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「考える」と「思う」はどう違いますか?
「考える」と「思う」はどう違いますか? 私自身は、この2つの言葉はかなり違うものとして理解しておりました。ところが、デカルトのコギトの日本語訳として以下の2つがほとんど同じくらいよく出てきます。 (1)我思う故に我あり。 (2)我考える故に我あり。 ということは、「考える」と「思う」は、一般には、ほとんど同じ意味として扱われているのではないかという疑問が沸いてきました。皆様はどのようにお考えでしょうか? ちなみに、私の理解は以下の通りです。 「考える」は、「言語を用いて」、「意識的に」、「論理的・合理的プロセスを踏んで」行われる操作であるのに対し、「思う」は、通常、「言語を用いずに」、「半無意識に」、「心に思い浮かぶに任せて(必ずしも、論理的・合理的とは限らない)」行われる操作ではないかと思っています。 もし、このように考えると、デカルトのコギトは、「我思う故に我あり」ではなく、「我考える故に我あり」でないとおかしいような気もするのですが、実際のところ、どうなのでしょうか?
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補足
>どちらかというと私の解釈としては、「我思う故に我あり」の方が、しっくり来る感じがします。 私と逆の受け止め方をされているので、興味を感じました。私は、「意識的に考えているコト」が「我」かと思っていましたが、回答者の方の考えは、「受身的に感じているコト」が「我」だということでしょうか? 確かに、そう考えた方が、東洋人(?)にも納得できそうですが。