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自己価値観が低い

僕は親からろくにほめられたことがなく、自己価値観が低いです。他人にふりまわされたり、生きてていいのかと悩むことがあります。 どうすれば自己価値観が高まるか教えて下さい。

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noname#57613
noname#57613
回答No.1

 親に愛情を注がれなかった人は結構います。そういう人たちは、genkokuさんみたいに自己評価が低くなります。  方法としては、同じような体験をした人たちの集まりに出て、お互いの体験を話し、聞き、その際、相手の話に一切否定も肯定もしない、後でそのことを話題にしないなどのルールの下、安全な環境で、共感したり、世界を広めたり、話すことで自分の気持ちを楽にしたり、気づかなかった自分の思いを確認したりする”体験をシェアする”ことで回復の一歩を踏み出すことができます。  愛情を与えることを放棄されたことをネグレクトといいますが、そういう人をカウンセリングする精神科医もいます。体験のシェアとカウンセリングを併用すれば自己評価の回復も早いかと思います。  後は、仕事などで小さな成功体験を積み重ねることによっても違う部分ですが、自己評価を上げることができます。この方法では愛情などは埋まりませんのでそちらは期待できないかなと思います。  小動物を飼うというのもいいかもしれません。でもある程度、状態がよくないと難しいかもしれません。お勧めは中型犬です。簡単に御すことができなく、それでいて御せぬほどではないという塩梅がいいのです。エゴのぶつけ合いをしながら、愛情を与え合う関係を築くことができれば、互いにいい薬となります。  生きることも大変かと思いますが、あなたと同じような人が困難を乗り越え、生活を送っていることを忘れないでください。必ずあなたの自己価値観は回復する道がありますのであきらめないでくださいね。

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noname#21114
noname#21114
回答No.3

 初めまして、うつ病20年のおじさんです。 >自己価値観が低いです。 自己価値を連呼されておりますが、誠に申訳有りませんが、「貴方の自己価値」ってどの様な意味なのか私には、良く分かりません。 参考に成るか分かりませんが、私の日記の一部を紹介させて頂きます。 ===== 前略 ===== (ア)その時の自分の気持ちを振り返ってみると A)全ての相手に対して、自分が成した事に「賞賛の期待」で満ちている。 B)もし、相手から期待通りの賞賛があれば、自分は満足し、「当然である」と言った気持ちを持っていた。 C)もし、相手から何も反応が無かったり、否定されたりすれば「自己否定に陥ってしまう」と言う考え方をしていた。 D)自分に有益な情報は無いか、手当たり次第に探し回る。 又、そのために費やす時間は相当な物である。 D)の理由として、自分は全ての事に付いて知って置きたい。 又、真実であるか確認したい衝動に駆られる。 この様に、「相手の自分に対する言動の結果評価」が、自分の気持ちを揺さぶっている。 何故、相手の言動が「マスター」で、自分の気持ちが「スレイブ」なんだろう? ===== 中略 ===== しかし、何故この考え方が不合理なのか? 「自分の気持ち」を左右するのは「自分自身の考え方次第」であると言う事に気付いていないからだ。 他人の賛成や非難などは、自分が「あなたの言う通りだ!」と、納得さえしなければ、自分の気持ちに何の影響も与えないはずだ。 つまり、「他人の賞賛 = 自分の価値」では無いのだ。 此処の所を、しっかりと肝に銘じて置かなければいけない部分だ。 賞賛ばかり求めると、当然他人の意見に振り回される様に成ってしまうことは明白だ。 これは感情的な被害妄想ではないか? こんな事では、次第に自滅の方向に向かってしまう。 自分の気持ちと言う物は、自分でコントロールされていなければ、いけないんじゃないか? 「自分の感じ方に働きかけるのは、自分の考え方だけ」でなければ駄目だからだ。 相手の出方次第で、自分の気持ちが揺れ動くなんて、何と馬鹿馬鹿しい事ではないか。 冷静に考えて見れば理解出来る事である。 ・相手の事など気にしないで、自分の行った事が自分にとってどうであったか? ・自分の気持ちがそこそこ満足できれば、例え不完全であっても、それで良いのではないんだろうか? ===== 中略 ===== 他人の言動等は、個々により当然違うであろうし、そんな物に、いちいち振り回されていては、自分の気持ちは、どの方向に進むべきか次第に見えなくなってしまい、最後には自己破滅と成ってしまう。 自分の誤りの為に非難が発生する場合もあるだろう。 しかし、その誤りで自分の価値が無い人間だと言う事に成るのだろうか? 他人の否定は、自分のその発言・行動した事に対してのみ。つまり誤りを非難している訳で、自分の価値を否定しているのでは無いのだ。 人間は常に誤った事をしている訳では無い。大切なのは自分の気持ちの有り方なのではないか。  「他人の批判」が「自己価値」を決定する権利は当然無い。 何故「他人の批判」に気遣い「自己価値を決定する」と考えるのだろうか? 仮に誰かに、言動の欠点や間違いを指摘された場合、「自分にとって新しい考え方の一つである」と理解し「自分は不完全であり、他人はその事を教えてくれる『役割』を持っているのだ」と解釈するのが自然な考え方であると思う。 自分の間違いや欠点を指摘してくれる人程、自分の本当の良き理解者ではないのか? ===== 後略 ===== 以上、私の日記の一部です。 貴方のご参考に成れば。 御自愛の程、宜しく。

noname#61570
質問者

お礼

みなさんありがとうございました

noname#160321
noname#160321
回答No.2

私は自己価値観が高すぎました。某帝大から博士になったところで、就職先に「バカ上司」が居たため(そいつは社会に捨てられました)いまだにうつ状態が通常です。 自分で一歩一歩目標を定め「少し高め」「よしやった」「次はこれ」「ァ、高すぎたかな、ではこのくらい」と自分で自信を付けていきましょう。それは壊れることは決してないのです。^o^

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