• 締切済み

歴史の重要性を教えてください。

歴史って結局大昔の人が書いた字や絵、化石や言い伝え、埋まってた物から予想して導き出した仮説でしかないですよね? たとえば、西郷隆盛が生まれたのが1827年。1877年に死んだらしいのでたった130年前の事。それなのに似顔絵が別人を参考にして描かれた物だったそうではないですか。 たかが百数十年前の事ですらあやふやなのですから、それを考えると江戸時代以前のことなんてもう空想の世界のお話ですよね。 極端な話ですと、織田信長が実在しない可能性もありえますよね。 恐竜が居たのではないか?と言うのや、縄文土器、竪穴式住居等は彫ったら石になって出てきた物ですからある程度信憑性がありますが、書物を信じる信憑性というのはどうなんでしょうか?(誰かが作った物語の可能性も) 科学や物理と言うのが教科書に載るのはかなり研究され信憑性が高くなったものばかりだと思います。故に教科書が覆る事はまず無いと思います。逆に言うと研究中のものや、覆る可能性のある物は教科書に適して居ないと思います。 しかし、歴史の教科書と言うのはちょくちょく覆ってますよね? なぜそんな信憑性の無いものを義務教育で習うのでしょうか?そんなにちょくちょく変わるもので、誰かの空想かもしれないものを義務教育で何年も習う必要性って何なんでしょうか? しかも、年号丸暗記や人名丸暗記、出来事丸暗記で、試験が終わればほとんど覚えてないのではないでしょうか? 歴史の重要性を教えてください。

みんなの回答

回答No.10

例え,「織田信長が女性だった!」というように,後で「真実」が発見され,それまで当たり前だと思っていたことが,違っていたとしても,面倒な年号,人名を含め,受験勉強で学ぶ必要があると思います。 何故ならば,(他の回答者様もお答えいただいたことですが)学生時代に「原因と結果」というような因果関係の仕組み・考え方,思考方法を学ぶことは,社会に出ても十分に役立つことだからです。 これは「歴史」には限らず,文系にとってはもっとも無駄に思える「数学」も同様です。「数学」で学ぶ論理的思考方法は,どんな仕事においても役立つものです。 ですから,(今は知りませんが)昔の慶應大学法学部の入学試験科目に,「数学」が必須だったのは,受験生に不人気ではありましたが,正しかったと思います。 もっとも,日本史や世界史は受験科目としては,人名等細かすぎるというのは確かですが…

silverbear
質問者

お礼

ありがとうございます。 つまり、歴史と言うのは過去の歴史を覚える事が目的の教科ではなく、因果関係を学ぶ教科なんですね? そういわれれば納得できる部分もありますが、他教科を見ると「どれだけ理解したか?」がテストに出てると思います。 例えば、算数・数学は教科書と同じ問題はほとんど出ません。英語の文法も、国語の文章問題も、教科書に載って無くても出題できます。理科も数字が違う事は良くあります。 歴史が「理解したか?」を問う問題として教科書に載ってない事を出題する方法って無くないですか? 因果を学ぶのなら「ほにゃらら年に信長がでかい穴を掘ったとしたら、何のためでだと思いますか?」や、「ほにゃららの戦いを回避するためには誰が何をしたら(しなかったら)良かったと思いますか?」のような面白い問題があってもよさそうです。 やはり歴史から因果を学ぶのは難しいと思います。どうしても結果が分かっているのが前提という教科ですので、暗記に頼りがちになる教科な気がします。

  • aburakuni
  • ベストアンサー率30% (470/1562)
回答No.9

歴史だけを特別視する事ではないですね。 決して学問を貶めるつもりではないですが、殆ど全ての事は仮説であり、人間は推定する事によって進歩・発展してきました。 「我思う、故に我あり」という言葉もありますが、それすらSFの世界では確かでないと言う話もあります。 年号・人名・出来事は所謂「情報」であり、他の情報を含めて社会生活の為にある程度取り入れる必要があります。義務教育では「取り入れ」が主眼であり、知的好奇心を持って「情報」に意味を与えて「知識」にし、「知識」全体を個人の中で体系化して「見識」とする事がその先にあります。 他の回答にもありますが、残念な事に通常は年を取ってからそれに気付いて、「もっと勉強しておけば良かった」と思う訳です。

silverbear
質問者

お礼

>殆ど全ての事は仮説であり そうらしいですが、俺は義務教育の中では国語と社会に仮説が多い気がします。 他はそうそう変わらないと思います。 >義務教育では「取り入れ」が主眼 そうなんですか。だから勉強がつまらない物になってしまったんですね。 そういえば漢字も(苦手だったんですが)漢字の成り立ちを教えてもらった字(木、川、目、親等)は覚えれたんですが、それが無くなってからはずーっと赤点でした。 情報の取り入れという意味では歴史と言う科目に意味が無いという事はないんですね。 ありがとうございました。

  • n34156
  • ベストアンサー率15% (53/352)
回答No.8

私は、歴史に人の生き様を見ます。どういう環境で育った人が、どういう人に出会い、どういう人の影響を受けて、自己を確立していくか・・・。面白いとは思いませんか?蘇我入鹿、明智光秀、マッカーサー元帥、キッシンジャー大統領補佐官などなど。彼らの考え、彼らの生き様が私に何かを教えてくれています。

silverbear
質問者

お礼

ありがとうございます。 すいません。挙げてもらった人たちの事は聞いた事があるけど何をした人なのか覚えてません。 ただ、歴史の授業って「誰が何年に何した」とか、「何年に何があった」とか、そんな感じじゃありませんでしたっけ? 考え方とか生き様とかを知るのはドラマや映画、そして自分で書物を調べた人だけじゃないかと思います。 もしその人の考えや生き様を知る事が出来れば面白いと思います。

  • hengtop
  • ベストアンサー率34% (32/92)
回答No.7

こんにちは、 私も若いころ同意見でした。歴史?過去のことを知ってそれが何のためになるのか?といった具合で歴史が大嫌いでした。 ところが40を過ぎて太平洋戦争の意味がなんだったのか?、中東での紛争は何故いつまでも続くのか?等疑問が出てきたとき現在の状況だけでは語れない歴史があることに気づきました。複雑にからみあった歴史の事実を知らなければそういった疑問が解決できなかったのです。 それで恥ずかしながら40を過ぎて少しずつ歴史に興味が沸いてきました。多分質問者さんもなにかのルーツを探りたいとか、社会情勢を見ていて納得のいかない事例がでてきたときそのとき初めて歴史を見る必要性がでてくるんじゃないでしょうか、 私は歴史は勉強とは思いません。知りたいから調べるものだと思っております。

silverbear
質問者

お礼

ありがとうございます。 >私は歴史は勉強とは思いません。知りたいから調べるものだと思っております。 そうですね。俺も実際にはそれで十分だと思います。 で、その時に歴史の授業が役に立つかといえばさほど役に立たないのではないでしょうか? 数学なら四則演算が出来なければ連立方程式を絶対に解くことが出来ませんが、歴史は部分部分だけ見ても結構理解できると思います。 >そのとき初めて歴史を見る必要性がでてくる その必要性が来た時に歴史の知識が無くて困ってしまいそうですが、少しでも義務教育の歴史が生かされるのか楽しみです。

回答No.6

何かで読んだのですが、そもそも理化学系であっても文化系であっても学問はすべて「仮説」だそうです。 例えばA薬とB薬を混ぜると化学反応が起こってCという薬品が出来上がる。 C薬が出来上がるのは現象として間違いないですが、ではどういう化学反応が起きて....というのは仮説でしょう。 それが理化学系では学説の振り幅が小さく、文化系では振り幅が大きいので、文化系の方がいい加減のように見えるのではないかと思います。 そもそも年号や人物、出来事の丸暗記は「歴史学」ではなく「試験のための勉強」でしかありません。 以前にも回答がありましたが数学・算数ののルートや分数のかけ算足し算が実生活で役に立つことはありませんし、そんなものを何年も義務教育で....(^^) 教科書に載っている科学や物理が覆ることがないということも思い込みのような気がします。科学物理といえども少なからず「仮説」の上に成り立っているものです。 「相対性理論」の前後ではかなり教科書は変わったんじゃないでしょうか。 現代というのはある日突然出来上がったものではありません。長い歴史の積み重ねで出来上がったものです。 何故、韓国や中国が靖国神社や反日になるのか、その当否はともかくとして「歴史」を知らなければ肯定も否定も出来ません。 パレスチナ問題などは2000年前の出来事に端を発しているのですからこれもまた歴史を無視しては理解できません。 「自分がつまらないと思えること」だからといって不要なものであるとは限りません。

silverbear
質問者

お礼

>学問はすべて「仮説」だそうです。 そうですね。 >文化系の方がいい加減のように見え 歴史をもう少しアバウトにすればそのいい加減さが減少しますよね。 理科は結構アバウトですよね。誤差を含んだ表現で書かれているんじゃないかと思います。 >出来事の丸暗記は「歴史学」ではなく「試験のための勉強」でしかありません。 やっぱりそうですよね。 >数学・算数ののルートや分数のかけ算足し算が実生活で役に立つことはありません 実生活で役に立つか?と言われればほとんど役には立ちませんが、義務教育程度の数学であれば比較的多くの人が仕事で使っているのではないでしょうか? >「相対性理論」の前後ではかなり教科書は変わったんじゃないでしょうか。 100年ぐらい前の話になると思うのでその辺りの事情は分かりませんが、変化はあったんじゃないかと思います。 >何故、韓国や中国が靖国神社や反日になるのか、その当否はともかくとして「歴史」を知らなければ肯定も否定も出来ません。 これは逆に言うと、歴史の勉強のせいで問題になってますよね。 まぁ、知らない方が悪いんですが。 >不要なものであるとは限りません。 そうですね。 不要であるといいたいわけではないんです。 何故当たり前のように歴史を義務教育で勉強することになっているのかが不思議なんです。

noname#20589
noname#20589
回答No.5

長年このサイトを見てきましたが、初めて自分の回答を付けたく思えたので新規登録しました。 まず、私は歴史家見習いの私の立場からすると、歴史は趣味です。 趣味を仕事にできるのは幸せなことですが、歴史を趣味にする人は限られている上に、職業の分野としても特殊な部類といえます。 そういう意味で研究家という職業は好事家の集まりだと思います。 多くの人にとっては暗記科目であり、その場限りで消えていく知識に惹かれる社会の少数派です。 歴史教育は歴史好きの発掘の場だと思います。 歴史好きが少しでも増えることは私にとって嬉しいことです。 これは例えば、自分の贔屓の球団のファンが増えるのを喜ぶ心理に似ているように思います。 歴史に触れる機会さえ無ければ、それにはまりこむ機会も減ってしまいます。 もし私が種子島に生まれていれば宇宙飛行士を目指したかもしてないようなものでしょうか……(違うかな)。 歴史は確かに推論、推測、予想、妄想の集合体という側面もあると思います。 西郷隆盛の顔、信長や家康の存在もその時代の一人物が想像を逞しくして書き上げたものかもしれません。 これでは最も信頼できるとされる日記などの一次史料も高が知れています。 一方で「お地蔵様が金銀財宝を持ってきてくれた」という記述があったとして、現代人はそれを鵜呑みにはしないでしょう。 科学的知識に基づいた判断です。 しかし源氏物語のような、科学的にありえる(怨霊等を隠喩的に解釈して)展開の話の場合、元ネタの有無は判断できません。 信頼できる史料を判断し、暫定的な歴史像を描くための土台は結局現代の知識によるものだと思います。 科学の発展に終わりがない以上、だた拱手して待っているのでは歴史家の仕事は何時まで経っても成り立ちません。 同時進行で進めることになります。 その過程で歴史家が絶滅したら洒落にもなりませんから、学校で歴史に触れる場が必要だと思います。 多くの人にとってはた迷惑な話ですが。 以上、私見です。

silverbear
質問者

お礼

なんかすごい人に回答していただいて感動です。 >歴史好きの発掘の場だと思います。 そうですね。 ただ、電車好きや映画好き、小説好きや車好き、機械好きや登山好き・・・・等、授業でやらなくても、少ししか授業でやらなくても好きな人は好きですよね。 なので、きっとshigure047さんは歴史の授業が無かったとしても本やドラマや映画などから、きっとその世界に足を踏み入れてたんじゃないかと思います。 >最も信頼できるとされる日記などの一次史料 そうなんですか!?歴史は日記で作られていたんですか。びっくりしました。 >元ネタの有無は判断できません。 やはりそうなんですか。俺はこの部分がとても不思議でした。 >歴史家が絶滅したら洒落にもなりませんから 歴史家が絶滅ですか。でも大丈夫だと思いますよ。歴史的価値のあるものを発掘、調査するということは授業でやら無くても成立すると思います。 恐竜の化石を掘って生計を立ててる人や、毎晩星を見ているだけの人もいるはずですから。 >多くの人にとってはた迷惑な話ですが。 俺はまさにこれに当てはまる人物でした。 でも社会の時間は嫌いじゃ有りませんでした。(寝れるから・・・) ありがとうございました。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.4

歴史の重要性は推理にあるでしょうね。じっくり考えてウソを見分ける行為です。結論ではなく、推理する過程が重要です。丸暗記なんかすると、思考を止めてしまうので、完全に意味ないです。 そして、現在もまた歴史の一部なので、歴史を材料に今を分析し、未来を予測しようと試みるのも楽しいでしょう。歴史が繰り返すとは限りませんが、人間が似たような状況で同じ愚行を繰り返す可能性は、極めて高いです。 また、質問の通り歴史は全て、闇の中にありますので、合理性の基になる健全な懐疑を養うのに、とてもよい材料になります。歴史に対して全てを疑うのは、正しい態度だと思います。 ただ、物理法則など疑いようのない材料も存在しますので、確定できる場合もあります。例えば、今の暦で11月末の博多湾を台風が襲う可能性は、ゼロと断定してよいわけですが(寒いと熱帯低気圧は発生しない)、これを元にすれば、文永の役で神風が吹いたというのは、ほぼ否定できるでしょう。少々の悪天候で全滅するような数ではなかったと推測できますので。 結論:いろいろ楽しむのが重要です。

silverbear
質問者

お礼

>じっくり考えてウソを見分ける行為です。 あぁ。俺はテストの時にこの方法で問題を見つめて答えを選んでました。 教科書すらまともに見てなかったので人名関係は完全に勘でしたが。 ただ、やはり授業で聞かなければ意味無いとは思いますが。 >未来を予測しようと試みるのも楽しいでしょう。 そうですね。ただ、難しいですよね。もし予測できたら楽しいでしょうね。 >いろいろ楽しむのが重要です。 そうですか。 歴史が嘘を見破る科目だとしたら、もう一度やり直してみたいです。 ありがとうございました。

  • sai1989
  • ベストアンサー率25% (6/24)
回答No.3

まず最初に、私は歴史が大好きです^^ 好きという立場から書かせていただくので、考えがおかしいと思っても、一意見だと思って読んでください。 794、1192、1904・・・いろいろな年号や名前を覚えさせられます。たしかに、試験だけのために覚えてしまうだけでそれ以降で終わりかもしれません。こういう言葉があります。「温故知新」古きをたずねて新しきを知る。古いものから新しいことを学ぶということなんですが、最近の事で言いますと、第二次世界大戦・・・なぜ起きてしまったのか、そしてどういう結果になったのか。こういったことが学べます。そういった考えを学ぶことで、平和な世界になっていくのではと思います。ここで、おかしいのは第一次世界大戦があったにも関わらず、第二次がある。ということなんですが、あまり深くは考えないでください^^; 第一次世界大戦が変な終わり方をしたので、第二次に繋がっているので。過去からいろいろと学べることは事実だと思います。 また、仮説を立てるとするならば、宇宙人がピラミッドを建てた。という考え方もできるわけですが、一般的な考えでは、宇宙人という説はあまり有力ではないと思います。科学の進歩によって、X線での年代測定もできるようになっています。どんどんと確定的な歴史に成りつつあるものもあるということは事実です。 学校では無駄と思うかも知れませんが、我慢していろいろと学んでください。 最後に私の歴史に対する考えですが、ロマンがあるのではないかと思います。過去の先人達の功績を探すというおもしろさ。自分がもしかしたら、織田信長と血縁関係があるのでは??という妄想もできます^^。近くの歴史で言えば、自分の親、祖父母がどういった時代を生きたのかがわかります。 歴史の授業が重要かどうかはわかりませんが、個人的にはおもしろいです。そして、過去の親、祖父母、先人達が短い一生でやった功績を称え、今の私達が学ぶことでもっと人生が豊かになるのではないかと思います。ですから、歴史は重要だと私は思います。 文脈がしっかり書けずにすみません^^

silverbear
質問者

お礼

>古きをたずねて新しきを知る。 これは歴史が重要という話として聞いたことが有ります。これはとても有効な理屈だと思います。 でも、これは史実とされてる事を年号や氏名、寺院等まで覚える必要性があるとは思えないんです。 漫画や小説を読んでもそこに書かれている時間や日付はあまり覚えて無くてもストーリーは分かるじゃないですか。 >どんどんと確定的な歴史に成りつつある そうですね。年を重ねる毎に資料はだんだん増えていきますし、測定方法もだんだん精度が良くなってますよね。 >学校では無駄と・・・ すいません。質問が悪かったかもです。今もう社会人なんです^^; >妄想もできます 俺も妄想したことはあります。ただ苗字が同じだけだったんですが。 でも、残念ながらあまりその人のことを知ろうとは思いませんでした。(今思えばそこでやり直す可能性があったんですが) >個人的にはおもしろいです。 そうですか。それはすばらしいです。 俺はどうも暗記系の授業は苦手でした。(漢字、社会、英語) 教科書をなにかの本のような感じで読むことが出来ればとても楽しかったんでしょうね。 >もっと人生が豊かになるのではないかと思います。 俺は歴史はほとんど寝てたのでそれを感じる機会はほとんど無かったんですが、歴史が好きな人がそう言うって事はそうなんでしょうね。 ありがとうございました。

noname#19878
noname#19878
回答No.2

私も歴史は大っ嫌いでしたよ。学生時代は・・・ 大体、一番現実的で、社会に出て役に立ち、更に面白いのは近代史なのに、実際には三学期の終了間際でチャチャッと終了でしょう。。。 そんなんだから、先の大戦の経緯もわからなくて外国に文句言われ放題なんですよ。 「竜馬がゆく」を読んでみて下さい。 幕末の面白さを理解した上で、昭和史に進むか、江戸時代に戻るか・・・ 自分の興味のある時代をマスターした上で前後を攻めていくと歴史がおもしろくなります。 トンネルは自分のいる場所から掘り始めるのが正解です。 目標の反対側から掘って行くような馬鹿な教育が歴史嫌いを増やすんですね。 最後に・・・学問は重要か否かで論じてはいけません。 目先の重要度で全てを論じてしまうと、大事な事を見失ってしまいます。 少なくとも、昭和史は学ぶべきもので(教訓としても)そこから昔のことは興味で進めばいいと思います。

silverbear
質問者

お礼

ありがとうございます。 >先の大戦の経緯もわからなくて外国に文句言われ放題なんですよ。 これは歴史云々ではなく、戦争というものの性質からしてしょうがないものだと思います。 俺的には「終わったことをいつまでもぐだぐだいってんじゃない」って感じです。 >大事な事を見失ってしまいます。 そうですね。 ちなみに、昭和程度の近代ならまだしも、戦国時代、江戸時代、鎌倉時代、平安時代等をこれほど詳しく教える意味はあるのでしょうか? 縄文時代並の教え方だと何か不都合でもあるのでしょうか?(縄文時代程度の教え方なら間違いも少ないと思います)

  • t78abyrf9c
  • ベストアンサー率47% (3029/6402)
回答No.1

歴史ってなぜ学ぶ必要があるの? http://virus.okwave.jp/kotaeru.php3?q=1841697 歴史の勉強は「役に立つ」か? http://virus.okwave.jp/kotaeru.php3?q=1944134 歴史って役に立ちますか? http://virus.okwave.jp/kotaeru.php3?q=2130034

silverbear
質問者

お礼

ありがとうございます。 そのページをじっくり読もうと思います。 あと、書き忘れていたのですが歴史はいつまでたっても仮説ですよね? 歴史の内容は古ければ古いほど定説になることは無いと思います。 永遠に仮説の学問=歴史