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昔のジャズにはウッドベースのソロが多いが
昔のジャズには、ホーンやピアノのアドリブの後に、ウッドベースがアドリブを取るパターンが多いのですが、アレにはどうも退屈します。まったく厚みがなくなってしまうし、難しいんだろうけれども面白みがない。あのパターンで昔のジャズには抵抗がありました。時代が下ると、ベースは裏方に徹するようになることが多くなったと思います。おそらく、こういう批判的な感覚に応じてなのか、ロック等に影響を受けてなのかわかりません。 しかしなぜ昔は、あれほどベースがソロを取ることにこだわったのでしょうか。
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- edie
- ベストアンサー率31% (156/502)
趣味でドラムを15年やってるものです。 ジャズは、スゥィングしてればそれでいいと思います。 タイコのソロ・ベースのソロ・その他パートのソロ・メロディ・曲のテーマ全部ひっくるめてジャズなんです。 これは、どんな音楽にもいえることだと思います。 今でもベースがソロをとるジャズのバンドはありますし、ビッグバンドでもあります。 裏方に徹していればいい、とありますが脇役は前に出ない方がいいということでしょうか? それに、ソロのルーティーンは昔から続くジャズの形であり、それを守っていく事も大事なことではないでしょうか? ベース弾きにしか出せないものもあるし、タイコ叩きにしか出せないものがあります。 もちろん、ホーンやピアノにしか出せないものもあります。 その楽器をやっている人間にしか出せないものが必ず存在するので、それを出させるのがソロだと思います。 中には3つ4つとこなす人もいますが、それもその人にしか出せないものが必ず存在します。 その楽器をやり続けてきた人の{味}を感じて下さい。
- CageAnoe
- ベストアンサー率53% (128/240)
bossambaさん、こんばんは。 仰ることとてもよくわかります。若いころわたしもそう思いました。 と言っても若い人をバカにして言うのではありませんので(為念)(~_~)。 ジャズを聴き始めた頃は、かなりムリをしていました。…だって解んなかったですもん。 ジャズを聴いてるのがカッコいいと想ってたんですけど、レコードで聴いたのと ライブが全然違う演奏だと、「なんちゃこりゃ??」って思いました(ジャズ以外でもそうです)。 「予定調和」じゃないものを受け容れる器が無かったです。 「ジャズは定型詩では無い」というお考えに少し違和感を感じます。 ジャズはフリーな音楽ではありますが、決まりごとはありますよね。 「その規制の中で如何に自由に振舞うか?」 がジャズの、惹いては芸術や表現のキモではないかと考えています。 M.DavisがH.Hancockに対して言った一言 「3つ以上の音を弾くな」 私自身ジャズpfを手慰みに演奏する者です。ピアノはご存知のとおり リズム、ハーモニー、メロディのすべてを奏でることのできる数少ない楽器です。 Milesはそこに規制をかけました。 実際にやってみるとpfで2音でソロを執るのはとても辛いです。 でもその規制の中で「腕比べ」があります。 画家は絵筆を使うというルールのゲームに参加しています。 絵の中に発光ダイオードを埋め込んだり、人前でその絵を破るというような 芸術(パフォーマンス)を否定はしませんが、サッカーで手を使うようなものです。 ベースは「音域」いう途轍もない規制を端からかけられています。 その規制の中でのプレーの妙を見付けたから、今わたしはベースソロを楽しめます。 「手を使わない」という規制が面白くないのならラグビーを観ます。 ロナウジーニョの派手なギターソロももちろん楽しいし、 ベッカムの甘いヴォーカルも素敵ですが、エメルソンのポジショニングや リベリーの運動量、カンナバーロの献身的プレーには心震えるものがあります。 万人には理解されないけれども、普遍性を有するもの。とても矛盾していますね。 けれどそれこそが芸術では。 Pat Metheny Group の「想い出のサン・ロレンツォ」(酷い邦題ですね) の中の「jaco」という曲のベースソロあたりから聴いてみてください。
お礼
ジャズの規則性とか、愉しみ方を知って聞くと、あのベースソロも楽しめるとのこと。なるほどそういうものですか。だから「知的」な音楽なのでしょうかね。耳が肥えることですね。 ただ、音楽ってどうも私は、「感性」で聴きたいですね。そうすると、ベースは下を支えることに最も美しさを覚えるという、そこから抜けてほしくはないです。それに一曲の構成そのものも、全体の調和を考えてほしい、構成美ですね。それがジャズには欠けている気がします。よいクラシック音楽やポップスには、全体構成美が不可欠です。ABACAとか。
- pyon1956
- ベストアンサー率35% (484/1350)
ベース弾きです。近くで生で聴いてご覧なさい。その迫力と美しさに驚くから。(まあ弾く人にもよるけどね)録音で聴いてたのではわからないこともあります。また、仰るような当時の音楽、というのは基本的に直接目の前で聴くのが筋の音楽でしたから。 それと、ジャズの歴史、というものもあるわけで。チャーリー・パーカーとかの頃だとそもそも歌以外はすべて伴奏、という感覚もあったり(今でも結構それに悩まされる。楽器弾きやっていると)そういう中でそれぞれの楽器のプレイヤーが頑張って、自己主張していった、ということもあるわけです。それプラス、逆に一人一人がソロをとる、というスタイルではベースもソロをとる、というだけのこと。 実際ロン・カーターやチャールズ・ミンガスあたりのベーシストがリーダーの演奏でのベース・ソロは決して退屈ではないと思います。個人的には裏方できっちり支えている(例えばオフコース(!)の「雨の降る日に」での稲葉国光さんのベースなんか好みですが)ベースが好きですが。
お礼
確かに間近で聞いたことがあります。あの重厚感と迫力はいいですよ。ただそれと曲全体を形作る役割はまた別の話で、ベースだけ毎回毎回ソロを取ってはやはりあきますね。裏方で(でも聞き様によっては裏とはいえないと思う)十二分は存在感を放っているのですから、聴くほうはいいんですよ。それに考えてみればホーンやピアノはドソロを取らないわけで、バックの上に載ってアドリブするわけで、ベースや太鼓と違う。それに楽器の性質上やはりソロを取る楽器と取らない楽器があるきがするんですよ。いちいちベース太鼓のソロをやると冗長になってしまいますよね。だからfusion系にはそういう伝統はなくなったのか?
補足
ハッ! ジャズとは本来定型詩でなく、冗長な即興音楽だから、全体の構成など気にする必要がない。ポピュラー音楽が定型詩的になるにつき、大衆もそのほうが心地よくわかりやすいと支持したのか?
- rh-o
- ベストアンサー率37% (13/35)
たとえばトリオでそれぞれがスタープレーヤーの場合、順番にソロを演って観客にご挨拶というのが至極あたりまえの感覚でしょう。ピアノ、ベース、タイコの順にソロが入るのは普通ですね。最近無いのだとすると、スタープレーヤーが居ないので観客もそれを求めないという事では? 個人的にはタイコのソロほどつまらんものは無いと思いますが。
お礼
いえ、ベースそれ自体は、全体の音楽を支えまくっているという十分な存在感があると思うんですよ。だから一夜のセッションで一回くらいはソロをとってもいいと思いますが、毎曲毎曲はやりすぎではないでしょうか?ベースそのものはやはり裏方のヒーローですよ。スタープレーヤーか否かは関係ないと思います。 太鼓はまたつまりませね。ベース同様。
お礼
ジャズっていうのは、個人技の集大成でチームプレーではないのかもしれないですね。なにか私が勝手に思っているスタイルと実像とは違うもののような気がしてきました。ベースが裏方という言い方はあまり適当でないかもしれませんが、全体のトーンを下から支えるその心地よさ(本人も、観客も)という醍醐味は、ソロを取るととたんに異質なものになってしまう、曲全体がただ冗長になってしまうという印象があるからです。