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「とる」と「とれる」について
日本語を勉強中の中国人です。次の文のどちらが自然だと思われますか。 1.この魚はとれたばかりです。 2.この魚はとったばかりです。 おそらくほとんどのネイティブスピーカーは2を選ぶでしょうか。「やっぱり!」と言いたくなります。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2340500 上のURLの質問で、私は「とる」、「とりたて」、「とったばかり」を使いたいところなのですが、ネイティブスピーカーはなぜか「とれる」、「とれたて」、「とれたばかり」を愛用する傾向があるようです。いくら考えても納得できないので、ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけないのでしょうか。 また、Aさんに向かって発する言葉として、次の文は全部正しいと思われますか。続いている文は「Aさんが読みたいなら、先に貸してあげますよ」です。 1.この本は昨日買ったばかりです。 2.この本は昨日買えたばかりです。 3.この本は昨日買われたばかりです。 質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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「とれた」と「買えた」の違い 本来可能を表す助動詞は、受け身を表す助動詞と同じく、「れる」「られる」の二つがあり、 「行く」→「行かれる」 「見る」→「見られる」 のように用いられました。 ところが主に関東の人たちが、「行かれる」の代わりに「行ける」と言うようになり、これが現在の共通語に継承されています。 この可能動詞というものは「ら抜き言葉」の先駆けであるばかりでなく、いろいろな不都合をもたらしています。 もともと活用の種類によって自動詞・他動詞がセットになっていたものが少なくないのですが、そこに可能動詞が入り込んできたために、ややこしくなったのです。 進む(自動詞)/進める(他動詞)←→可能動詞「進める」 割る(他動詞)/割れる(自動詞)←→可能動詞「割れる」 「生え抜き以外は重要なポストに【つけない】」 この「つけない」が「つけることをしない」なのか「つくことができない」なのか、前後の文脈で判別できる保証はありません。 「昔はここでも魚がとれた」 この「とれた」は「漁獲が得られた」のほかに「とることが許されていた」ととられなくもありません。 前置きが長くなりました。 質問者さんは「とれたばかり」の「とれた」を、「とる」の可能動詞「とれる」と受け取られたため、「買えたばかり」「買われたばかり」が比較の対象になったのではないでしょうか? この「とれる」は、 とる(他動詞)/とれる(自動詞) のセットをなすもので、 割る(他動詞)/割れる(自動詞) と同類なのです。 つまり「とることができる」という可能動詞ではないので、可能動詞「買える」と比較するのは適切ではないのです。 「見れる」は「ら抜き言葉」だと声高に批判する人が「行けない」の可能動詞をよしとし、「行かれない」を方言と貶めるのが不思議でなりません。
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- kanpyou
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度々すみません。#6です。 『「自発」れる』、『「可能」れる』について 可能の場合、その海で「とることが可能である」という表現に使います。 そこには、行動者の意志が働いていて、その獲得確度を表すために使います。 一方、自発は、「自らがそのような状態に自然になる」場合で、「魚がとれる」とした場合、まるで魚が船の上に飛び上がってきて、捕れてしまったというような印象になります。 「向かいの海で魚がとれる」とした場合、とる+れるではなく、「とれる」という自動詞という判断になるのではないでしょうか。 つまり、「可能」のように、獲得可能かどうかの判断ではなく、「自発」のように、自然とそのようになるわけではありません。 「自動詞」と「自発の助動詞」の違い http://virus.okwave.jp/kotaeru.php3?q=2344306 回答No4 millennium-man さんが、明快な回答をされています。ご参考に。
お礼
再びありがとうございます。参考にさせていただきます。 本当にありがとうございました。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#7です。ご返事ありがとうございます。 補足も拝見しました。 「れる」は自発の助動詞ではないか、と思いましたが、#8さんご指摘のように自動詞と考えるべきなのかもしれません。 混乱させてしまい、申し訳ありません。お詫びします。 この他に、可能動詞で自動詞の役割も表わすものは、 解ける・売れる・抜ける・切れる・裂ける、などが思い浮かびます。
お礼
再びありがとうございます。解釈は違うのですが、意味はよく理解できました。同じ感覚の動詞も何個もまとめていただきとても助かりました。本当に間違えやすくて覚えなければなりません。大変参考になりました。また、この質問をきっかけにhakobuluさんのご質問も拝見しています。 心より厚くお礼申し上げます。
- shigure136
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awayuki_ch さん、こんにちは。 >私は「とる」、「とりたて」、「とったばかり」を使いたいところなのですが、ネイティブスピーカーはなぜか「とれる」、「とれたて」、「とれたばかり」を愛用する傾向があるようです。 ⇒awayuki_ch さんが思っていらっしゃるほど日本人が拘っているのではなく、その発言をしたときの状況が関わっているのだと思います。 ★漁港の近くのお店に立ち寄ったとします。 ⇒お店の奥さんは「この魚、今取れたばっかりだよ」とか「この魚は新鮮だよ。取れたてだよ」と言います。 これは、この奥さんが取ったからではなく、獲ったばかりの魚、獲れたての魚であることを知っているからなのです。 ⇒ところが、そこに実際に漁船に乗って魚を獲ってきた本人が来た場合は、「これ獲ったばかりだから旨いぞ」とか、「これほど新鮮なものは無いぞ。だってこの魚、今、俺が獲ってきたんだからな」などと言います。 ★今度は川に釣りに行ってきた二人が帰ってきた場合です。 ⇒「この魚今釣ってきたんだよ。獲りたてのホヤホヤだよ」 「俺は釣れなかったけどね。獲れたての魚だから美味しいよ」 このように、実際に釣り上げる事が出来た人は、「釣った」「獲った」「獲り立て」と言い、釣れなかった人は、釣れた人の魚を「獲れた」「獲れたて」「獲れたばかり」などと言います。 ★自分が「獲った」のか「誰かが獲った」のかによって、そのときの表現は異なってきます。 1.この魚はとれたばかりです。 ⇒これは上記の例のように、漁師さんなり、釣り人が獲って来たばかりの魚を指しています。 2.この魚はとったばかりです。 ⇒これは自分で獲ってきた人がその魚を指しているのです。 【私は「とる」、「とりたて」、「とったばかり」を使いたいところ】 この場合は、awayuki_ch さんがご自分で獲物を獲って来た場合なら使うことが出来ます。 1.この本は昨日買ったばかりです。 2.この本は昨日買えたばかりです。 3.この本は昨日買われたばかりです。 これらの後に次の言葉が続くとして考えて見ます。 「Aさんが読みたいなら、先に貸してあげますよ」 1.この本は昨日買ったばかりですが、Aさんがお読みになりたいならお貸してあげますよ」 2.この本は昨日やっと買うことが出来たばかりです。もしもAさんがお読みになりたいならお貸しします」 ⇒「買えた」は間違いではありませんが、「買うことが出来た」とした方が良いかもしれません。 3.この本は昨日買われたばかりです。 ⇒これは自分が買ったときには当てはまりません。 ⇒【この本は昨日Bさんが買われたばかりです。】とか、【この本は昨日誰かに買われてしまったばかりです。】などの意味になってしまいます。 したがって、あなたがAさんに貸して上げることは出来ません。
お礼
shigure136さん、いつもお世話になっております。 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。言葉の感覚はよく判りました。「買う」に関する3文の添削にも感謝いたします。とても参考になりました。 本当にありがとうございました。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
◆ 1の「とれる」は『自発』の助動詞「れる」だろうと思います。 「魚の状態」に焦点が当てられていて、魚自体に注目した表現です。 2の「とった」は「(私が)とった」などのように主語が省略されています。 つまり、1にくらべると「とった」という行為にも比重がかかっている表現と言えるでしょう。 「パーティーは開かれたばかりです」 「パーティーは開いたばかりです」 などの例で考えると理解し易いのではないでしょうか。 ◆ 「とる」「とりたて」「とったばかり」なども含めて、 魚を【「とった」という行為】にいくらかの比重がかかるニュアンスを表現します。 それに対して、 「とれる」「とれたて」「とれたばかり」は、 「とった」という行為よりも、【魚の現状】を表現することに重点が置かれていると言えるでしょう。 先のご質問中の例文は「魚が新鮮だという現状」を意図した表現なので、「とった」ではなく「とれた」のほうがニュアンスとしては適切だという解釈が(無意識的に)されたのだろうと思います。 ◆ ただ、 「2.この魚はとったばかりです。」 という表現は自然ですが、 「1.この魚はとれたばかりです。」 というのはあまり自然な表現とは言えません。 『この魚は今とれたばかりです。』というように【今】という語句が必須だろうと思います。 ◆ 「1.この本は昨日買ったばかりです。」だけが正解です。 2は×。 『この本は昨日やっと買えた』という形が自然です。 3も特別なシチュエーションを除いては×。 「買われた」が敬語か受身かによっても違ってきますが、どちらにしても一般的には使われることのない表現です。 2も3も、「可能+ばかり」あるいは「受身+ばかり」という組み合わせは、通常では不自然だということでしょう。 ◆ご質問文の添削 1、 {おそらくほとんどのネイティブスピーカーは1を選ぶでしょうか。}(×) 文末の「か」は疑問型。 文頭の「おそらく」は推測型。 混在は不自然です。 『おそらくほとんどのネイティブスピーカーは1を選ぶでしょうね。』あるいは、 『ほとんどのネイティブスピーカーは2を選ぶでしょうか。』の、どちらかにすべきだと思います。 2、 この文脈で、 {「やっぱり!」と言いたくなります。}という文の挿入は不自然ですから、使わないほうが良いでしょう。 「やっぱり」という言葉を使うのであれば、 『やっぱり(やはり)、ほとんどのネイティブスピーカーは2を選ぶでしょうか』 などのような使いかたになるでしょう。
お礼
毎度お世話になります。 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。「とれる」は『自発』の助動詞「れる」なのでしたね。「とる」の可能動詞だと思いました。質問文の添削にも感謝いたします。今後、気をつけます。大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
補足
文法的によく判らないのですが、「れる」は「自発」の助動詞「れる」だったら、なぜ「とられる」ではなく、「とれる」になったのでしょうか。自発は普通受身と同じような形ですね。たとえば、 思うー> 思われる 思い出すー> 思い出される 思いやるー> 思いやられる しのぶー> しのばれる 泣くー> 泣かれる 笑うー> 笑われる ほほえむー> ほほえまれる 待つー> 待たれる なぜ可能動詞「とれる」(とることができる)のような形になったのでしょうか。可能動詞の形で自発を表す動詞はほかにもあるのでしょうか。
- kanpyou
- ベストアンサー率25% (662/2590)
言葉の感覚として、 2.この魚はとったばかりです。 この例文だと、魚を捕まえた『本人』が、言っているような感じがします。 例えば、(私が)うなぎを獲った。 1.この魚はとれたばかりです。 こちらは、本人以外の、奥さんや仲買人など第三者が、新鮮さを表す為に言っているように感じます。 もちろん、本人も使いますが、謙遜している場合に使います。 同様に、思いのほか大漁の場合、「獲った」とは言わず、「獲れた」を使います。 最後の質問は、『1.この本は昨日買ったばかりです。』
お礼
いつもお世話になっております。 ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。言葉の感覚はよく判りました。とても参考になりました。 本当にありがとうございました。
- Bergamot
- ベストアンサー率22% (68/299)
魚は釣りをすると必ず釣れるものではありません。「釣れた」になるのは「釣ることができた」 からかと思いました。 人に贈る時「今朝釣ってきたばかりの魚よ」とは言いますが、 「釣りたてよ!」とはあまり言わないと思います。やはり魚は「獲れたてよ!」と言うと思います。 本は1です。お金を出せば必ず買えるものですから。 (間違ってたらすみません。)
お礼
毎度お世話になります。 貴重なご意見ありがとうございます。大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
- bugler
- ベストアンサー率18% (44/241)
魚の問題は、1「この魚はとれたばかりです。」の方が自然だと思います。 魚に対して「とれた」と「とった」のどちらが使われるのかは、 魚と人間の行為、どちらを強調したいのかによって変わると思います。 魚を強調したい場合には「とれた」を使い、 人間の行為を強調したい場合には「とった」を使うという具合です。 例えば、魚を釣って、誰かに食べさせるとします。 自分が釣ったのですから、そのことをアピールしたいですよね。 そうしたら「この魚はとったばかりだよ。」と言った方が自然です。 例えば、魚屋に行って「この魚は新鮮ですか?」と聞いたとします。 魚屋の店主は、売り物である魚をアピールしたいですよね。 そうしたら「この魚はとれたばかりですよ。」と言った方が自然です。 このことは、本の問題でも同じです。 ここで強調したいのは人間の行為です。 "私は"この本を昨日手に入れたばかりで読んでいない、ということが重要なわけです。 なので1の「この本は昨日買ったばかりです。」が自然です。 例えば、色んな本屋に行ってみたけど、欲しい本はどこも売切れてしまっていたとします。 それから数日経って、立ち寄った本屋で偶然にその本を買うことができました。 この場合は、その本は手に入れるのが大変で、 貴重なものなのだということをアピールしたいので、 2の「この本は昨日買えたばかりです。」を使うのが自然です。 3の「この本は昨日買われたばかりです。」は、 文法的にはどこも間違ってはいませんが使わないですね。
お礼
ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。言葉の感覚はよく判りました。大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
- cooci
- ベストアンサー率29% (1394/4779)
1.この魚はとれたばかりです。 2.この魚はとったばかりです。 上記は1の方が自然だと思います。 2は日常的には使わないですね。 魚は網を仕掛けたりして魚の方が入るように仕向けます。 とれたての魚という言い回しもありますし。 1.この本は昨日買ったばかりです。 2.この本は昨日買えたばかりです。 3.この本は昨日買われたばかりです。 これは1が自然ですね。 今、店で買ってきたというだけの意味です。 2は同じ意味でもニュアンスが違いますね。 探していた本がやっと見つかって買うことができたなど入手困難なものだという意味が入ります。 3は後の文とのつながりがおかしいです。 買おうと思っていた本が自分以外の誰かが買ってしまってなくなっていたという感じになります。
お礼
ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。言葉の雰囲気は判りました。大変参考になりました 本当にありがとうございました。
- ozunu
- ベストアンサー率14% (240/1644)
私は日本人ですが、日本語に対する感性はあまり鋭くない、と言うことをお断りした上で、 「とれたばかり」誰か他の人がとってきた。 「とったばかり」自分でとってきた。 「買ったばかり」私が買いました。 「買えたばかり」前々から欲しかったのですが、買えなくて昨日やっと買うことができました。 「買われたばかりです」誰か他の人が買いました。 2と3はこのままの言い回しでは、ちょっと不自然かなという気はします。
お礼
貴重なご意見ありがとうございます。大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
- batakodesu
- ベストアンサー率39% (233/596)
1.この魚はとれたばかりです。 この表現は、例えば、とってすぐの魚を漁師から買った魚屋が、お客さんに言う言葉として自然な感じかします。 2.この魚はとったばかりです。 自分でとった魚の事を言っている感じがします。 どちらかと言えばという事で、どちらも間違いではありません。 1.この本は昨日買ったばかりです。 2.この本は昨日買えたばかりです。 3.この本は昨日買われたばかりです。 1が正しい言い方です。 2と3は、言いません。 2の『買えたばかり』を使いたいのなら 昨日買えたばかりの本、のように名詞の本にかかる形容詞的な使い方になります。 3の買われたばかりは、自分が買ったのではなく、他の人に売った場合の表現です。 例えば、お客さんに「この本は有りますか?」と聞かれた本屋が、 「この本は昨日買われたばかりで有りません。」 と答える事はあります。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。言葉の感覚は大体判りました。大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
補足
大変申し訳ありませんが、質問文にタイプミスがありますので、訂正させていただきます。「おそらくほとんどのネイティブスピーカーは2を選ぶでしょうか。」という文は「おそらくほとんどのネイティブスピーカーは1を選ぶでしょうか。」の間違いでした。大変失礼いたしました。m(_ _)m
お礼
いつもお世話になっております。 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。「とれた」と「買えた」は違いものなのでしたね。お察したとおり、「とれたばかり」の「とれた」を「とる」の可能動詞「とれる」と受け取りました。「買えたばかり」と比較の対象になってしまいました。可能動詞「買える」と比較するのは適切ではないのですね。日本語の文法は外国人にとってとても難しいですね。大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
補足
もう少しお伺いしたいのですが…… 1.「買われたばかり」と「とられたばかり」は同じ構造(受身+ばかり)でしょうか。 2.自動詞と他動詞に関してですが、「買う」はあいにく可能動詞の形の自動詞「買える」がなく、「とる」は運がよくちょうど可能動詞の形の自動詞「とれる」があったということなのでしょうか。 3.「とれる」、「割れる」のように、可能動詞の形で自動詞の役割を果たす動詞はほかにもあるのでしょうか。なにか覚えやすい方法はありませんか。それとも一つ一つ丸暗記しかないのでしょうか。 もう一度教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。