なテーマですよね。女として見て欲しい、でも実際触れられるとなるとまた違う、というジレンマも女の側からのテーマでしょうね。 本当に女性がそう望んでいても今更触れられないという男性心理もあるわけで。そうなるとやはり単なる友達同士という一筋縄ではいかない物語も生まれるわけです。 でもセックスは本来「種を残す」作業です。上のように女性の情動性を考えると真理的にも尚更慣れ親しんだ間柄の種を宿したいと思うはずですから不思議だなぁと思います。それを否定するかのように友達にはいわゆる「イイ人」どまりで、友達には絶対になれないようなタイプを、恋人や夫に選びます。 そして友人としての男性にはより「清いもの」「より精神的なもの」を求める。例えばずっとよい友人だったと思っていた男性から突然誘惑されて凄くショックだった・・・という話はよく聞くところです。 >意志 そのような本能の壁がある限り、理性への申し訳・・・というより理性自身の働きから唯一解決できるのがおっしゃるとおりの「意志」というはかなく、そして強いもの、であるのはまったく同感です。 そのような緊張感があるからこそ、ある意味逆に友情は尊いものなのでしょうね。逆説的に友情を試すとき、同性同士よりも異性同士の方が友愛においての本質と真っ向から向き合うことになるよい機会かもしれません。このようなテーマは人間の進化を試す・・・といっては大げさでしょうか。 ご回答ありがとうございます。
- kinomako
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性行為が無くとも友人関係が維持できる男女は存在すると思います それは「やりつくした」二人 質問文にあるような 「一度関係を持ってしまうと友人同士にはなれない」 という現象は一時的なものだと思います これが一度じゃなくて百度なら 「もう、この人とは、やらなくてもいいや」 と思うのでは? 人は飽きやすい動物ですからね なんだかご質問が難解で、ちゃんと回答になっているかどうか自信がありませんが、とりあえず、思いついたまま……
お礼
>「やりつくした」二人 そうですね、互いの欲を欲ですすいで・・・。その果てに残されたものを共有できるならある種の情は派生する場合もあるでしょう。それは身体を知り尽くした後、それだけではないものを求めていることを互いに知ったとき、しかし「やりつくした」男女がその欲望を反芻するだけでは飽き足らない何かを感じたとき、別の何かを共有したいと思うのでしょうね。 脳の構造的にも本能は始めにありき、しかしその上に理性がかぶさっているのでしょうから、本能に踊らされるだけでは虚しい場合の男女が偶然出会ってしまって、なりゆきで本能を最初に満たした場合、そのような展開もなきにしもあらず、だと思います。 よく男も女も「身体には相性がある」と言いますがそれを超えた相性もあるのではないかと。 >「一度関係を持ってしまうと友人同士にはなれない」 その意味で通過点であるかもしれません。お互い欲望に忠実であることを自覚していれば。 >これが一度じゃなくて百度なら「もう、この人とは、やらなくてもい>いや」と思うのでは? 例えばそれが夫婦という別の形の「情」なのかもしれません。「情熱」は消えても「情」は残る・・・とは世間でよく聞く言葉ですが、燃えカス(笑)を共有できるか否かが、夫婦でいられるのかそうでないか、の分岐点だと思います。そしてある意味「性」がそのリトマス試験紙のようなものだと思います。もちろんそれを軽んじてはいけませんけれどね(笑)。 ご回答ありがとうございます。
- rosquilla
- ベストアンサー率35% (261/740)
男女間に友情が成立するか否かの議論において性欲が例に出るのは今までに聞いたことがありませんでした。。。 私は男女間の友情は成立すると思っています。しかしそれは恋愛同様お互いの相手に対する気持ちが同じ感情の場合のみです。 同性同士の友情と男女間の友情の最大の違いは友情が愛情に変わる可能性があるから、 ここでいう愛情とはあなたのいう性欲とは違い、相手を独占したい、いつもそばにいたい、自分だけを見て欲しいなどのような感情です。 体を求めるということではなく相手を愛し愛されたいと思う気持ちです。 お互いに相手を異性として意識せず、当事者2人の恋人や結婚相手などの嫉妬や猜疑心などの障害もないとすれば友情を保つことは無理とは思いません。 どちらかが愛しているという気持ちを持った時点で友情にひびが入るでしょうね。 男性の方が友情を保つのが苦手な気がします。そばにいる人を好きになってしまう傾向が強いようですね。 それからこの質問を見て思ったのですが、質問者様のように異性に対して過剰に性意識を持つ方はまず男女間の友情を保てないでしょう。
お礼
>男女間に友情が成立するか否かの議論において性欲が例に出るのは今>までに聞いたことがありませんでした。 そ、そうですか?このテーマを語るとき決して免れない要素・・・というより男女の越えられない壁という主題となっている隠されたテーマを質問自体に押し出したつもりです。 ご回答者様は紳士な方なのだとお見受けしました。きっと女性の性を尊重してらっしゃるのでしょうね。 そのように男性が理性をもつのを女は待っているのかもしれません。 >相手を独占したい、いつもそばにいたい、自分だけを見て欲しいなど>のような感情 愛情が性欲のもう一歩先に進んだ理性的な進化のようなものだとしたら、それもありうるでしょうね。しかし「欲」に変わりはないと思うのです。 >そばにいる人を好きになってしまう傾向が強いようですね そのように性欲を「愛情」に昇華させることができても、やはり「友情」とは違う性質の「情」なのでしょう。そのような事実(意味)ではやはり私は男女間の友情は成立しにくいと思いました。 ご回答ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >カラダの境界侵入よりも、精神的な境界侵入のほうが、ずっと、いやらしくて、友情からは遠いと思っています。 なるほど!いろいろな意見があっておもしろいです!!しかもまた女性側からの回答で、No.3のhakobuluさんがもし男性だとしたら、これは面白い対比ですね。 私も女性ですが、性欲はあります(笑)。たしかに勃起をするのは攻撃的だけれど、大脳新皮質の意志ではなく本能の意志ならば自動的というか、理性もそれに左右されてしまう哀しいサガが男性にもあるのなら、女性にも当然あるべきことと思います。それにオルガズムを求める気持ちはもしかしたら男性よりも抑圧され、その分深まる欲望なのではないかと思います。男性の性は放出するのに対し女性の性は探求する性。そして個人個人の性にまつわる事情もあるわけですから、さらに複雑になってくる。 セックスに至るって互いの合意じゃないですか。そこで欲望は相殺されるのだと思います。もしセックスをしなくなっても、ココロが交わされていたのなら余韻はずっと残るじゃないですか。それは身体の方よりも。終わりよければすべてよし、って考え方はちと無謀でしょうか!?